Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

カテゴリ: 英語道場

アメリカ人とのテキストメッセージやインスタントメッセンジャーによるコミュニケーションを頻繁に行っていますが、彼らは、実際に会って話すと表情や声使いが非常に豊かであるのに対し、テキスト上では実に淡白だったりします。いまだに慣れないのが、彼らの絵文字。

Thank you so much :)

最後の

:)

は、目が2つにニッコリしている顔が横になっているのですが、日本人にはしっくり来ませんよね。見逃して放っておくことでしょう。日本人だったら、

(^O^)

と描いている所かもしれません。しかし、これは彼らにとっては手が込みすぎなのでしょう。この絵文字のパターンには、不機嫌なタイプ

:(

もあります。
鼻つきタイプもあります。

:-)
:-(
:-X

アメリカ人で、このパターン以外の絵文字を使う人をほとんど見たことがありません。日本の絵文字の方が多種多様で個人的には面白くて好きです。

今度、

(´・ω・`)
( ・Д・)

と描いてみて、どんな反応が得られるか試したいと思います。
ドキドキします…。

松坂大輔選手がボストン・レッドソックスに移籍してから、ラジオのニュースを聞いて、一つ気づいたことがあります。

それは、キャスターのみならず、ボストンのファンもが、彼のことを「だいすけ」と呼んでいることです。
そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、Daisukeを「だいすけ」とアメリカ人が読むことは、奇跡に近いんです。

Daisukeは、普通に読ませると、「だいすーきー」もしくは「だいすーく」になります(「でいすーく」もありです)。

キャスターの場合には、母国語の読みに倣い、正しい発音を確認したりしますが、ファンまでもがきちんとした読みをするのは、考えにくいのです。

よくよく考えてみると、カラクリがわかりました。

新聞では、彼のあだ名を"Dice-K"としているのです。

確かに、これだったらアメリカ人でも「だいすけぃ」としか読みようがありません…。
お見事ですね。


だったら、Shunsukeという名の人はどうすれば良いのでしょうか。
"Shoons-K"だったらきちんと読んでもらえるかも…。

この間、出席したセミナーで自分の体験をシェアしました。
アメリカに来た当初持っていた目標の一つは、大勢の人の前で英語でスピーチができるようになる、というものでした。
このこと自体は、2年前にある程度の成果を得て達成したのですが、最近はやり方も心得てきて、当時よりは上達した気がして、非常に気分が良いです。
セミナーの人たち、というより概してアメリカ人は反応が良いので、非常に気持ちよく話すことができました。

アメリカに移る前、まだ東京のコンサルティング会社で働いていたころ、Chicago郊外で研修を受ける機会が何回かありました。
2回目に行った時は、ちょうど自分の誕生日だったのですが、それを知ったイタリア人の参加者が突然"Today's Jimmy's birthday!"と叫びました。
そうすると、クラスルームは一同"Happy birthday to you..."と歌いはじめたのです。

歌の終わりに絶対スピーチが求められる、と感じた私は緊張で固まってしまったのですが、実はこんな時にと用意していたセリフがあって、それを頭に叩き込んでおいたので、それを話しました。

「今日は僕は5時まではとても忙しいので、プレゼントはそれ以降にしてください」

と、今思い返すと何とも冴えないセリフを発したのですが、困った顔で言ったのが良かったのか、クラスはなぜか爆笑の渦に包まれました。

これはどちらかというとうまくいった方ですが、スピーチで赤面した回数は数知れません。しかし、確実に英語力に貢献したのは事実です。


英語の勉強をしている人、恥はかいたもの勝ちです。
どんどん人前でしゃべりませんか。

寝る前にCNNを見てみると、Larry King Liveでクリント・イーストウッドがインタビューされていました。映画"Letter from Iwo Jima"の製作に関してです。

そして、いつの間にか渡辺謙も参加して、一緒にインタビューされていました。
さすがに通訳なしで、英語のインタビューに答えているのですが、どうも思ったより、たどたどしくしゃべっています。

"The Last Samurai"を見た時、渡辺謙はかなり英語がうまいという印象がありました。

もちろん練習はしたのでしょうが、流暢だし、抑揚のつけ方なども完璧だったように思います。外国人が違う言語で芝居をする時、単語を頭に入れるだけで棒読みになってしまう場合があります。そういう場合、抑揚をきちんとつけるのが非常に難しく、ネイティブからは不自然に聞こえてしまうのが普通です。しかし、彼は単語の一つ一つの意味を押さえた上で、「本当にその言葉を意図して単語を発している」ような話し振りをしていたように思います。

ジャパニーズイングリッシュを、「発音の良くない英語」ではなく、他の国の人達には、逆にまねできないような「気品の高い英語」に昇華させているようにすら感じました(褒めすぎ?)。

しかし、今回のインタビューは、セリフが用意されていないためか、流暢さという意味では映画の時とかなり差がある印象です。もちろん、芝居と現実では勝手が違うので仕方がないのかもしれません。

逆に言うと、それだけ映画の時は、完璧にセリフを準備をしてきている、ということでしょう。クリント・イーストウッドも、"Kenや、他の日本人の俳優達は、本番までに本当によく準備をしてきていた"と褒めちぎっていました。並大抵の努力ではなかったことがうかがえます。

インタビューでのたどたどしさを見て、逆にホンモノの凄みがわかった気分です。世界のKen Watanabeにこれからも期待です。

英語を勉強する人にとって、「英語で電話に出る」ということは、一つの大きなマイルストーンだと思います。

私が当初ニューヨークに来たときは、会話ではかなりの練習を日本で積んだつもりではあったものの、ほとんど実践経験がなかったので、どう対処すれば良いかわかりませんでした。

フィナンシャル・プランニングの事務所で働いていたとき、ある日突然ボスが私に「そろそろ電話をとったら」と言い出したのですが、どのような言葉を使えば良いのか全く分かりません。そこで、まず、最初にスクリプトを作り、電話に出るときのセリフを完璧に用意しました。

しかし、良いのはそこまで。電話口の向こうの人が用件を早口にしゃべりはじめると、まるで応対できなくなってしまいます。しかも適当な受け答えや、ポイントをつめるための質問など、不可能に近いのです。

また、先方が残した留守録のメッセージも、早口すぎて、どんな名前で、どんな用件を残しているかが全くわかりません。

こういうことが起きると、かなり自信を失います。もう、この先一生、聞き取ることはできないのかと思ってしまいます。

何事もそうだとは思うんですが、英語学習をやっていると、こういう「上達しているとはとても思えない」時期というのは確実にあるものですよね。
しかし、落ち込む必要も、がんばりすぎる必要もなくて、あまり考えずに続けるというのが重要らしいです。
続けていると不思議なもので、最初は、ある種の応対がスムーズにできるようになり、段々対応できる幅も広がっていきます。
しかも、その上達の瞬間は、一気にやってくることが多いです。

日本で勉強している人も、オンライン英会話教室などでは、ボイスチャットで話すものなどがあります。こういったところから、練習してみるのもいいのかもしれませんね。

喫茶店での会話の続き。

おもしろい人種ネタがいくつかあったのですが、少しここで公開するのは気が引けるので、日本語について話したことを書きたいと思います。

日本語には、丁寧語、謙譲語、尊敬語というものがあるため、人間関係に一定の制限が出てきます。それをAnnaは非常に不思議がっていたようで、アメリカとは完全に異なるダイナミクス(力学?)がある、といいます。

確かに、日本にいて日本語しか話さないと意識しませんが、普通は人に応じて、丁寧語や謙譲語、尊敬語を交えながら話します。

その時、意図せずとも、まず「人の評価」というプロセスが、会話の中に組み込まれてしまいます。知り会ってまもない人が現れた時、たとえば年齢は近そうだが上か下かはわからない時など、丁寧語で話しながらも「この人は年上か年下か」などということを判断し、「この人はタメ口でOKか、それとも丁寧語のまましゃべるべきか」をいつの間にか判定しようとしています。

立場の上下によって、完全に発する言葉が変わってくるため、それにより一定の「距離」が作られます。この距離感に応じて、話せることのバリエーションも変化するような気がします。日本語の構造それ自体が、コミュニケーション上の制約条件になっているわけです。

ところが、こういう距離感が英語で話す間柄だと、ないんです。

確かに、英会話学校に通っていた時、同じクラスになった人と日本語で挨拶すると、妙にかしこまった雰囲気になり、○○さん、などと呼び合っていたのが、授業になって完全に英語で話し始めると、30歳も年齢が上の人に対して、"You"と呼んだり、ファーストネームで呼んだりすることになります。

そうすると、日本語で話していた時とは全く違う距離感を感じて、普通は話せないようなことも話せるようになったりするんですよね。


以前に誰かが「キリスト教圏の言葉では、神の前では皆兄弟、ということで、誰彼差別無く"I"とか"You"とかを使う」ということを言っていました。
しかし、日本語では語っている先への関係性に応じて俺、僕、私などの使い分けをします。

別のセミナーに参加した時、10歳年下のティーンエイジャーに親しみを持ってJimmyと呼ばれ、肩をたたかれたりしましたが、こういう、距離感を感じない交流も、英語を前提としたコミュニケーションが存在しているからなのかもしれません。


そんな話をしながら、盛り上がりました。

今日は、現在週一回通っているLandmark Forum In Action Seriesというセミナーで同じチームにいる女性2人と、夕方に喫茶店でいろいろと話し込みました。

セミナーが始まってから、もうすでに7週間も経つのですが、なかなかチームメンバーと話す機会がなかったので、本日は非常に良い機会で、とても盛り上がりました。

今日初めて知ったのですが、同じチームのAnnaが、日本にかなり滞在経験のある日本通だったということで、ジャパンネタで盛り上がりました。

「日本人は英語の間違いを極端に恐れる」という話をしたときのこと。


「日本は恥の文化だから、間違いを犯して恥ずかしい思いをすることを本当に恐れているんだよ。自分も最近までは、間違いを犯したくなくて、自分からしゃべるのが面倒だったし、ずいぶん怖かった」
「やっぱりそうなんだ。私もそれを感じた。それって、もう文化に根づいてるんだよね。だから、私は英語を日本人としゃべってたときはなるべく"Amazing!"とか"You're doing great!!"とか言うようにしてたよ。そうすると喜んでくれるから」


私はまさに、そういう言葉で常におだてられていたため、お世辞とは前からわかっていましたが、ちょっと落ち込みました…。


しかし、最近思うのですが、こういう場で人種談義を行うことが、非常におもしろいです。かなりステレオタイプとか、偏った見方が入っているのですが、逆にそういうのも恐れずにシェアすると、人種のるつぼであるニューヨークに住む人たちが、お互いにどういう見方をしているのか、いろいろ知ることができて実に興味深いんです。


「女性で多いと思うんだけど、たまに日本の風習に適応できなくなる・したくなくなる人がいて、そういう人はアメリカに来るんだよ。もっと自己表現をして、自分の意見を主張したい人とか」
「文化に適応できない…ビールを飲まないアイルランド人のようなものね」
「…はぁ…?」


この後、だんだん、人種ネタがエスカレートしていくのですが、また次回に書ければと思います。

オリコンチャートでは、こんなランキングもとりあつかっているらしいですね。

顧客満足度の高い英会話スクールベスト10

http://english.oricon.co.jp/rank/index.html

1位は、7アクトになっています。
私は、このランキングの中では、7アクト(新宿)、ベルリッツ(新宿)、イーオン(自由が丘)を利用したことがあります。Gabaは、体験レッスンだけ行った覚えがあります。

7アクトは料金も安いし、講師も選べるという点では、非常にいいですね。
あと、「質の良い英語教育を安く」という企業の理念に共感できるし、それによる実利もあるので、応援したい企業の一つです。

講師全体の平均的な質という意味では、私の場合はベルリッツがおすすめです。
ある程度、英語が上達すると、先生が「この生徒は大体しゃべれるから、間違ってもいいのでもっとしゃべらせよう」と思って接してくるわけですね。
そうすると、自分がどんな間違いをしているかがわかりません。
しかし、ベルリッツの先生は、けっこう細かいところまで突っ込んで、間違いを指摘してくれていた覚えがあります。あまりに細かいので、途中でキレそうになったこともありますが(笑)。

英語の勉強を本格的に始めたのが5年前、自由が丘のイーオンに通いはじめた頃ですが、とても良い先生にあたり、いろいろ個人的に書き物を見ていただいたりしてました(今見るとひどい作文です)。会話力が0だったのですが、ずいぶん励まされて、その気になれたと思います。あの先生には今でも感謝してます。

私の英語力が最も伸びたのは、リンガフォンという英会話学校に行っていた時なのですが、この中には入っていませんね…。
回数券制で、フォローアップが少ないからなんでしょうか。営業員による販売、というのが好かれないのかも知れませんね。


まぁ、最終的には優秀な講師と、どれだけやりとりできるかが、英会話学校の生かし方の分れ目だと思うので、ここは人それぞれでしょう。

日本で英語の勉強をしていた頃、DVDをよく見ていました。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが、"Power DVD"というソフトのおかげで、日本語字幕/英語字幕を両方とも上下に表示しながら見ることができたのです。

現在、勉強に腐心している人は、この機能にぜひともあやかるべきです。
最初は、ドラマの言葉が早口過ぎて、まったく何を言っているのかわからないはずです。しかし、英語字幕をずっと表示させておくことで、一定の「パターン」が見えてきます。

すごく初歩的な話をすると、たとえば"I am going to"は"amgunna"と聞こえます。
こういったパターンというのは、無数にあるのですが、繰り返しそのパターンに触れることで、段々と何を言っているかがクリアに把握できるようになるのです。

それと同時に、日本語字幕を表示させておくことで、意味をいちいち考えたり、調べたりしなくとも、ドラマを楽しめるようになるのです。


英語の勉強を開始してから2年目頃、よく見ていたドラマがあります。

"Ally McBeal"(邦題:"アリー My Love")です。
おそらく、英語の勉強のために見てきた、と言う人も多いのではないでしょうか。
このドラマは、シーズン1から最後のシーズンまで見続けました。毎週、DVDを少なくとも1本(合計4話)借りてきていたと思います。

"Ally McBeal"は法廷コメディなので、「議論」「主張」「冗談」といった、いろいろな表現方法を網羅していて、非常に勉強になりました。ただ、今考えると、現実世界で使うにはあまりにオシャレすぎる表現もあったなぁと思います。

このドラマは、英語のレベルとしては、当時の私の英語力をはるかに凌駕していましたが、確認したい部分は巻き戻してゆっくり聞いてみたり、試行錯誤を繰り返しながら、何とかついていきました。

そして、シーズン4くらいからは、「英語字幕のみ」で見るようになりました。その次のシーズンからは、「字幕なし」で一回、「英語字幕あり」で一回と言う風に見ていくようになりました。

時には、字幕なしで見ながら、言っていることを書き取る練習(ディクテーション)などを行いましたが、これは大変効果がありました。


とにかくドラマ自体がおもしろいと、こういう作業すら苦にならないので、DVD学習は誰にでもおすすめしたい方法です。


英会話学校に頻繁に通い始めた頃、同時に英語の本を読み始めました。
以前から、読んでみたかった本があったのですが、それが、これ。

The Minds of Billy Milligan


これは、"24人のビリー・ミリガン"という題名で邦訳された多重人格者の話の原書です。
話は、ビリー・ミリガンという実在の人が、24人の人格にどのように翻弄され、生きてきたかという経緯を淡々と描いている小説風のノンフィクションです。
大学時代に、臨床心理学を専攻していたにもかかわらず、このベストセラーは読んだことがありませんでしたが、興味をそそられるテーマであったので、これは以前から読もうと決めていました。

英語の学習という観点から言うと、やはり好きな本を読む、というのは、最も読解力を強める近道だと思います。
というより、好きな本を読む、ということは英語学習の目的でもあるわけで、本当に読解力を高めようと思っているのであれば、いきなり興味のある本をピックアップして挑戦してみる、というのは、ぜひやるべきことだと思います。

知り合いでは、けっこうハリー・ポッターを原書で読んでいる人が多いです。英語で読むとかなり難しいらしいのですが。


最初のうちは、英語の原書を読んでみても、たいていの場合は、集中力が続かず、あきらめがちになってしまいます。でも、続けていれば、段々と、以前よりも読むのが早くなってきます。その上達する感じがつかめれば、どんどん読めるようになるのではないでしょうか。

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