Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

カテゴリ: 金融道場

他人が何かを分析した結果を見たり読んだりすると、「それって、結果ありきじゃないの?」と思うことがあります。

例えば、最近、株が大幅に下がったことがありましたが、その時新聞は「米国経済の先行きが懸念され、株が下がった」などと言っていました。
しかし、その後株価が一時戻ると、今度は「市場は堅調との見通し」などということが言われます。説明がつかない場合には、「混乱の気配」などという分析がされます。

しかし、これらの言葉には全く根拠も意味もありません。
株が上がったか、下がった、それを見るのは簡単ですが、「次はこうなる」と予測できることに、分析の意味があるはずです。実際には、次に起こることを的確に予測できる人は滅多にいません。

このように、何か分析をして、知った気になるが、全くその分析結果が役に立っていない(もしくはただ言っているだけ)、ということは世の中にたくさんあると思います。

私も、むやみに分析をしたがるので、例えば誰かと会っても、「この人はこういう性格だ。過去にこんなことがあったに違いない」などと勝手に頭の中で話を作り上げ、分析してそれに酔うのは日常茶飯事でした(今では、それをほとんどしませんが)。

それは、自己重要感を得られる楽しい作業なのですが、それをした瞬間に自分がその人に対して持っている先入観や偏見がそのままコミュニケーションの中に現れてしまいます。

相手が可能性に満ちた存在である、という敬意すら払わなくなってしまったら、何の意味も根拠もない分析のやりとりを交換し合うだけの乾いたコミュニケーションになると、今ではそう思っています。

以前、生命保険のセールスの場にたまたま居合わせた事があります。
その時、営業マンは一生懸命パンフレットで説明をしているのですが、説明を受けている方は、どうでもいいといった感じで聞き流しています。

そのうち、説明を受けていた方が、「保険一つ買ってあげるから、この○○という商品を買ってよ」と逆セールスをかけていました。

「保険一つ買ってあげるから○○を買え」

こういう人とは、絶対にバーター取引するべきではないと思います。
保険は、営業マンが頭を下げて、条件付きで買ってもらうようなものではないのです。買う人は、必要だから買うんです。
「みんなが入っているから」「営業マンの人柄がよさそうだから」という理由もあるでしょう。しかし、本来的な保険必要性を0から考えることなしに、保険を買ってはいけないし、プロだったらそういう人に売ってはいけないと思うのです。

もし、買う側が保険の効用を軽視して、営業マンに取引をもちかけるようであれば、営業マンはその時点で売るのをキッパリと断るべきです。
営業マンで終わるか、保険のプロとしてのプライドを保つかは、その時点で判断されるはずです。

その後、彼が保険を買ったのは未定ですが、良い戒めとなったような気がします。

同一区域に住む複数の方から、ある金融業者から詐欺を受けた、という話をお伺いしました。

これに巻き込まれた人は、大変気の毒なことですし、何があってもその業者以外に悪者はいないはずです。しかし、一件正しいことをしているようで、うまい話を持ちかけてくる人はたくさんいて、誰よりも気をつけなければならないのは消費者です。

誰もがわかっていることなのですが、うまい話には、必ず裏があるのです。
実際には多くの人がやりたがらないストレスのある仕事が含まれていたり、実は長期でみるとコストがかかっていたりします。勧めている人も、たいていマンガに出てくるような悪徳セールスマンのような顔はしていないもので、本当に善か悪かは結論できないケースが多いのです。

そこで、振り返らざるを得ないのは、自分が提供している商品についてです。
いくつかの商品の中には、「こんなにうまい話があるのか!」と思ってしまうようなものがあります。商品の説明をしていると、お客様の眉間にしわが寄ってくるようなこともあります。

こういう商品の場合、必ず、どこかで消費者が損している部分、負担を負わなければならない部分というのはあるんですね。
ところが、ある家計の状況によっては、その損の部分をあまり損として認識しないケースがあって、その場合にのみ「その商品はこのケースでは有効」という結論を出せるわけです。

そういったことを、きちんと説明するのは、自分のような知識商売においては最重要と心得ています。

結論としては、自分のよく知らない領域で大金をはたいて儲けようとすると、必ずコケるし、成功したとしてもそれに「再現性」というものがないんです。それを身に沁みて認識すべきだと思います。

アメリカに来てから、日本では考えられなかったような経験をして、仕事術を磨いてきましたが、その中でも強烈だった「ユダヤの教訓」があります。

こんなことがありました。

ロングアイランドで、フィナンシャルプランニングの事務所に勤め始めた頃のこと。
ボスはユダヤ系アメリカ人です。

ある、IRA(退職年金勘定)の質問について、調べたいことがありました。
そこで、担当の企業に電話をして、質問をました。

担当者に電話をかけると、「その取引では、口座からお金を引き出すとペナルティがかかる」という回答を得ることができました。

私は、その結果をボスに伝えると、

「わかった。Jimmy、もう一回同じ電話番号に電話をかけろ」

「え。だから、回答はすでに担当者からこう直接きいたんだけど」

「まぁ、その回答が正しいかどうかはどうでもいい。一応、もう一回電話をかけてくれ」


「もう答えがわかってるのに面倒だなぁ」と思いながら渋々電話をかけてみると、今度は違う担当者が出ます。

そこで、同じ質問をします。

そうすると、今度は、「その取引では、引き出してもペナルティは一切とられないはずだ」という、先ほどとは正反対の答えが出てきました。

「はぁ…?」とあっけにとられていると、ボスは勝ち誇った顔をして、こちらを見ています。

「はじめから、答えがわかっていたのか?」と聞くと、

「いや、答えは知らなかったけど、だからこそ複数の人間に聞かなければならないんだ。こういうことはよくある」

今度は、ボス自らが、再び同じ電話番号に電話をかけ、「お前の上司を出してくれ」と聞きます。その上で、先ほどの質問を繰り返し、「あなたの事務所から、異なる回答が出ている。責任者の人にきちんと明らかにしたいと思って電話をした」と言います。

今度は、きちんとルールの根拠や背景を、知識の豊富な担当者から聞きだしたので、ボスも非常に満足したご様子。


「人によって、回答が異なるのは理解できるけど、これじゃぁ人をまるっきり信用してないみたいだ。毎回何かあるたびに、2回以上電話かけないといけないのか」

と聞いてみると、

「そうだ。日本じゃどうだったかしらないけど、こうやらないとやっていけないんだよ」

とさらりと言ってのけます。


何千年もの間、侵略と占領に血塗られた歴史を、彼の背中に見た気がしました…。

投資の基本は、投資額に対して、リターンがいくらあったか、ということです。
非常に簡単な考えなのですが、通常の投資活動には、いろいろなバイアスがかかります。

10円投資して、12円返ってきたら、プラス。投資成功。
8円返ってきたら、マイナス。投資失敗。

乞う見ると簡単なんですが、現実世界になると、いろんな噂やまことしやかなセオリーが市場を支配するんですね。

たとえば、「金利の安い時にお金を借りて家を買え」ということ。
半ば常識化しているこの理論ですが、実は盲点があります。金利が低い/高いということは、投資金額を決める時の一要素でしかないということ。実際に投資する○ドルという額のうち、何%が金利で、何%が元本かということは、最も重要な事項ではありません。

たとえ金利が15%だったとしても、買った家の価格が割安であれば、リターンはプラスになりますし、金利が5%だったとしても、家の価格が高ければ、リターンはマイナスになってしまうのです。最終的な投資額は、投資期間を通して落していったキャッシュの現在価値の総計なわけですから、その数字を冷徹に見ることなしに、安易な投資をしてはならないのです。また、金利の支払いが多ければ、実はそれによる税控除額も多くなります。

この効果を見逃して意図とバイアスを持ったいろいろな人から意見を聞いて、何となく考えると、悲劇的な結果を生むことにもなりかねません。

誰かに「この投資案件がいい」などといわれたら、人間関係とバイアスをはさまずに、自分の頭で考え、数字だけで判断したいものです(ビジネス投資は別ですが)。

これからアメリカでは金利がどんどん上がり、家のInventory(在庫)が昨年の同時期よりも40%くらい増えているそうです。

「金利が上がっているから、家の購入を見合わせよう」と単純に思っている人が多い中で、冷たい視点で投資判断ができる人が勝者になるのかもしれません(決しておすすめしているわけではありませんのであしからず)。

ロングアイランドで、いろいろなアメリカ人の資産状況を見たり、実際にその家族と会話をしてみると、その家族が貯蓄に対してどういう認識をしているのかが、よくわかります。

よく「ユダヤ人は金の使い方が上手」だとか、「ユダヤ人は金持ち」だとかいろいろ言う人がいます。私が仕事をしていた場所は、ユダヤ系地区の真っ只中だったので、お客さんの多くがユダヤ系でしたが、ミクロレベルで見ると、ユダヤ系といっても、本当に千差万別です。浪費家もいれば、倹約家もいます。金持ちもいるし、きわめて貧乏な人もいるのが実際です。

で、貧乏な人はなぜ貧乏なんだろうと、思うようになりました。そこで、貯蓄についてその人がどういう考え方をもっているかを観察していました。

貧乏な人で多いのが、リターンにこだわり過ぎている人。たしかに、リターンは大事だと思います。私も、リスクとリターンを勘案して、最も投資対効果の高そうなところにお金を移動させましょう、ということは当然仕事がら言うわけです。

しかし、それだけのアドバイスではどうしても舌足らずのような気がします。
なぜなら、お金の使い方が悪い人、お金に対する習慣の悪い人にとっては、いくら儲けようと関係ないからです。

このことは、私自身もずいぶん失敗しているので、人のことは言えないのですが、日々の金の使い方が悪ければ、貯蓄時のリターンなど、何の意味もなしません。

たとえば、ネットバブルに踊らされて多額のお金を投資し、資産を半分以下にしてしまった人はたくさんいましたが、欲に目がくらみ、他人の教える夢のような出来事を妄信して、自分の責任能力を放棄してしまった典型的な例です。
たまたま運用成績が良くて、お金を得てしまったとしても、そもそも考え方の悪い人は、それを何か別の楽しいもの(家や車など)にすぐ使ってしまうわけです。こうなったら、リターン云々の問題ではなくなってきます。

逆に、リターンの低い金融商品にお金を寝かせておきながら、全く財政に問題のない人もたくさんいます。その際たるものは、タンス預金をしている人たちでしょう。


タンス預金、というのはリターン至上主義の時代において、不合理なこととみなされていますが、実際には「保守的なお金の守り方」の王道です。

もちろん、インフレにしたがって、お金の価値自体は目減りしていきます。
でも、特筆すべきなのは、タンス預金をする人たちの「習慣」の力です。
お金が入ってきても、余計なものは買わない、何かのためにとっておく、という行動パターンが身についているからこそ、率が悪くとも、とにかくお金が貯まるし、将来は安心なわけです。しかも、手に届く範囲にお金があるのに、使わないのですから、その自制心たるや想像を絶するものがあります。

誰かの目を気にして、いい車や家を買って見栄をはることよりも、内から湧き出る安心感を持って平和に暮らしているわけですね。

ある意味、これはすばらしい日本人の知恵だと思うんです。
リスクとリターンの世界は、えてして「リターン」しか目に入りません(いや、書いてて自分の耳が痛いです)。リターンを求めてしまったがために、限りない物欲と金銭欲に、身を滅ぼしてしまった例は、枚挙にいとまがないでしょう。


「金融商品なんかやめて、毎月タンスの中に1000ドル貯蓄してください」なんて言えるアドバイザーになるのもいいかも、なんて最近は考えています。



まぁ、こう書いている自分が、一番見習わなくてはならないことで、自分が非常に頭の痛い思いをしているんですが…。

先日、夜中まで飲んでいて、今朝は二日酔いのままボーっとしていたのですが、突然、自分の会社の社名がひらめきました。

新しい社名は

"Midtown Planning"

うーん、これだ!と思った社名は初めてです。

今まで一応"New Life Plan"という社名で運営していたのですが、実はあまり、この名前が好きではなかったのです。なぜかというと、この名前は、私がビジネス登録をしにいったときに"New York Life Plannning"で登録しようとすると、係員に

「名前に"New York"が入っていたらダメだ」

と言われたので、5秒くらい考えて、"New Life Plan"に変えたのです。

"New Life Plan"だと、シンプルでいいし、なんとなくやっていることもわかるのですが、どうも単調な感じが否めません。個性が出ていないのです。

では、なぜ"Midtown Plannning"がなのか?

パッと見ただけでは意味をわかっていただけないのが、確かに難点です。
なので説明しましょう。

まず、私のオフィスがMidtownにある、というのが理由の一つですが、もう一つ"Midtown"にこめられた象徴的な意味を解説したいと思います。

New York Cityの"Midtown"というのは、娯楽やショッピングの中心地です。
タイムズスクエアやブロードウェイでは演劇や映画の鑑賞、5th Aveでは買い物を楽しめるし、マディソン・スクウェア・ガーデンに行けば、スポーツ観戦も楽しめます。

いわば、この場所では「消費者がいつでも主役」なのです。
私は、この「消費者がいつでも主役」というメッセージを、Midtownという言葉に託しています。

金融業界を見渡してみると、その主役はWall Stを擁する"Downtown"に存在する企業群です。
消費者は、企業サイドで用意された商品を吟味することなく、時には一方的な売り込みで金融商品を買ったりしています。

この流れは今、変わろうとしています。


消費者が賢くなり、消費者が優位に立ち、消費者が意思決定を行う。
"Midtown Planning"は、そのためのサポートを行う、という意志表示の表れなのです。

そもそも、ブログのタイトルは「ミッドタウン」でやってきたのですが、これを社名にすることは思い浮かびませんでした…。

早速ドメインをとりましたし、現在サイトの大幅なリニューアルを一流のWeb Design / Marketing会社・Allonに任せています。できあがるのが楽しみです。



自分では「あまりにいい名前だ」と思ったので、日本にいる母親に報告すると、「ミッドタウン何とかは、よくわからないから、こっちで名前を考えておいてあげる」と言われました…とりあえず一晩寝かせてみます…。

本日の夜中に見たのは、Enron: The Smartest Guys in the Room (Ws Sub).

不正会計で、当時米国史上最大の破綻をしたEnronの実態を追ったBethany McLeanによるドキュメンタリー映画です。

「Enronの破綻は、会計上のテクニカルな面が強調されるが、実態は人間の強欲の物語だ」というのが、作り手のメッセージだと思います。

ケネス・レイやジェフ・スキリングといった経営陣が、いかにして欲にとりつかれ、銀行や会計事務所を巻き込んで、株の上昇のみを目的とした経営を行っていったかを追っています。

特殊な取引のスキームを利用して将来のバリューを売上に組み入れたり、実体のない取引を繰り返して架空の売上を作り出していたのです。



そういえば、私も、不正会計すれすれの提案をしそうになったことがあります。
コンサルティング会社にいた頃、ベンチャー企業の財務プランニングをしていたのですが、事業を組み立てて、図にしてみると、同じ価値の流れに対してグループ売上が二重に計上されていることがわかったのです。

これには、私は最初、「特に、問題はないだろう」と思って、見過ごしていましたが、経理担当によると、グレーゾーンであるとのこと。特殊な処理をしなくてはならないが、処理が面倒くさいので、「事業スキーム自体を変えてくれ」という要望が出ました。

こちらは、あるべき事業スキームを提案しているのに、経理の問題でそれができないとはバカバカしい、と思いましたが、かといって不正の可能性がある会計処理を見過ごすこともできず、思い悩みました。「この処理だけは大丈夫だ」と言っている人もいました。

その時に、いろいろな意見を聞いて思ったのは、解釈によって、ずいぶんと「不正」の定義というのは変わるもんだなぁ、ということです。思いがけず、不正になってしまった、というケースも多くあるでしょうし、意図して不正した、というケースも多くあるでしょう。


Enronのケースを見ていて、特に興味が沸いてきたのは、どこまで正しくて、どこまでが正しくなかったのか、ということです。

ドキュメンタリー自体は、非常に興味を喚起するものでしたが、経営陣が悪者、という前提で描かれているので、実際の会計の内容に対する、正邪のない透明な視点が欠けていたように思います。

機会があったら、ぜひEnronの会計の内容を詳細に見てみたいと思います。

金儲けに対する嫉妬心から、マスコミが寄ってたかって誰かを攻撃することは、典型的と言ってよいと思うのですが、福井総裁に対する世論操作は、常軌を逸していると思いました。

その最たるものは、以下のロジックに現れています。

- 日銀総裁は、庶民に対して、超低金利政策を押し付けた
- 一般預金者の利率は低いのに、それを押し付けた総裁は、投資で高い利益を出して儲けている
- したがって、総裁の行ったことは「悪」。総裁職を辞任すべき。


こういうストーリーが無記名だが発行部数の多い新聞の記事に載ってしまったり、テレビのニュースで流れたりする事実が、大変痛ましくて仕方ないです。私は以下のように思いました。


<超金利政策の是非>
超金利政策は、別に庶民を苦しめるために押し付けているものではなくて、企業の借り入れを増やし景気を活発化させるために行ってきたものです。したがって、「おしつけた」という意図があるはずはありません。

<投資での高い利益を出すことの是非>
投資をしたら、リターンを求めるのが当たり前だと思うのですが、それが高すぎると悪い、と言うロジックが理解不能です。その投資先が、(当時前科のなかった)村上ファンドが悪い、という説明は妥当性がありません。

<株主の責任>
株主は、自分が出したお金以上に、投資先に対するステークはないんです。別の言葉で言うと、経営陣が悪いことをしても、株主には責任はありません。そういう意味で、総裁の責任が具体的に何なのかがわかりません。

<自己責任問題>
低金利政策で利率が少なくて庶民が苦しんでいると言うんだったら、その「庶民」の自己責任だと思います。ファンドに投資した総裁は、お金を失うリスクも背負っていたのです。ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンという原則にしたがって、物事が動いているに過ぎないと思います。

何か抜けている論点があればどなたか指摘してください。

EPLI (Employment Practice Liability Insurance)という保険があります。

アメリカで、90年代前半からポピュラーになった保険で、会社が従業員に雇用時の差別や、従業員のセクハラで訴えられた時にその弁護士費用や慰謝料などを肩代わりする保険です。

この保険は、訴訟社会であるアメリカならではのものなので、日本で普及するのは当分先のことになるでしょう。しかしだからこそ、日本からアメリカにやってくる企業は、細心の注意を払わなければならない分野です。
なので、私は営業活動と同時に、この保険のことについて、もっとたくさんの人に知ってもらおうと考えています。


さて、この保険の機能自体は置いておいて、今日私がしたいのは日本語訳の話です。

現在、数少ない日本語の情報源で、これがどう訳されているのか、ということなのですが、通常の場合

「雇用慣行賠償保険」

と、訳されています。確かに、逐語訳としては最も正しいといえるでしょう。

しかし、私は、あえてこれに異を唱えたいと思っています。
なぜかというと、「雇用慣行賠償保険」だと、単純によくわからないからです。

そこで、私は通称として、以下の言葉を使って説明していきたいと思います。

「差別・セクハラ賠償保険」

この方が、なんとなく、意味がスッと頭に入るし、必要性を認識しやすいのではないかと思います。

確かに英語ではEmployment Practice(雇用慣行)なので、訳としてかなり逸脱しているということは認識しています。しかし、この訴訟の過去の内訳を見てみると、ほとんどが、人種・性別に対する差別か、セクハラがその内容なのです。

なかなか、こういった訴訟のシビアさというのは、日本にいると認識しにくいもので、アメリカに来るビジネスマンにはしっかりとした認識を持っていただきたいと思っています。

現在、こうした情報を積極的に発信している保険のプロが、極めて少ないです(というかいません)。だからこそ、あえてこうした"通称"を使って、広く啓蒙をしていくつもりです。


自分の中では、他の候補としては

「差別・ハラスメント賠償保険」

もしくは、

「差別・嫌がらせ賠償保険」
「差別・嫌がらせ対策保険」


もあります。これでもいいかもしれませんね。
何か、いい訳を思いついた人はぜひコメントください。

再来週あたりに、アメリカの現地日本語ビジネス新聞に、今度この保険に関する私の記事が載る予定です。
それなりのインパクトを狙っています。

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