Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

カテゴリ: 映画三昧

前評判が高く、デビッド・フィンチャーが監督ということもあって、見逃せない作。現在世界一のSNSで、5億人が利用するFacebook誕生の裏を描いた"The Social Network"。1ヶ月ほど前、見に行ってきました。

キャッチコピーが、いいです。

"You Don’t Get To 500 Million Friends Without Making A Few Enemies"

「数人の敵でも作らないと、5億人の友達はできない」

これを見ると、Facebook創業者である、マーク・ザッカーバーグのイメージが悪くなる、という評判を聞いていました。しかし、私の場合には、それは全く逆でした。ここで描かれているマークは、理屈っぽいオタク。人付き合いはちょっと苦手ですが、人の欲求を見抜くセンスと、プログラミング技術は抜群に優れています。大成功をおさめた起業物語として、良い意味での刺激を受けた人も結構いるのではないかと思います。

私は、2007年からFacebookを使っていますが、いつも感心するのは、人々の社会的欲求(認められたい、ほめられたい、仲間内で評価されたい)を満たすためのしかけがふんだんに盛り込まれていることです。

もともと、初期のFacebookは「ハーバード大生限定」でした。自分達が特別であることを確認したい学生の気持ちを刺激したことは、初期のFacebookの成功の重要な要因だったようです。

この映画では、Facebookの原型となる、Facemashというウェブサービスが出てきます。これもマークが開発したのですが、同じ大学内の、女性の顔をランダムに2つ同時に出し、どちらが美人かを大学内の学生に投票させる、というものです。短い間でものすごい数のアクセスを集め、サーバーをダウンさせたいきさつが描かれています。

勝手に女性の写真を集めてアップし、美人投票をネット上でさせるなど、ほめられたことではありません。建前で言ったら、「けしからん」という話になります。しかし、本音を言ってしまえば、これほどみんなが興味を持ちそうなこともありません。男性の間では常に上るような話題ですし、女性は自分が何位にランキングされているか、とても気がかりになるはずです。

さすがに、このようなえげつないプログラムはすぐになくなったようですが、そういえば、2007年 - 2008年当時のFacebookでは、これとよく似たアプリが大流行していました。"Compare People"というアプリケーションです。(今でもアプリ自体はあるようですが、制作者が課金をしはじめたため、ブームは完全に沈静化しているようです)

このアプリは、「友達比較ゲーム」です。友達と友達を比較して、投票を行います。

"Compare People"というアプリをスタートさせると、自分の友人の中から、ランダムに2人選ばれて、その2人のプロフィール写真が表示されます。そこで「Aさんと、Bさん、どちらが服装のセンスがある?」などと聞かれます。自分がより賛同する方を選ぶと、次の質問が現れます。

「CさんとDさん、結婚するならどっち?」
「EさんとFさん、一緒に仕事するならどっち?」
「GさんとHさん、頭が良さそうなのは、どっち?」
「IさんとJさん、将来成功しそうなのは、どっち?」
「KさんとLさん、デートするならどっち?」

このような質問がどんどん出てきて、それに答えていくわけです。
友人は友人で、同じように"Compare People"を行っていますから、ある程度のデータがたまってくると、仲間内でのランキングが発表されるようになります。

自分にも結果が通知されるのですが、「Jimmyさんは、あなたのネットワークで、コンピュータに詳しそうな人ランキング○位です!」などと表示されます。
ここで、自分が上位になる分野があれば一人でニタニタし、下位に評価されたりすると思いっきり落ち込みます。

自分が仲間内でどんな位置づけなのかを知りたい、できれば、自分の地位を上げたい、と思うのは、どんな人でも持っている社会的欲求なのではないかと思います。

Facebookは創業の頃から、こういう「仲間からの承認」、違う表現をすると「優越感」や「劣等感」を刺激するようなしかけをたくさん作ってきています。自分の結婚式や子供の写真を載せて、お祝いの言葉をもらえたら、嬉しいものです。普段思っていることを書いて、他の人からコメントをもらったり、"Like"(いいね!)ボタンをクリックしてもらえれば嬉しい。有名人や、コミュニティで尊敬されている人と友達になったり、一緒に撮られた写真を公開するのも、ちょっとした優越感に浸れます。

こうして、Facebookは、人が持つ承認の欲求を満たしながら、加入者を爆発的に増やしていったわけです。

私は、Facebookの一参加者として、おおむね楽しんでいますが、一方これを冷ややかに見てしまうこともあります。Facebookでは、コミュニケーションが表層的になりがちなんです。

場としてのFacebookは、大学や社会人の「立食パーティ」に似ています。みんなが自分をオープンに出すので、実名・顔出しが、基本です。基本的に友人全員の顔と名前が全て見えるので、変なことを言われたり、されたりする心配がありません。逆に、自分の言動も全員に見られているため、ネガティブな面を出すことは慎まないと、自分の仲間内のイメージに傷がつきます。また、深い苦悩や重い気分は、書いても迷惑になるだけです。こういう場では、「本当に思っていること」はなかなかシェアしにくく、明るくハッピーな自分を演出することが多くなります。したがって、コミュニケーションは比較的表面的で、あたりさわりのないものが多いように思います。英単語で表現すると、"Sincere"だが、"Authentic"ではない、とでも言うのでしょうか。Facebookにどっぷり浸かっていると、この軽薄さに耐えられなくなってきたりもします。

Facebookが「立食パーティ」なら、日本のSNSであるmixiは、「仮面舞踏会」です。mixiでは実名を使っている人が極端に少ないですし、顔写真はほぼ皆無です。身元を自分から明かさなければ、他人からは、誰なのか、どんな人なのかが全くわかりません。しかし、その人と知り合いであれば、例え実名でなくとも、あだ名やプロフィールで、何となく自分の友人として認識することができます。

私は、Facebook利用当初、mixiに対する興味を急速に失っていきました。実名で責任とリスクを負わない情報発信はずるい、と考えていたからです。
また、Mixiは、誰が誰だかわからないため、なりすましやスパムが横行しやすい環境にあります。コミュニティのコメント欄もよく荒れます。そういうわけで、私は一時期はMixiからも遠ざかっていました。

しかし、最近ではmixiの良さがわかるようになりました。友人の日記などには、Facebookには見られないような、かなり深い内容が散見されます。心の奥底にある悩みや、公衆の面前では口にできなような大胆な考えをシェアする人もいます。

Facebookでは顔が見えるから心の奥底を隠し、mixiでは顔が見えないからこそ逆にさらけ出せる、そんなことが起こっているような気もします。

こうして考えてみると、Facebookもmixiも、ブログもTwitterも、それぞれの生かし方があるのだな、と感じます。リアルのコミュニケーションでも、電話、対面、サシでの食事、3人以上の飲み会、それぞれのパターンによって、コミュニケーションのダイナミクスと、それによって可能な会話の質が変わってきます。それと同じように、SNS上でのコミュニケーションも、それぞれの特徴をちゃんと生かして楽しむことができればいいのでは、と思うようになりました。Facebookで、自分が感じる軽さも、別に悪いわけではなくて、そういう場なんだ、と理解できれば、有意義なように思います。

まぁ、映画の感想から大幅に脱線しましたが、「ソーシャル・ネットワーク」おすすめです。ぜひ見て下さい。

"Food, Inc."は、アメリカのドキュメンタリー。とても面白い映画です。
我々の食物の大部分は、片手で数えられるくらいの少数の企業が生産を独占し、工場のように生産している、というショッキングな事実を暴くという内容です。近代の食物生産が、どのようなリスクをはらんでいるか、考えさせられる内容です。



この映画は、よく"The Cove"と比較されます。ちょうど、昨年度のアカデミー賞ドキュメンタリー部門で、両作品が同時にノミネートされたのです。"The Cove"と"Food, Inc"は、この年の同部門で一騎打ちの対決と言われていました。結果的には、"The Cove"が勝ち、アカデミー賞を手にしました。世間の注目を浴びることになったのは、異国のイルカ漁の話だったのす。

しかし、アメリカ人の生活により影響を与えているのは、Food, Inc.で扱っている「日常の食べ物」の話です。議論の重要度でいえば、比較になりません。
"The Cove"に対する批判として主なものに、「アメリカ人は牛や豚を殺して食べているじゃないか!」という意見があります。この映画では、まさにそれらの家畜がどのように殺されているかが明らかにされています。

豚が屠殺されるシーンなどは、あっけないです。泣いている豚がベルトコンベアにどんどん乗せられ、ブラックボックスのような大きい装置に入れられ、逆サイドから出てきた段階ではすでにグッタリしています。工場で運ばれる素材でしかないという印象です。

"The Cove"は、"Food, Inc."に比べて、衝撃度が圧倒的に高いのでしょう。スパイ映画的な要素があるし、かわいい動物がモリで刺されて入り江が血に染まるわけですから。
一方、"Food, Inc."で動物が殺される様子は、あっけなさ過ぎて、感情移入すらできません。動物は、殺されるというよりも、「処理」されています。そこには"The Cove"で喚起させられるような痛みがありません。

イルカの殺戮シーンは胸が痛むけど、豚や牛の殺戮シーンは見ても痛みを感じない、というのはよくよく考えると変です。このドラマ性の欠如のために、"Food, Inc."は"The Cove"に負けたのでしょうか。

ひょっとすると、見ている自分達が、肉の消費者=食品会社の「共犯者」なので、現在のシステムが間違っている可能性を100%認めることができない、ということなのかもしれません。

思えば私も共犯者です。いつもスーパーで肉を買っていると、こういう製造システムがあるからこそ、安くて品質が一定の食材を年中買えるんだということがよくわかります。この映画が批判する内容に、100%賛成できていない自分に気づかされるわけです。

話題になっている日本のイルカ漁の潜入ドキュメンタリーです。
興味はあったのですが、今回iTunesでレンタルして見ることができました。

映画の内容は、「和歌山県太地町のある入り江("The Cove")で行われているイルカの『虐殺』を撮影するために、環境保護団体のグループがあらゆる手を駆使して現場に潜入し、ついにその実態をカメラにおさめる」というものです。

もちろん、『虐殺』"Slaughter"は、彼らの使う言葉であって、日本では単なる『イルカ漁』です。話の発端は、Ric O'barryというイルカのトレーナーです。彼は、60年代に"Flipper"というイルカが登場するドラマでトレーナーを行い、全米各地でイルカのショーが盛んに行われるきっかけとなった人物です。

彼は、Flipperで育てたイルカがストレスによって亡くなったこと(彼の話によると、そのイルカは自殺した)から、イルカを酷使することに罪悪感を感じるようになり、70年代からは一転してイルカの保護を推進する活動をはじめました。彼は、イルカが太地町で殺されている現場を世界に発信することによって、イルカの捕獲や猟をやめさせようとしたのです。

実際、彼らの潜入によりイルカ『虐殺』映像の撮影は成功します。ただ、私も日本人だからか、どうしてもこの見せ方はフェアじゃないなと思いました。

この映画をRic O'barryの贖罪のストーリーとしてみると、なかなかに感動的です。イルカと心の通う体験をした彼からすれば、イルカを殺すことなど、考えられないのでしょう。映画の前半では、イルカがいかに人間と同じような知性や心を持つ動物であるかがアピールされています。そういう文脈を与えられた後では、あのイルカ漁の映像は確かに残虐非道と映るでしょう。特に、イルカや鯨を食べない文化の人にとっては、目を背けたくなるシーンであるのは間違いないです。

この映画の監督は、そのシーンについて、「太地町の人たちは、政府と一緒になってイルカを虐殺していることを隠している」と言っています。それは、ちょっと違うと思うんです。イルカ漁を行っていること自体は、隠してないはずです。ただ、実際に血しぶきが飛び散る漁の現場は、一般市民に見せるようなものではないから、立ち入り禁止にしているだけだと思います。自分が漁師だったら、あんな場面を子供に見せたいとは思わないはずです。

「プライベート・スペース」という英語の2文字しか話さない日本人の方が、映画の中で揶揄されていましたが、食用の動物の屠殺現場は、すべて「プライベートスペース」だと思うんです。牛や鶏や豚だって殺される現場をわざわざ見たい人はいないでしょう。だから、隠すのは当然です。別に後ろめたくて隠しているわけじゃないはずです。我々は、自分たちが食べる焼肉やハンバーガーを供給するために、自分たちの見えないところで、血を浴びながら動物を屠殺してくれている人々に感謝こそすれ、非難するなどもっての他だと思います。

イルカ漁も同じで、単に公衆の場には不適切だから見せないだけです。そういう意味では、「日本政府と太地町民が結託して極秘に虐殺を繰り返している」というような政治サスペンス的な印象を与えているのはフェアじゃないなと。

水銀の件については、どの程度有害なのかを皆が知ることは有益だと思いました。
鯨肉を食べる人で、実際に水銀中毒の症状を見せている人はいないそうですが、監督がフォーカスすべきだとすれば、こういう論点だと思います。漁という供給サイドの問題よりも、栄養の供給源としての問題やイルカショーの問題などといった需要サイドに働きかける方が圧倒的にフェアです。

以上の感想を持ったわけですが、私が何より驚いたのは、この映画がアメリカで絶賛されていることです。これだけ、文化の違いがあって、いろいろな意見が飛び交うこの国で、今のところ私はこの映画に対する絶賛の言葉しか聞きません。Amazonのレビュー欄でも最高の評価をしている人があまりに多いことにビックリしました。

ちなみに、よく言われているような日本バッシング的な要素は一切ありません。いくつかの描写によって「日本人がバカにされている」と思われるかもしれませんが、それは個人がバカにされているのであって、日本が包括的にからかわれているような要素は見当たりませんでした。むしろ、太地町の美しさや、日本に対する敬意は随所に感じられました。

本当によくできている映画で、このプロジェクトを最後まで遂行した監督やRicの信念には、正直脱帽します。人に真実を知ってもらうために、世界を変えるために、勇気をもってこの映画を作ったこと自体にはとても刺激を受けます。

ただ、漁師や太地町の人たちを責める気には全くなりません。私の立場としては結局、捕鯨・イルカ漁賛成です。伝統を守るために、がんばっている方々を応援したいです。

この映画は、3週間くらい前に見ました。
主演は、ミッキー・ローク。助演、マリサ・トメイ。

70年代に有名なレスラーとして活躍した主人公。
過去の栄光にすがりながら、老いた体にムチ打って、なお現役レスラーとして、小さな町のリングで奮闘します。お客さんのためには、自分の体をムチャクチャに傷つけても、戦います。
全てを失ったこの男に残されたものは…という物語です。

実に感動的なドラマです。
主人公の息遣いや苦悩がそのまま観ている側に響いてきます。

ベンジャミン・バトンの後に見たのですが、これを見た時は、「アカデミー賞の主演男優賞はミッキー・ロークだ」と確信しました(実際にはそうなりませんでしたが、それについてはまた後で書きます)。

おすすめです。

この映画はメチャクチャおもしろいです。
はじまってから終わるまでドキドキしっぱなしでした。

内容は、"Who wants to be a millionaire?"(日本版ではみのもんたが「ファイナル・アンサー?」とか言う番組です)のインド版で、スラム街出身の少年が、どんどん正解を連発して勝ち進んでいく、という話。
教養のないこの少年が、どのようにしてその一つ一つを答えることができたのか、フラッシュバックと共に彼の過酷な記憶がよみがえる、という設定になっています。

物語の進行と共に、少年の悲惨な過去と、どんな状況に陥っても生き延びるのを支えてきた彼の一途な思いが明らかになっていきます。インドの事情を全く理解していない私にとっては、画面に映し出される世界そのものが、非常に新鮮でした。
演技・演出・脚本の質とか、全てがハイレベルで、終始圧倒されました。これはすごい。ラストにかけて、感動が押し寄せます。

今年のアカデミー賞最有力候補です(あ、先週と言っていること違う?)。



…あ、そういえば、今日はバレンタインズデー?
だから映画館あんなに混んでいたのか。普通に忘れてました。

4
電光ボードを眺めていると、"curious case"という文字が目に入りました。

最近、映画を全くチェックしておらず、何が面白いのか見当もつけずに映画館に来てしまいました。で、飛び込んできた文字が、"curious case"。
聞いたことのない映画の名前が並んでいる中で、この名前だけが、唯一記憶に引っかかっていたのです。

早速、iPhoneでこの映画を調べてみると、正式名称は"The curious case of Benjamin Button"。邦題は、「ベンジャミン・バトン - 数奇な人生」。電光掲示板は、文字数の制限があるから、"curious case"と出ていたんでしょう。

ああ、例のブラッド・ピットの映画か。
「段々、若返っていく男の数奇な人生を描く」というヤツ。

「段々若返る」という設定を思い出した時点で、興味レベルはほぼゼロ。なぜなら、そんな男の数奇な話は、ありえないからです。そういう、設定に無理があるものは、好きじゃないんです。

いや、でも評判は、すごく高かったな。ひょっとして面白いのかな。
そう思い、さらに情報を調べてみると、"David Fincher"の文字が・・・。

デビッド・フィンチャー - 私が好きな映画監督の1人です。
ピット=フィンチャーのコンビにより作られた「セブン」と「ファイト・クラブ」。DVDによる英語学習にハマっていた頃、この2作品を数え切れないほど見た覚えがあります。「セブン」のラストシーンの場面は、後で口からセリフが勝手に出てくるほど見ました(英語としてあまり役に立ちませんが)。「ファイト・クラブ」に至っては、卒論のテーマの一つとして分析をしたほどです(今考えるとあまりに恥ずかしい)。

私はアル・パチーノが好きなのですが、パチーノの映画なら、別に興味が沸かなくとも、とりあえず見ます。
それと同じように、フィンチャー作品は、たとえ面白くなさそうでも、見なくちゃいけない、という義務感が急に沸いてきたのです。そう、あのジョディ・フォスターの「パニック・ルーム」を見たときも、同じ気持ちでした…。

仕方ないので、チケットを買って見ることにしました。

(以下、ちょっとネタバレあり)

感想は・・・当初の予想をはるかに上回りました。
とても美しい話です。

年を経るごとに若返り、段々美しく、カッコよくなっていくベンジャミンを見るだけでも、ブラッド・ピットファンには垂涎モノなのではないでしょうか。

デイジー(ケイト・ブランシェット)という女性がヒロイン。普通に年をとっていくデイジーが子供の時は、ベンジャミンが老人。デイジーが老人の時は、ベンジャミンが子供。でも、その逆行する時間の中間地点で、お互いの年がピッタリ合う時期があるんですが、その限りある時間のはかなさが、美しい。

アカデミー賞にもたくさんノミネートされてますね…実は大本命…そんなことも知らなかった…。
フィンチャー監督、今回は賞をとって欲しいですね。

Jonという友人がいます。

彼と知り合ったのは昨年の11月。ある3ヶ月のリーダーシップの研修で、私はコーチとして参加したのですが、彼は私がコーチングを担当した4人のチームメンバーのうちの1人。

彼は、私より3歳くらい年上で、映画やCMのプロデューサーをやっています。
New YorkやLos Angelesでは、日本では縁のなかったような映画・舞台関係者と知り合う機会が増えました。すでにメジャーな舞台で活躍している人もいれば、下積みでブレークの機会をうかがっている人もいます。

今まではなかなか芽が出なかったけど、数年間とりかかってきた映画が、今度やっと公開にこぎつけるんだ、とジョンが言っていたのが2月頃。
映画祭に出展が決まった!と喜んでいた時には、私はまだその映画の広がりを全く予想していませんでした。

映画の名は、"Beautiful Losers"

http://www.beautifullosers.com/

その後、New Yorkなど全米各地での公開が続々と決まったらしく、Jonの姉から「みんなで見に行こう!」という趣旨のメールを受け取りました。
おやおや、結構大きくなってるんだなと思って、ウェブサイトのリンクを開いてみると、

"JAPAN PREMIERE"

の文字が…。

日本公開?
こ、これは…そんなにすごい映画なのか。いきなり日本で公開するというのは、よほどのことじゃないのか。すごいぞJon。

信じられない気持ちでリンクを開いてみると、なんと、学生の頃から何度も足を運んだ、渋谷のシネマライズで、公開するというのです(正確には、シネマライズの隣の"ライズエックス"という場所でしたが)。

シネマライズは、覚えているだけでも「ビッグ・リボウスキ」、「ムトゥ・踊るマハラジャ」、「アメリ」、「ボーイズ・ドント・クライ」、「ロスト・イン・トランスレーション」、「ドッグヴィル」などの名作を見た覚えがあります。メジャーの一歩手前のような作品が公開される単館上映系のシブい映画館なのです。たまに「アメリ」のような化け物的ヒット作が排出されます。


そういうわけで先週、久々に日本に行ったので、見に行ってまいりました。

ちょっと小雨の降る渋谷。
スペイン坂を登りきってチケット購入。

BLosers


奥の真ん中にポスター発見。
おお、すごいぞJon。

券を買うと、そこで、映画館が「シネマライズ」ではなく「ライズエックス」であることを知ります。ええっ、そんなとこがあったんですか?

「場所わかりますか?スペイン坂をちょっと下ってください」

Bloser2


ああ、ここが入り口だったのか。何やら小さいぞ。
今まで、こちらの方には入ったことがなかった。
なんと、やけに小さい映画館だろうか…38席しかないという。

しかも、客があまり入っていない…大丈夫か…これでいいのかJon。
1、2、3、4…10人くらいだな。この回の売上は18,000円か。これを1日5回上映するとして、上映期間を30日と仮定すると合計売上は…いやいや、こんな計算をしている場合ではない。


気を取り直して、画面に見入ります。
映画は、ドキュメンタリー風です。

芸術分野において何の教育も受けていない、ストリートアートをする人達が、いかにして彼らのアートを極めていったか、というプロセスが、各アーティストへのインタビューを通して描かれています。

ストリートアートの1例は、New Yorkのビルなどで見る、スプレーで描かれた文字や絵です。

印象に残ったのが、彼らの退廃的なムード。自分達が作り上げた作品に対して「こんなものには何の価値もないんだ」「ガキの落書きと一緒だよ」「本当にくだらない」などと言い放ちます。

彼らのアートは、目的のないアートです。
お金や名声が欲しいわけではない。ムリに反抗しているわけでもない。
彼らは、描く。アーティストだから。それだけ。
それは〇〇のためとか、そういう動機がないのです。

ところが、そんなくだらないアートに、人は魅せられていきます。New Yorkのイーストビレッジでひっそりとはじまったギャラリーは、徐々に動きが拡大し、世界的に有名になるアーティストが続々と生まれます。中には、大企業のCMデザインを任される人も出てきます。

しかし、有名になった後でも、彼らはあくまでアーティスト。ひたすら、何の目的もなく彼らは描き続けるのです。それが、アーティストだから。

すべての「価値無きモノ」に対する敬意と愛情を感じました。
人の創るものに、価値なんか、なくとも良いのです。子供のように、夢中になって創ることの喜びに埋没する、そんな幸福感がヒシヒシと伝わってきました。


すごいぞJon。あの時、こんな映画を作っていたのか。
今度会ったら、「最高にくだらなく、つまらない映画だった」と言ってあげよう。
それが、たぶん彼にとっての、一番の褒め言葉に違いない。

2週間前、映画"The Dark Knight"を見に行きました。
Christopher Nolan監督とChristian Baleによるバットマンシリーズの第2作です。

公開日の2日目に行ったら、その日は全て埋まっていたので、その翌日にいかなければならないほどの盛況ぶりでした(その代わりその日は"Mamma Mia"を見ました)。

アメリカで育った人にとっては、これは必見なのでしょうか。普段、特定の映画の話が多くの友達の話題に乗ることはなかったのですが、その週末のFacebook(アメリカのメジャーなSNSサイトです)に限っては、「これからIMAXでDark Knightだ」「明日朝見に行きます。誰か一緒に行こう」「今ゴッサムシティに行ってきた」とかいう書き込みであふれていて、バットマンに対する熱が尋常ではないなと感じました。

この映画は、名優が何人もそろっているのですが、特に今は亡きHeath Ledger演じるJokerがスゴすぎます。
Jack Nicholsonが演じていた時には、"Jack NicholsonのJoker"というのがよくわかったのですが、今回のJokerは気持ち悪く、醜悪すぎて誰が演じているのかわかりません。もうこんなヤツに近寄りたくない、という嫌悪感を映画を通して刺激されました。

話のプロットも、アメリカのコミックの伝統である勧善懲悪ストーリーからは、はずれています。歴史のあるコミックで、こういう変化が現れるのは興味深いですね。そういう意味では、あまりスカッとはしないラストでしたが、完成度は高いなぁと思いました。伝説的な映画になりそうです。おすすめです。

Boiler Room

証券詐欺をはたらく集団を描いた映画です。
舞台は、私が数年前に住んでいたLong Islandの、Nassau郡よりもさらに東のSuffolk郡です。Manhattanからは、フリーウェイで1時間くらいの郊外です。

客に架空の証券を売りつけ、虚構の市場を作り出して荒稼ぎする会社での、主人公の葛藤が描かれています。

主人公は、定職についていない違法カジノの若いオーナーです。判事である父親に対する罪悪感から、まともな職につこうとするのですが、入ってしまったのが、詐欺を組織的に行っている小さな証券ブローカーです。

一日に何百という電話をかけ、言葉巧みなセールストークで証券を売りつけ、お金をまきあげる技術を毎日の営業の中で身につけて行きます。
初めは、合法だと思っていたことが、だんだん仕組まれた違法行為であることを目の当たりにしていき、葛藤が深まっていく様子がよく描かれています。

組織的にハードな電話営業する集団に対して、"Boiler Room"という隠語を使うようです。
密室の中で水を熱して沸騰させるイメージが、こもった部屋の中から電話をかけるだけで売上をまきあげるイメージにピッタリ合うのでしょう。
今まで見たことのない恐ろしい世界を垣間見せてくれる、面白い映画でした。

Little Miss Sunshine

Little Miss Sunshineという名の美少女コンテストに娘を出場させるため、ニューメキシコ州アルバカーキーから、カリフォルニア州ロサンゼルスまでロードトリップをする崩壊家族の物語です。2007年のアカデミー賞で、オリジナル脚本賞を受賞しています。私は「賞をとった映画」というピッチに極端に弱い人間なので、見ずにはいられませんでした。


以下、ネタバレ部分が結構あるので、楽しみを壊したくない人は読まないでください。


この映画、家族の一人一人の人物設定が最高です。
特に傑作なのが父親なのですが、「負け犬にならないための9ステップ」というセミナーを開いているのですが、そのセミナー自体に人が集まらない負け犬です。

この映画のテーマは何かということを考えると、特にこれが言いたい、ということがないようにも思えるのですが、あえて言うなら、「人生には深刻になるべきことは1つもない」ということでしょうか。

"Little Miss Sunshine"というイベントを見ていると、本当にどうでもいい大会です。でも、そんな大会のために何時間もかけて車でたどり着いて、どう考えても勝てそうにない連中を周りに見ても、小さな娘は「祖父から教えてもらったダンス」を全力で踊ります(爆笑必至)。

人生ではいろいろ起こるが、何でもいいが、精一杯やって、それで十分だと。
そんな気持ちになる映画です。

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