Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

カテゴリ: 将棋三昧

高校生の頃、東京将棋会館道場に段級を取得しに行っていました。
この道場には、将棋に熱心な子供〜大人〜老人が集まって、自由に対局をします。

面白いのは、年齢の層によって、戦い方が違うということです。
そして、あらゆる年齢層の中で、最も強いのは、小学生の層です。

小学生は、とにかく強い。
彼らには余計な価値判断基準がないんです。
とにかく、将棋の目的である「相手の玉を取る」という目的に沿って、必要最小限度の手を放ってきます。見ていてすがすがしく、キレがいいんです。

これに比べて、中年〜老人となると、ダラダラとどうでもいい駒を狙ってきたり、往生際の悪い守り方をしたりして、手がなんとなくドロドロしています。同じ段級でも明らかな差がそこにはあります。


大人になって将棋を覚えると、桂馬よりも金が、金よりも飛車の方が価値のあるもののように思えるんですね。でも、そんな価値評価には全く意味ないんです。

将棋で最も重要なのは、「相手の玉をとること」これ以外にはありませんから、それぞれの駒の動きを最大限に動かして、いかに目的までまっしぐらに進むかの方がよっぽど重要です。
小学生には、先入観が全くないため、大駒でもポンポン捨てて玉を詰ましにきます。

ああいうのを見ると、子供の澄んだ目というものがいかに強力か、感動させられます。

チェスをやっている子供をみかけて、ふと昔の話を思い出してしまいました。

高校の時、将棋にハマっていました。

17才の青春を、全て将棋につぎこんでいました。
その熱はすさまじく、当時入っていた柔道部の怖い担当教官に「将棋をやりたいから私はこれから週3日しか部活に出ません」と真剣に直訴してしまうほどでした。

お小遣いをもらうと、将棋の本を買いに行きました。
羽生さんや谷川さんの本を開きながら、何度も何度も将棋盤とにらめっこをしながら、空想の中で戦いを繰り広げていました。
授業中は先生に隠れて詰め将棋の問題集を解き、休み時間は将棋部員と勝負に明け暮れていました。



こういう生活をしているうちに、段々とどうなるかというと、見るもの聞くもの触れるもの考えること全てが将棋になってしまうんです。

例えば、廊下ですれ違う学生一人一人が将棋の駒に見えてきます。
そうすると、「あいつは角なのに、なんでまっすぐ歩いてるんだろう」と素朴な疑問がわいてくるようになります。

教室に入ると、もっとすごいことになります。
机の並びが、そのまま将棋盤に見えてきます。
数学の時間に居眠りをしているときに、斜め後ろのそのまた後ろの生徒が、「桂馬」であったことに気づいた時には、ビクッとして飛び起きてしまいました。
「とられる!」と直感的に生命の危険を感じたのです。


「はまる」というのは、こういうことだったんだな、と今は思います。
「一生懸命将棋をがんばろう」とすら微塵も考えていませんでした。
ただ、ひたすら将棋で頭が一杯だっただけなんですよね。
しかし今考えると、あれほど幸せな時間はなかったように思います。



あそこまで身も心も没頭できるものは自分に現れないのか…あれ以来、いろいろと模索を続けてきましたが、そろそろ何か見つかりそうな気がしてます。
もちろん、仕事関連ですが。

圧倒的な実力を持つビジネスマンと会って、迫力だけで完全な敗北感を感じたことが、よくあります。
その度に「この人にはかなわないなぁ」とか、「何でこの人はこんなにいろんなことを知っているんだろう」とか、思います。

そういう人と話をする時には、自分が言葉を何とか繰り出しても、「たぶん、自分には何か欠けてるんだろうなぁ」などと絶望的な気分に浸りながら言葉を発し、会話を続けます。

逆にある程度実力がついて、経験を積んだ側になると、ふとした動作で、相手の実力がどのくらいかがわかってきます。


で、私が昔どっぷりはまっていた将棋の世界では、たとえば最初の駒を並べる時の手つきで、どれだけの経験を持っているかがわかります。アマチュアの世界であれば、最初の時点で「たぶん勝てそう」か、「絶対負ける」か、「いい勝負になりそう」かはわかるものです。

あまりにその手つきがキレイだと、戦う前から負けたような気がして、まさに「ヘビににらまれた蛙」のような危機状態に陥ります。

でも、こういう感覚はやはり、いろんな相手と数をこなさないと、なかなかわからないもので、はじめは手つきだけでそこまで大きな違いがあるとは、思いもよりませんでした。


こんなことが、ビジネスの現場でも、よく起こる気がします。
今は正直、自分はビジネスの現場で、相手を読むことが十分にできません…まだまだ経験が足りない、ということなのでしょう。

でも、敗北感は、まだいいのかもしれません。
危険だなぁと思うのは、自分が全てわかりきっていると思うこと。
自分の能力不足が相手に露呈しているのに、それに自分だけ気づかないということだけは、やはり避けたいものです。

私は高校時代、将棋にハマっていました。
おそらく「人生で最も熱中したものは何か」と聞かれたら、真っ先に将棋を挙げるでしょう。

あまりにもハマっていたため、ついにはクラスの席全体が将棋盤に見え、一人一人の学生が将棋の駒のように見えたこともあります。毎日のように詰め将棋の問題を授業時間中に解き、毎週のように将棋の本を買っては、その中に掲載されている定跡を覚え、実戦で試す、ということを繰り返していました。

そんなある日のこと、衝撃的な本に出会いました。

「羽生の頭脳」(全十巻)という本です。

羽生善治氏はその頃、前人未到の将棋タイトル七冠王(名人、竜王、王将、王座、王位、棋聖、棋王)への道を突っ走っていました。

当然、将棋を指すものとしては彼の動向を見逃すことはできなかったのですが、ある日、本屋に「羽生の頭脳」という名の本が置かれていることに気づきました。

その本は、羽生氏の研究の結果、戦法に応じて、どのように指せば良いか、ということが解説してある本でした。

私は棋界No.1の秘訣をぜひ知りたいと思い、早速第一巻である急戦四間飛車破り!
という本を買って、本で書いてある通りに駒を並べはじめました。羽生氏の定跡を覚えれば、絶対に誰にも負けるはずがない!と思っていたのですが…。

驚いたことに、駒を指し進めながら、最後のページたどり着くと、「これにて先後不明(先手・後手がどちらが有利か分からない)」と書いてあるだけなのです。

「将棋はこう指せ!」とガイドするのが、将棋の本の役目のはずです。それ以前に買った将棋の本のほとんどは、「こう指せば有利」とか、「こう指せば必勝」とか書いてあるものばかりでした。

しかし、羽生氏の本に限っては、「僕だったらこう指すけど、これ以降はどっちが有利か自分も正直わからない。後は自分の頭で考えて」と言っているだけなのです!

高校生の私も、これには衝撃を受けました。

「本物は、結論を言わない…後は自分で考えるしかないんだ!」

棋界トップが、このようなことを言っているという事実は、私に大きな示唆を与えてくれました。

本当に物事をわかっていたり、経験を積んでいる人に限って、答えを安易に教えてくれなかったりします。それは、その人が未だ「学習者」であるという自覚を持って、さらなる高みを目指しているからだと思うのです。

また、安易な答えを教えることで、教えを乞う人間が自分の頭で考えることを放棄することを怖れているからだと思います。




現在、巷にあふれる「成功本」や「ノウハウ本」の類を見ていつも疑問に思うのは、「そこに真実はあるのか?」ということです。「○○すれば人間関係がすぐに改善する」とか、「××すれば、億万長者になれる」とか、あたかもそこに簡単なスイッチがあるかのように思わせてくれるものがあふれています。

しかし、本物の世界でしのぎを削っている者から見れば、そんなに答えは安易なものではない、ということが言えるのではないかと思います。


「結論なし」の状態に陥った段階で、死に物狂いで、自分の頭で解決策を考えられるか否か、が最終的に本物になれるかなれないかの分かれ道だと思うのです。

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