前評判が高く、デビッド・フィンチャーが監督ということもあって、見逃せない作。現在世界一のSNSで、5億人が利用するFacebook誕生の裏を描いた"The Social Network"。1ヶ月ほど前、見に行ってきました。

キャッチコピーが、いいです。

"You Don’t Get To 500 Million Friends Without Making A Few Enemies"

「数人の敵でも作らないと、5億人の友達はできない」

これを見ると、Facebook創業者である、マーク・ザッカーバーグのイメージが悪くなる、という評判を聞いていました。しかし、私の場合には、それは全く逆でした。ここで描かれているマークは、理屈っぽいオタク。人付き合いはちょっと苦手ですが、人の欲求を見抜くセンスと、プログラミング技術は抜群に優れています。大成功をおさめた起業物語として、良い意味での刺激を受けた人も結構いるのではないかと思います。

私は、2007年からFacebookを使っていますが、いつも感心するのは、人々の社会的欲求(認められたい、ほめられたい、仲間内で評価されたい)を満たすためのしかけがふんだんに盛り込まれていることです。

もともと、初期のFacebookは「ハーバード大生限定」でした。自分達が特別であることを確認したい学生の気持ちを刺激したことは、初期のFacebookの成功の重要な要因だったようです。

この映画では、Facebookの原型となる、Facemashというウェブサービスが出てきます。これもマークが開発したのですが、同じ大学内の、女性の顔をランダムに2つ同時に出し、どちらが美人かを大学内の学生に投票させる、というものです。短い間でものすごい数のアクセスを集め、サーバーをダウンさせたいきさつが描かれています。

勝手に女性の写真を集めてアップし、美人投票をネット上でさせるなど、ほめられたことではありません。建前で言ったら、「けしからん」という話になります。しかし、本音を言ってしまえば、これほどみんなが興味を持ちそうなこともありません。男性の間では常に上るような話題ですし、女性は自分が何位にランキングされているか、とても気がかりになるはずです。

さすがに、このようなえげつないプログラムはすぐになくなったようですが、そういえば、2007年 - 2008年当時のFacebookでは、これとよく似たアプリが大流行していました。"Compare People"というアプリケーションです。(今でもアプリ自体はあるようですが、制作者が課金をしはじめたため、ブームは完全に沈静化しているようです)

このアプリは、「友達比較ゲーム」です。友達と友達を比較して、投票を行います。

"Compare People"というアプリをスタートさせると、自分の友人の中から、ランダムに2人選ばれて、その2人のプロフィール写真が表示されます。そこで「Aさんと、Bさん、どちらが服装のセンスがある?」などと聞かれます。自分がより賛同する方を選ぶと、次の質問が現れます。

「CさんとDさん、結婚するならどっち?」
「EさんとFさん、一緒に仕事するならどっち?」
「GさんとHさん、頭が良さそうなのは、どっち?」
「IさんとJさん、将来成功しそうなのは、どっち?」
「KさんとLさん、デートするならどっち?」

このような質問がどんどん出てきて、それに答えていくわけです。
友人は友人で、同じように"Compare People"を行っていますから、ある程度のデータがたまってくると、仲間内でのランキングが発表されるようになります。

自分にも結果が通知されるのですが、「Jimmyさんは、あなたのネットワークで、コンピュータに詳しそうな人ランキング○位です!」などと表示されます。
ここで、自分が上位になる分野があれば一人でニタニタし、下位に評価されたりすると思いっきり落ち込みます。

自分が仲間内でどんな位置づけなのかを知りたい、できれば、自分の地位を上げたい、と思うのは、どんな人でも持っている社会的欲求なのではないかと思います。

Facebookは創業の頃から、こういう「仲間からの承認」、違う表現をすると「優越感」や「劣等感」を刺激するようなしかけをたくさん作ってきています。自分の結婚式や子供の写真を載せて、お祝いの言葉をもらえたら、嬉しいものです。普段思っていることを書いて、他の人からコメントをもらったり、"Like"(いいね!)ボタンをクリックしてもらえれば嬉しい。有名人や、コミュニティで尊敬されている人と友達になったり、一緒に撮られた写真を公開するのも、ちょっとした優越感に浸れます。

こうして、Facebookは、人が持つ承認の欲求を満たしながら、加入者を爆発的に増やしていったわけです。

私は、Facebookの一参加者として、おおむね楽しんでいますが、一方これを冷ややかに見てしまうこともあります。Facebookでは、コミュニケーションが表層的になりがちなんです。

場としてのFacebookは、大学や社会人の「立食パーティ」に似ています。みんなが自分をオープンに出すので、実名・顔出しが、基本です。基本的に友人全員の顔と名前が全て見えるので、変なことを言われたり、されたりする心配がありません。逆に、自分の言動も全員に見られているため、ネガティブな面を出すことは慎まないと、自分の仲間内のイメージに傷がつきます。また、深い苦悩や重い気分は、書いても迷惑になるだけです。こういう場では、「本当に思っていること」はなかなかシェアしにくく、明るくハッピーな自分を演出することが多くなります。したがって、コミュニケーションは比較的表面的で、あたりさわりのないものが多いように思います。英単語で表現すると、"Sincere"だが、"Authentic"ではない、とでも言うのでしょうか。Facebookにどっぷり浸かっていると、この軽薄さに耐えられなくなってきたりもします。

Facebookが「立食パーティ」なら、日本のSNSであるmixiは、「仮面舞踏会」です。mixiでは実名を使っている人が極端に少ないですし、顔写真はほぼ皆無です。身元を自分から明かさなければ、他人からは、誰なのか、どんな人なのかが全くわかりません。しかし、その人と知り合いであれば、例え実名でなくとも、あだ名やプロフィールで、何となく自分の友人として認識することができます。

私は、Facebook利用当初、mixiに対する興味を急速に失っていきました。実名で責任とリスクを負わない情報発信はずるい、と考えていたからです。
また、Mixiは、誰が誰だかわからないため、なりすましやスパムが横行しやすい環境にあります。コミュニティのコメント欄もよく荒れます。そういうわけで、私は一時期はMixiからも遠ざかっていました。

しかし、最近ではmixiの良さがわかるようになりました。友人の日記などには、Facebookには見られないような、かなり深い内容が散見されます。心の奥底にある悩みや、公衆の面前では口にできなような大胆な考えをシェアする人もいます。

Facebookでは顔が見えるから心の奥底を隠し、mixiでは顔が見えないからこそ逆にさらけ出せる、そんなことが起こっているような気もします。

こうして考えてみると、Facebookもmixiも、ブログもTwitterも、それぞれの生かし方があるのだな、と感じます。リアルのコミュニケーションでも、電話、対面、サシでの食事、3人以上の飲み会、それぞれのパターンによって、コミュニケーションのダイナミクスと、それによって可能な会話の質が変わってきます。それと同じように、SNS上でのコミュニケーションも、それぞれの特徴をちゃんと生かして楽しむことができればいいのでは、と思うようになりました。Facebookで、自分が感じる軽さも、別に悪いわけではなくて、そういう場なんだ、と理解できれば、有意義なように思います。

まぁ、映画の感想から大幅に脱線しましたが、「ソーシャル・ネットワーク」おすすめです。ぜひ見て下さい。