以前、"一人観覧車"という記事を書いたことがありますが(一部からはもうしつこいと言われそうです)一人で日本の裁判所を傍聴しに行ったことがあります。
あれは、大学4年生の終わりごろのことでした。
友人はみな卒業旅行に行っていたのですが、私は特に旅行にも興味がなかったので、自宅でビデオを見たりと、気ままに過ごしていました。
ウチでダラダラしていると、ふと"無意識君"が、
「おい、お前何もしないんだったら、裁判でも見に行けよ」
と言います。
また突拍子もないことを…。
「高校の時、裁判はタダで見にいけるって習っただろ」
数時間後、私は東京地方裁判所の前にいました。
中に入ってみると、受付らしき場所のあたりに、今日とり行う裁判のリストが書いてあります。
リストを見てもよくわからないので、とりあえず、適当にエレベーターに乗って、いくつかの法廷を覗いてみることにしました。
法廷の中には、誰でも自由に入れます。一部の有名なケースだと、抽選になりますが。
私は、生の法廷シーンに、胸を躍らせていました。
ある法廷の中から、声が聞こえてきたので、そこにこっそりと入りました。
中にはある犯罪を犯してしまったとされる被告が、うなだれています。
裁判は、ちょうど始まったようです。
その後、原告が出てくるはずだったのですが、なぜか原告は被告の顔が見たくないらしく、なかなか出てきません。
裁判官は、「どうしましょうかねぇ」などと言っていて、弁護士に「困るんですけど」などと話していました。テレビでは本物の裁判は見られないため、こうした裁判官の人間味ある言葉というのが、いちいち新鮮でした。
その後、いくつかの法廷を出入りしました。覚せい剤でつかまった息子のために、母親が泣きながら懇願する姿があったり、検事が厳しく被告を追及する姿があったり…。
アメリカの陪審員選定プロセスを経験した後で思い返すと、日本の裁判は、けっこう淡々と進むなぁ、という印象がありました。どちらかというと、弁護士・検事は裁判官に対して主張をするため、彼らの間で言語が通じれば良い、といった感じで、特別な感情表現もありません。
それに比べて、アメリカの裁判は、陪審員を巻き込むため、わかりやすい言葉で、感情的に表現する部分が非常に大きかったと思います。今後、裁判員制度が導入されると、弁護士や検事も、表現力、というのが大きな要素になるのでしょう。
裁判所は、決して楽しむためにあるところではありませんが(反省)、社会のしくみを実感する上で、とても良い場所であると思います。社会についてのいろいろな示唆を得たい人は、足を運ぶのもおもしろいかもしれません。
あれは、大学4年生の終わりごろのことでした。
友人はみな卒業旅行に行っていたのですが、私は特に旅行にも興味がなかったので、自宅でビデオを見たりと、気ままに過ごしていました。
ウチでダラダラしていると、ふと"無意識君"が、
「おい、お前何もしないんだったら、裁判でも見に行けよ」
と言います。
また突拍子もないことを…。
「高校の時、裁判はタダで見にいけるって習っただろ」
数時間後、私は東京地方裁判所の前にいました。
中に入ってみると、受付らしき場所のあたりに、今日とり行う裁判のリストが書いてあります。
リストを見てもよくわからないので、とりあえず、適当にエレベーターに乗って、いくつかの法廷を覗いてみることにしました。
法廷の中には、誰でも自由に入れます。一部の有名なケースだと、抽選になりますが。
私は、生の法廷シーンに、胸を躍らせていました。
ある法廷の中から、声が聞こえてきたので、そこにこっそりと入りました。
中にはある犯罪を犯してしまったとされる被告が、うなだれています。
裁判は、ちょうど始まったようです。
その後、原告が出てくるはずだったのですが、なぜか原告は被告の顔が見たくないらしく、なかなか出てきません。
裁判官は、「どうしましょうかねぇ」などと言っていて、弁護士に「困るんですけど」などと話していました。テレビでは本物の裁判は見られないため、こうした裁判官の人間味ある言葉というのが、いちいち新鮮でした。
その後、いくつかの法廷を出入りしました。覚せい剤でつかまった息子のために、母親が泣きながら懇願する姿があったり、検事が厳しく被告を追及する姿があったり…。
アメリカの陪審員選定プロセスを経験した後で思い返すと、日本の裁判は、けっこう淡々と進むなぁ、という印象がありました。どちらかというと、弁護士・検事は裁判官に対して主張をするため、彼らの間で言語が通じれば良い、といった感じで、特別な感情表現もありません。
それに比べて、アメリカの裁判は、陪審員を巻き込むため、わかりやすい言葉で、感情的に表現する部分が非常に大きかったと思います。今後、裁判員制度が導入されると、弁護士や検事も、表現力、というのが大きな要素になるのでしょう。
裁判所は、決して楽しむためにあるところではありませんが(反省)、社会のしくみを実感する上で、とても良い場所であると思います。社会についてのいろいろな示唆を得たい人は、足を運ぶのもおもしろいかもしれません。