Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

カテゴリ: 営業道場

営業・マーケティングというのは、実に奥が深いです。

私にとって理想的なマーケティング活動というのは、「摩擦を極小化すること」。つまり、誰かが不愉快に思うことや、コミュニケーションの時間のムダを極限まで小さくしたい、と思っています。

そういう意味で、自分が今行っているマーケティング方法は、「ある程度」それを実現しているのではないかと思っています。

広告で興味深そうなことを宣伝することで、お客様をセミナーに呼ぶ。セミナーで知識を得て、もっと個別に分析してもらいたい方は、個別のコンサルティングにお越しいただく。コンサルティングでは、お客様にとって役に立つ情報を提供する。もし、お客様が気に入れば、私のオファーする商品・サービスをご利用いただく。

ここまで、あまり摩擦がない。
お客様がこのプロセスの中、進みたいだけ、足を進める。こちらは、オファーするものはして、特に無理にモノを売りつけたりしない。ここに、美を見出すわけです。

ところが、ことはそう簡単ではない、と思わせられることがあります。

お客様にとって、「必要だが、欲していない」ということもあるわけです。お客様が「その商品は欲しくない」と言ったとしても、その人にとって「必要なもの」であれば、それは購入すべきだと思うわけです。

ここで、アグレッシブな営業マンだったら、「その商品が、その人にとっていかに必要か」ということを一生懸命説明すると思います。そして、その説得に負けて商品を購入した消費者が、「買ってみれば、良い商品だった」ということもあるでしょう。特に保険商品などでは、こういうことが結構起きます。消費者は、この営業マンが積極的に売ってくれたことを、感謝するでしょう。この見極めは、結構難しいものです。

私は、今の時点では、「無理に説得すること」を極力減らそうとしています。お互い時間のムダだと思うし、欲してもいないものを無理に説得することを虚しいと思うからです。しかし、これが本当にお客様のためになっているのかどうかが、自分でも疑問です。

たとえば、私があるサービスを提案します。ところが、お客様は「まだ必要ではないので、後でお願いします」とおっしゃる。私としても、そのお客様にとってこのサービスが今必要なわけではないので、無理に勧めたくない。「わかりました。ではまた必要な時にお電話ください」と言って会話を終える。

ところが、お客様にとって事態が深刻化し、もう手遅れになった時に、私のところに連絡が来ることがあるわけです(これが、実は結構な頻度で起きるんです)。その時には、私は、「できるだけのことはしますが、もうちょっと早く準備をするべきでした」と言うしかありません。こんな時、私は「もうちょっと、手遅れになる前の時点で、自分がもっと強く言っておくべきだったのでは」とも思うわけです。

「無理な売り込みはしません」と言って、売り込みに見えることを極端に避けようとする営業マンがいたりしますが、同じセールスの文句が「売り込み」に聞こえるか、「機会の提供」に聞こえるどうかは、全て消費者の主観によるものです。

セミナーで私が「ぜひ弊社のコンサルティングをご利用ください」と言っても、人によっては「自分の役に立つことを個別に教えてくれるなんて、なんとありがたい。ぜひお願いしたい」という人もいれば、「コンサルティング?そんなこと言って、どうせ何か売り込んで来るに決まっているだろう」と思う人もいるでしょう。

なるべく後者のような感想は持って欲しくはないわけですが、そう思う人がいたとしても、それは仕方のないことです。問題は、そう思う人に対して、それでも「無理な売り込みはないから、とりあえずコンサルティングは役に立つから受けた方がいい」と言うか、「わかりました。では、また必要な時にどうぞ」と言って電話を切るか。今は、圧倒的に後者です。

一ヶ月ほど前、雑誌社の方から電話がかかってきて、その担当者はいきなり「○月○日号に広告を出しませんか?」と言ってきました。これは、明らかな売りこみと私は感じました。それでも、私は"わかりました。やりましょう"とその場で返事したんです。

その売り文句が、機会の提供として、聞こえてきたからです。もし、その営業マンが、「邪魔するのは悪い」と言って、私のところに電話していなかったら、私の広告は日の目を見ることはなく、それによって、私は会っていたはずのお客様とも会えなかったはずです。私の提供する情報を知ったことで、彼らの人生に引き起こされたはずの違いが、生まれなかったわけです。それを考えると、断られるリスクがありながら私に電話をかけてきた営業マンの方を賞賛したい気分です。

コールドコールは迷惑だからやるな、なんて言う人もいますが、新しい価値を生み出して、普及させた人たちの中には、強烈なコミットメントを持ったコールドコーラーがたくさんいたのも事実です。

事実、私も、電話で営業されて、その場で購入を決断をした例はいくつもあります。


…だんだん、書いてきて、何が大事かが、見えてきました。

おそらく、自分は自分に意識が向きすぎているのかなと。自分のしゃべりが、どう聞こえているかを、気にし過ぎているのではないかと。「何か売込みっぽく聞こえたら嫌だな」なんて考えている自分がまだいるのを感じます。そんな所から会話をして、意識が「自分」にある限り、ダメですね。

自分の意識を、100%「相手」にフォーカスさせること。「自我」を脱し、自分のコミットメントに、立ち位置を置くことに真実があるのかなと。「相手」のためだったら、厳しいことでも、何でも言う。売り込みに聞こえようが、言う。でも、あくまで礼儀とのバランスをとる。

その世界には、もはや「セールストーク」も「売り込み」も何も存在しない、純粋なコミットメントが、あるだけなのかもしれません。これこそ、究極の美ですね。

リクルートでトップ営業を経験し、現在NYCでビジネスを展開されているK氏にお会いしました。

今回の会合の目的は、営業の極意を伝授していただくこと。
韓国料理を32nd Stでごちそうになりながら、いろいろとご教授いただきました。

まず、営業は「数をこなす」ことが基本であること。
数を最大限こなすことで、言うことにも慣れてきて、アポや成約の確率も上がるということ。これは、本で読んだことと同じで、簡単にできそうでいて、頭を空っぽにしないとできませんね。

リクルートでのやり方として語ってくださったことは、「断られてから営業がはじまる」ということです。まず1回目を断られたら、2回目は提案を変える。提案を変えてダメなら先方の担当者を変える。それでもダメなら、こちらの営業マンを変える、と次から次へと方法を変えて提案をするそうです。

私は、コンサルティング会社に勤めていたため、提案書はいつも理詰めで作っていました。提案資料で、どうでもいいような言い回しに神経をすり減らした記憶があります。あまりにも理屈ばかりの世界であったため、自分はリクルートのように、もっと泥臭く人間臭く攻めるようなやり方に、密かに憧れを抱いていました。

今、リクルート出身で活躍している経営者の方々も知り合いにいるらしく、彼らの秘話も聞くことができて、大変有意義でした。
Kさん、ありがとうございます。

How I Raised Myself from Failure to Success in Selling


またまた長いタイトルの本ですが、この本は、50年以上読まれ続けているセールスの名著です。
アメリカで保険のトップセールスマンになったFrank Betgerという人のセールスの心得を説いています。

読んでみると、書いてあること自体はすごくシンプルです。
一番最初の数章だけにも、とても重要なことが書いてあります。
しかし、理解するのは簡単で、継続的に実行するにはやはり自制心が必要だと思われます。

たとえば、3章に書いてあるのが、「記録をつけろ」ということ。
一日に何本電話をかけて、そのうち、どのくらいの人と会話をして、何本アポイントメントがとれたのか、それを計測しはじめた途端、成績が急激によくなった、とのことです。

確かに、時間や仕事量を計測してみると、自分が意外と仕事をしていない、ということがよくわかります。それを認識すること自体によって、自然と効率化が実現するのは、不思議なことですが、本当に起こります。

こんな簡単なことでも、実際にやってみる人は少なく、さらに継続してできる人は本当に一握りなのでしょう。この本に書いてあることは、そういった基本であり、継続してこそ価値のある、珠玉のアドバイス集です。

営業の上で必要なことは何なのだろうかと考える上で、最近身に沁みてきた考え方として、

「営業」を捨てる。

ということがあります。
売るとか、買うという概念を捨てる、ということです。

頭の中から完全に自分の利害を消し去り、「この人の未来の為に最善を尽くす」という場所から会話をスタートします。
仕事の質と顧客への価値へコミットメントを置き、そこから会話を続けると、お客様にもご理解いただけるものです。

最近も、明らかに自分が不利な状況で提案したにもかかわらず、私の提案をご検討いただいた方に私から買いたいと言われ、自分でも驚きました。
「売上機会」という面ではほぼ絶望的だったのですが、ひたすらその人の利益になる提案を続けたことに対して、価値を認めていただいたのかもしれません。

トップセールスマンと言われるような人の中には、モノを売っているのに売っているように見えない人がいます。

そういう人は、会話の中で作り出す客の将来像や可能性がそのまま商品の提案になり、その提案は客から「あ、いい機会だ。欲しい」と思われるだけです。
そして、お客がそれを手に入れるために必要なことが、たまたま財布の中から札を何枚か抜き取ることだったりするだけなのです。

売らずに売る、禅的ですがこれがセールスの極意なのかもしれません。

…いえ、もしかすると、そもそもセールスという言葉の存在するコンテクストに生きる必要がないのかもしれません。

本日のリーダーシップ研修では、あるアメリカ人の営業マンが、自分の営業スタイルについて悩んでいる人が、話をシェアしていました。

その男の人は、自分の商売において、他人にモノを売るときに、後ろめたい気持ちになってしまうそうです。自分が稼いでしまうことに対して後ろめたい思いがあると言います(アメリカ人でもこういう人はいるんですね)。それで、売るときにどうしても「売り込むつもりはないんだけど」と言ってしまう。

しかし、私は、営業マンはそんなことを言う必要はないと思います。

「売り込む・売り込まない」という軸を持っているから、そういう発言が出てしまいます。「売り込むつもりはない」という瞬間に、「売り込んでいるのか、いないのか」「それが、いいのか、悪いのか」という価値判断基準を自動的に持ってきてしまいます。そうすると、本来重要な判断基準である、「お客様にとってその商品は価格分の価値があるのか・ないのか」ということに、話の軸が集中しないと思うんです。

お客様にとって、本来大事なのは、「いくら払って、どのくらい戻ってくるのか」ということだけです。純粋に、そのことにフォーカスすることがお客様のためであり、それ以外のことに関しては、言葉を使わない、ということが重要だと思います。

昼頃、ある電話がフロリダからかってきました。
それは、私のビジネスに関する、あるサプライヤーでした。

「昨年一度お買い上げになったと思うのですが、今年もいりませんか」という内容でした。

私は押売りっぽさを感じたので、条件反射で「いや、買うつもりはないよ」といいました。

先方は、あきらめた様子はなく、それでも商品購買の可能性について語りはじめます。ある時点で私は面倒くさくなってしまいました。

しかし、ふと「商品A」のことが思い浮かびました。
商品Aというのは、私が「あったらいいな」と思っていた架空の商品で、絶対に実在しないと思っていました。断る口実にもなるので、試しに聞いてみました。

「商品Aはありますか?」

そうすると、先方は

「ええ、もちろんありますよ」

私は、商品Aを作るのは不可能だと思っていたので、どのように作ったのかを聞きました。そうすると、納得のいく説明をしてくれます。

もし、商品Aがあれば、現在自分の行っているビジネスのマーケティングに多大なインパクトを与えます。とりあえずFAXで、その商品の概要を送ってもらいました。

そのFAXシートには驚くべき内容が書かれていました。
1年以上、この商品がないものと勝手に信じ込んでいたのですが、非常に大きな機会損失をしていたことになります。

全てはこのセールスマンのコールドコール(フォローアップ?)のおかげです。

押売りセールスマンの時代は終わりつつある、ということをおりしも「平成・進化論」の鮒谷さんがご自身のメルマガでおっしゃっていたのですが、今日の私は、押売りセールスマンに助けられました。

損害保険の事業をはじめてから、営業電話を頻繁にかけるようになりました。
実は、この営業電話(コールドコール)、ずっと前からやってみたかったのです。

相手が忙しいところを、いきなりこちらの都合で電話をかけるわけですから、こちらも気を遣います。気軽な気持ちでできるものではありません。
こちらがアポイントメントを求めても、断られることの方が圧倒的に多いわけですから、精神的にもかなりきつい労働であることは間違いありません。

私は、このコールドコールというものに対して、漠然とした恐怖感をもっていました。なぜなら、自分に無神経な営業電話がかかってきた場合には、怒って一刻も早く追い払おうとするだろうから、相手も同様に考えていると思ったからです。

しかし、思ったよりも、恐怖感はありませんでした。目指すのは、利益をしっかりと出しつつ、お客様と双方にとって長期的に良い関係を築くきっかけ作りです。
自分と商品に自信があり、相手にとって自分が役に立つ確信があれば、どれだけ断られてもそこまで落ち込まないものだな、と思いました。
しかも、実際にやってみてわかったのは、むげに断る人も少なく、丁重な対応をしてくださる方がほとんどです。

私が特に気をつけているのは、「人間対人間」の会話を心がけること。
何回も電話をかけて、言うことを覚えてしまうと、無機質な営業トークになりがちです。それを、なんとか、自分の心を込めて、人として会話をしよう、としているのです。

前に勤めていたコンサルティング会社では、多くの企業と異なり、顧客の新規開拓はマネージャーやパートナーの仕事なので、入社数年目まではプロジェクト内での作業の方が多く、営業活動は一切ありませんでした。

それは、精神的には確かに楽でしたが、他の企業で新人が、厳しいノルマの中で、果敢に新規開拓営業にいそしんでいるのを見て、自分は、この時期にすべき重要な修行を、していないのではないか、と思うようになりました。

それが、今できているわけですから、この状況に感謝しなければならないと思います。まだまだめざましい結果は出ていませんが、引き続きがんばろうと思います。

アメリカの人気ドラマで、"Lost"というものがありますが、今週は非常に示唆にあふれた話でした。

"Lost"というドラマでは、飛行機墜落事故に遭った数十名の乗客が南の孤島にとりのこされ、そこでサバイバル生活をするという設定です。

このドラマがヒットした何よりの要因は、人物描写が極めて深いことです。孤島のサバイバルで集団生活をしていく中で、いろいろな争いごとがおきます。しかし、それぞれの人物の、孤島での行動は、過去にその人が体験した出来事によって築かれた価値観によって決まっているわけです。

ドラマでは、それぞれの登場人物が、飛行機事故の前にどのような生活をしていたか、どのような体験をしたかを、フラッシュバック形式で見せます。それにより、視聴者は、その人物が持っている執着や信念を理解し、なぜ、その孤島で、特定の行動をとっているのかに、共感することができるのです。

そして、視聴者は、時に現実世界でも遭遇するような、人間関係の埋めることのできない溝や、気持ちのすれ違い、また共感を、自分の体験と重ねあわせることができるのです。

今週は、詐欺師であるソーヤーの物語。

詳しいストーリーは言うとつまらないので、省きますが、この詐欺師が面白いことを言っていたのです。

"Long Con"という、詐欺の究極的な方法があると。

これは、詐欺師が、単純にトリックを使って相手をだまし、お金をぶんどるのではなく、だまされる側が、あたかも自分の意思でお金を詐欺師に与えたかのように仕組む、というのがその定義らしいのです。

"Long Con"では、欲しいものを直接求めては絶対にいけない。
その欲しいものをあげる、と言わせるか、自然とその欲しいものが自分の所に転がりこむように、間接的に人間関係を操作しなければならないのです。

ソーヤーが孤島でやったことは、集団の中の人物同士の利害関係を見抜き、あくまで部外者としてあちこちに憶測を流すことで、集団の中で対立状態を生み出し、その隙に彼が最も欲しがっていたあるものを手に入れるのです。



話は飛ぶのですが、会社の営業やマーケティングでも、この詐欺師の考え方は極めて有効です。もちろん詐欺なんてするわけにはいきませんが、

「その商品が買われたことが、その購入者の自立的な意思で行われた」

と思わせるしかけや演出を作ることは、非常に重要ですよね。

なんだか、お客さんをだましているみたいですが、ある程度こういう考え方は、毒にならない程度に必要なのではないかと思います。それは、お客さんのハッピー度につながってくるからです。いい商品でも、売り込まれたのと、自分の意思で買ったのでは、満足感が全然違います。

売り込みをしそうになったときには、この詐欺師のストーリーを思い出すことにします。

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