人間思索

July 18, 2007

forgiving

今日チラッとLarry King Liveを見たら、幼い娘を殺された父親のインタビューを少しやっていたので、しばし見入ってしまいました。

3年前に起きたこの事件ですが、父親は憤慨がおさまらず、被告に怒りをぶつけていました。「被告が死ぬまで苦しみを味わうことを心から願う」「極刑を望む」と強い口調で言っていました。
彼にはそういう言葉を使う権利が十分にあるように思えます。幼い娘を拉致され、暴行され殺害されたことを考えれば、被告を許すことなど決してできるものではありません。

しかしながら、思い出してしまうのが、1年前くらいに見た別の裁判の様子。
息子を殺された母親が、被告席にいる連続殺人鬼に向かって、「正直に全てを語ってくれてありがとう。私はあなたを許します」と言っていたのです。

これには驚愕しました。彼女には、被告を憎む理由と資格がいくらでもあるのに、「全て許す」というのです。


悪人を憎むのは、自然なことであるように思えます。
それなのに、悪人に対する恨みで心が満たされている人には、自由も希望もなさそうに見えます。

逆に、恨みを手放して許しを与える人には、希望に満ちた人生がこれから広がっているように見えます。


親族を殺されて「犯人を恨むな」「許せ」などと、経験者でない私はとても言えるものではありません。
しかし、逆立ちしても変えられない現実が目の前にあるのもまた事実。
それに対しては、パワフルに意思と行動を選択したいものだと思いました。

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July 10, 2007

the power

パワーをとるか、快楽をとるかの選択肢を迫られるのが、毎回の食事。

往々にして、ファーストフードの店に行ってハンバーガーをとるか、野菜をとるかの選択に迫られます。

私など、普通にしていると、体は肉、脂、炭水化物を求めているわけなので、野菜などには目がいかず、ハンバーガーを頼みたい衝動にかられます。
しかし、健康な食事の基本は野菜中心の食生活であることを頭ではわかっています。

そこで、ハンバーガーを注文すると、体はとても満足します。
やはり肉はおいしいからです。
しかし、食べた後でどことなく罪悪感が残ります。

ここで、あえてサラダを注文すると、どうなるか。
ハンバーガーほどおいしくないので、一時的な食欲は満足しません。
しかしながら、「注文すべきサラダを注文した」という精神的な充足感が内からわいてきます。

健康な体を維持する、という自分の信念と行動が一致したから、そこからパワーが生まれる、というわけです。こういうパワーというのは「そこに快楽や苦痛があるか」ということとはあまり関係がないようで、ともかく自分の言葉を守るか、それを信じられるかどうかということにかかっているように思えます。

自分の言うことが自分で信じられると何が良いのか?
段々と、自分の発する言葉が力を持ち、現実を形作っていくようになると思うのです。

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June 03, 2007

myself

自分の声を録音して聞くと、ぞっとします。
他人の声は、全てOKなのに、自分の声だけは変に聞こえます。

大学の時に、アイスホッケー部に所属していたのですが、練習や試合のビデオを毎回必ず撮っていました。
その時に自分の姿を見て思ったのですが、何ともひどく不恰好なのです。
滑り方やフォームは格好悪く、見ていられません。
しかも、発する声を聞くと最悪です。確かに、自分が言った言葉であるのに、ひどく違和感があるのです。

そんな自分の姿を客観的に眺めると、ずいぶん落ち込んだような気がします。

一方、他の人に意見を求めると、「いや、お前のフォームは良い。オレのは最悪だ」と言います。

ところが、こういうビデオによる反省も続けていくと、段々と自分の姿を見ることに慣れていきます。ひどい自分の姿も、客観的に見ることができるようになるということでしょう。

私は、セミナーをやっていますが、どのようにお客様に写っているかわからないので、今度ビデオに撮ってみたいと思います。



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May 31, 2007

blood type

血液型で人の性格を判定するのは、日本人だけらしいです。
自分の血液型を知っているのも、世界的には珍しいようです。

たまに、「JimmyさんってO型でしょ」とか「A型でしょ」とか言われると極めて困ります。血液型による性格診断をまるっきり信用していないからです。
「そうですかねぇ」と言っていつもごまかしていますが、ごまかしてばかりもいけないので、次回は「血液型信用してないんですよ」とでも言うつもりです。

血液型による性格診断に、科学的な根拠は全くないそうです。
それなのに、あまりに多くの日本人が信じている(もしくは信じているふりをして楽しんでいる?)というのは不可解です。

大抵の場合、性格診断というのはあたるものです。

どんな人でも、いろいろな側面があるのだから、当たり前です。どんな人でも適当な側面、しっかりした側面、積極的・消極的な側面、エキセントリックな側面、いろいろな面を持っているものです。だから、あなたは○○な人、というのは大抵当たるに違いないのです。
もしくは、当たらなかったとしても、「そんなこともあるかな」くらいに考えるだけでしょう。

こういう性格診断で問題なのは、自分の可能性を狭めてしまうことだと思います。
どうせ自分は○型だから、自分の○○な性格は直らないんだ、と開き直ることは最悪だと思います。こういうものは、そこまで深刻にならずに楽しみたいですよね。

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May 30, 2007

no ground

今まで、自分でそれなりに成果をあげてきたことを振り返ってみると、常に「根拠のない自信」があった様に思います。


他の人の話を聞いても、その人が何かできる証拠は何もなかったけれども、何となく自信があってやり遂げてしまった、ということをよく聞きます。

根拠のない自信がどこから生まれてくるのか、それは根拠がないのでわかりません。


しかしながら、よくよく考えてみると、あることが達成されることを、その人は前から何となく想定しているわけです。達成していないものを、達成できるかのように感じることができるということは、何らかの事前体験が必要であることは確かであるように思います。

私は、ハイパフォーマーの本などを読んだり、話を聞いたりすることによって、「同一化」を経験し、そのような自信を得ることができるのではないかと思います。

常人では成し得ないことを達成した人の思考や言葉に常に触れ続けることで、困難に遭遇しても常に前向きで力強い未来を思い描いて進むことができるわけです。

世の中には、観客席に座って批判だけ飛ばす人があまりに多いものです。
そういった言葉を発することから自分を遠ざけ、頭の中で創り出したヒーローの中に理想の姿を築きあげていくと、その中から根拠のない自信がわき出てくるのだと思います。


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May 28, 2007

brainwashed

昨日のブログでとりあげた記者は、同宗教の有名人メンバーに、「あなたはひょっとして洗脳されているんじゃないのか」ということをしきりに聞いていました。

誰かに向かって、「あなたは洗脳されている」と言うのは、侮辱以外の何物でもありません。なぜなら、洗脳されているかどうかは、本人では絶対にわからないからです。だからこそ、「洗脳」されているのです。

だとしたら、その質問は、聞くだけムダなのです。言ってもムダなことをあえて言うのは、相手を貶めたり、挑発したりする意図があるからで、プロの記者がそのようなことを言うべきではありません。

洗脳について語る時に注意すべきことは、「他人の洗脳を指摘している自分は、何かに洗脳されていないか」ということです。世界に誰一人として、「自分が洗脳されている」ということを知っている人がいるはずはありません。


しかし、一方「普通」の人生をおくっている自分に対して、「自分は何かに洗脳されているかも」と仮説を置いて質問することは、新しい世界を開くきっかけになるのではないかと思います。

例えば、オウム真理教の事件が起きた時、ほとんどの人は、同教団の人たちは教祖に洗脳されている、と思ったのではないでしょうか。私もその一人です。

ただ、「この教団は洗脳集団だ」と、限られた情報から疑いなく断定できるとしたら、そのこと自体の方が問題だとおもうのです。その断定の裏には、「自分の情報判定能力には、曇りがない」という慢心(=自分は洗脳されていないという根拠のない主張)が隠れていると思います。


新しい世界が開けた時に、「自分の視野は狭かった」という開きを経験することは社会生活をおくる上で多々あると思います。「自分には、まだ知らないことがあるんじゃないか」「今までの限られた自分の人生経験では、答えを出せないことがあるんじゃないか」と言った問いかけは、知的好奇心を刺激し、新しい可能性を広げてくれます。

「自分は何も知らない」という土台に立つようにしたいものです。

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May 13, 2007

nothing is wrong

ブログを生真面目に毎日更新してきて1ヶ月4ヶ月経ち、遅れが出ながらも取り戻しながら書いてきたわけですが、どうも完璧主義(完璧にはなれないのを承知であるにもかかわらず)がジャマをして、一時ストップしてしまいました。

自分がやると言ったのに、やらない - これほどパワーを奪われるものはありません。

仕事が半端じゃなく増えてきたということも、考えてみればただの言い訳です。
一日15分程度、ブログを書く時間など、とれないはずがないのですから。

こういうものも、義務化してくると、段々苦痛になってくるものです。
しかし、原点に立ち戻って、また途中から書きはじめたいと思います。
そもそも、自分の身の回りで得たインスピレーションを共有する、というのがそもそもの目的です。ネタはいくらでもあるので、無様ながらドンドン出していければと思います。

考えてみれば、何も悪いことは起きていません。

"Nothing is wrong"

この上に立って、常にまた新しくはじめたいと思います。

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April 17, 2007

game

子供の頃、かくれんぼだとか、ドッジボールだとか、将棋だとか、ゲームばかりやっていたような気がします。

ゲームが終わると、勝ち負けが決まって、喜んだり悔しがったりするわけですが、ゲーム自体にはほとんど意味がありません。ドッジボールなんて、ボールぶつけ合うだけ。痛いだけです。

しかし、ゲームの最中はとにかく一生懸命で、生きている実感を何より味わうことができました。意味のないものに、なぜあれほどの熱意と集中力を持ってやれたんだろうと、今では不思議に思います。その時のモチベーションは、「勝ちたいな」くらいのものです。

大人になると、やることが意味あることばかりのように思えてきます。
あるいは、意味あることしかやらないべきであるように見えます。
自分のやっている仕事の意義を考えたり、勉強の効率を考えたり、稼げるお金の金額を考えたり、価値のありそうなものに目が向きます。

しかし、どうも価値のあるものが本当に存在するのか、疑わしくも思います。
ある人にとって価値のあるものは、他人にとっては全く価値がありません。

仕事がつまんなくなったり、燃え尽きたりする人も、元々その仕事に何か意味があると思っていたからこそ、逆にその「意味のなさ」に耐えられなくなるのではないでしょうか。

だったら初めから、「今やってること全てに意味がない」と割り切ればいいようにも思います。
その上で、ゲームをはじめたらいいのではないかと思うんです。
「勝ちたいな」と思って無我夢中で遊ぶゲームの方が、意味のある物事よりもよっぽど楽しそうです。

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April 06, 2007

the party

ずっと前から企画していたパーティが、ついに実現しました。
オフィススペースのテナントを招いての、異業種交流パーティです。

受付のウースラと、ワインやピザ、サラダなどを買って準備しました。
今日は、イースター前の金曜日(Good Friday)ということで、それほどオフィス内には人がいませんでしたが、4:30ごろには人がボチボチと集まり始め、15人くらいが会議室に入っていました。

ついに実現した…という感じです。
自分が人と一人一人話しながら参加者を集め、こういう会を開くなど、今まで考えられなかったことなので、感無量でした。

SNSのサイトを運営している人、韓国の放送局に情報を提供している人、NPOを運営している人、経営コンサルタント、今まで通りすがりに会釈をしていたいろいろな人たちの顔が見えてきて、初めてお互いに人間同士として触れ合う機会を作ることができました。

時間が経つにつれ、段々参加者が減ってきましたが、またぜひ企画しよう、ということで、良い形で終了することができたように思います。

参加した人も、皆感謝の言葉を述べてくださり、純粋な感動を味わうことができました。
こんな小さいパーティでも、やってみると自信になるものです。
帰り途に、パワーがみなぎってくるのを感じました。

jimmy_nyc at 13:23コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!

April 02, 2007

not about me

最近、見ず知らずの人に話しかける時、話しにくい人に話しかける時の秘訣。

"It's not about me"

とつぶやくことです。

誰かに何かを話しかける、コミュニケーションをはかろうとする、ということは相手に何かを求めている、と言うことができると思います。

しかし、「自分」のために相手に何かしてもらおうと思うと、問題がおきてしまいます。「自分」を守るためのプロテクションシステムが作動してしまうのです。

このプロテクションシステムは「変なことを言って恥をかいたらどうしよう」とか「嫌われたらどうしよう」という思考を頭の中に生み出し、円滑なコミュニケーションを阻害します。

1対1の関係から「自分」を消して、相手の世界に入ろう、相手に貢献しようという純粋な気持ちだけから会話を発するとき、緊張がなくなります。
そして、何を言われても、傷つかなくなります。

相手がいくらバリアを張っていても、どんな反応を見せても、自分を守る必要がなければ、傷つく必要はないと思うんです。


jimmy_nyc at 13:18コメント(0)トラックバック(0)  この記事をクリップ!
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