Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

カテゴリ: 街角事件

2泊3日でNew Yorkに行ってきました。
企業年金のサービスをご利用いただいている会社を訪問するのが主目的だったのですが、それ以外は久しぶりに友人らと会いました。

水曜の夜は、起業家の会である、一旗会NYに参加しました。
昨年の12月以来の参加です。もともと、自分が3年前まで幹事をやっていた会ですが、こうして引き継がれて毎月行われているのを見ると、何だかホッとします。自分の居場所に帰ってきたような気にさせられます。

この日のテーマは、任意の参加者が、自分のビジネスプランを披露し、他の参加者にフィードバックを求める、というもの。他の人に自分のアイデアをたたかれるのは、決して快いものではありません。しかし、あえてそのリスクを背負って発言した3人の参加者の方には、頭が下がる思いです。昨日の皆さんのコメントを、それぞれのビジネスに役立てて欲しいです。

こうしてたまに一旗会NYに参加すると、5年前からの友人にも会えるし、元気一杯の生き生きとした若者にも会えるし、通常の活動では会うことができなかったような、影響力の大きい方々にも簡単に会うことができます。現幹事のEさん、ずっと昔から私のパートナーとして司会をされてきたTさんに、感謝です。これからも、いい会を育てていってください。

New Yorkに行くと、必ずEさんのアパートに泊めさせていただいているのですが、夜、アパートに帰ってくると、必ずといっていいほど、ファイナンス、起業、ビジネス本、自己啓発に関する「語り」が2人ではじまります。昨夜は、壁に貼ってあるフリップチャート用紙に、ダイレクトマーケティングのモデルを延々と書き出し、話していたら、いつの間にか3時AMになっていました。私にとっては、CA時間の0時なので耐えられるのですが、Eさんはなぜあそこまで不死身なのか全く理解できません。

Eさんのアパートには、いつも私好きの本がたくさん置いてあるので、またいろいろと勝手に読ませていただきました。
堀江さんの本は、特に良かったです。何の資産も持っていなくとも、自分のバランスシートの、無形固定資産を見つけて、利用せよ!という考え方は、とても共感できます。

おみやげとして、「紳竜の研究」DVDを置いていきました。島田紳助氏がどのような戦略をもって、漫才の世界に入っていったか、そして撤退していったか、本人が講義形式で解説している貴重な資料です。最高に面白いです。

あと、最後に宣伝です。NY在住の方、Eさんおよび泉正人氏主催の「お金の教養講座」こちら、ぜひご参加ください。

https://us.financial.ac/seminar/101023event.html


夢をかなえる「打ち出の小槌」夢をかなえる「打ち出の小槌」
著者:堀江 貴文
青志社(2009-10)
おすすめ度:3.5
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中卒の組立工、NYの億万長者になる。中卒の組立工、NYの億万長者になる。
著者:大根田 勝美
角川書店(角川グループパブリッシング)(2010-01-09)
おすすめ度:4.5
販売元:Amazon.co.jp
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人格改造マニュアル人格改造マニュアル
著者:鶴見 済
太田出版(1996-11)
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あなたの悩みが世界を救う!―不条理な世の中を生き抜くための人生バイブルあなたの悩みが世界を救う!―不条理な世の中を生き抜くための人生バイブル
著者:神田 昌典
ダイヤモンド社(2006-12-15)
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紳竜の研究 [DVD]紳竜の研究 [DVD]
出演:島田紳助、松本竜介
アール・アンド・シー(2007-05-30)
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日本に行って毎回驚くのが、コンビニの店員や郵便局の職員の手際の良さ。

レジや窓口に誰もいないと、誰か飛んでくるし、モノの手さばきも速い速い。日本に住んでいたら、そんなことすごいと思わないでしょうが、このサービスレベルを空気や水のような感覚で享受し、当然視している日本人だからこそ、まだまだずっと国際競争力を維持できるんじゃないか、なんて思ってしまいます。コンビニ店員の人にはホント恐縮して「ありがとうございます」などと言ってしまいます。

最近、日本の公共サービスの満足度が低い、なんていうニュースを目にしましたが、これはそもそも日本人が満足と感じるレベルが高すぎるので、そうそう満足しない、ということなんだと思います。これは、これでいいと思うんです。

アメリカの郵便局みたいに、窓口の人が、ぶ厚い防弾ガラスの向こうで、隣の職員と談笑していても、もはや何にも感じなくなってしまった私にとっては(いや、その場面に気づいているということは、確かに「何か」を感じているということなのかもしれません)、日本人の平均的モラルの高さは「化け物的」と言って良いでしょう。

ところが、数日前、こんなことが起きました。

CVS Pharmacyという薬局兼コンビニのようなところで買い物をして、76ドルのお釣りを受け取るはずだったのですが、私がそれを受け取るのを忘れて、スタスタと店を出ようとしました。夜遅くだったので、レジ周辺には私しかいませんでした。

そうすると、ラテン系の店員の兄ちゃんが、"Hey sir!!"と言って、走ってかけよってきたんです。私はお釣りを受け取らなかったことに全く気づかず、あのタイミングだったら、彼がそのお釣りを掠めとることも可能だったはず。

全速力で76ドルものお釣りをもって来てくれた彼の態度に、「アメリカもまだまだわからないな」と思わされたのでした。

先日、ふと思い出して、押入れの中から、こんなものを取り出してみました。



これは、3年前に、大学の後輩Nが、ニューヨークに私を訪ねてきたときに、「日本のおみやげですよ」と言ってSMAPのシングルCD『ありがとう』と一緒にくれたものではないか。

「とてもありがたいけど、これを使う機会はないよなぁ。『日本』『闘魂』だぞ?」

そう思っていたのですが、そういえば、明日は…!!!



ということで、日本の皆さん、ワールドボール・ベースボール・クラシック対キューバ戦、『日本』『闘魂』で応援してきます。
明日は、San Diegoで、はるばるワシントンDCから飛んできた、大学の同期A氏と合流。

テレビで万が一見かけたらコメントしてください。

昔、学生時代に就職活動をしていた頃、よく面接で、営業職志望の学生が「私は、新しい人と会うのが好きなんです」なんて言っていました。私は、そんな学生達がうらやましいなぁと思っていました。

なぜか。私は「人と会うのが好き」なんて、思ったことがなかったし、むしろ新しい人と会うなんて面倒だし、うっとうしくてしょうがないと思っていたからです。

そんな自分も、この年になって、段々人と会うのが楽しくなってきました。Facebookをやっていますが、ものすごいペースで友達が増えていっています(現在350人)。年齢・性別・人種・嗜好に関わらず、やっと自分も「新しい人と会うのは楽しいな」と本気で思うようになってきたのです。これって、結構すごい変化だと思いませんか。

以前紹介した映画プロデューサーのJonもそうですが、本当にいろんな世界でがんばっている人達と会うことができて、面白くて仕方がないのです。アメリカは、自分の好きなことを追い求める人や、人生にポジティブな姿勢を持っている人が非常に多いです。成功の度合いはそれぞれ違いますが、そういう人が多い環境に自分がいることをありがたく思っています。

今日は、面白い出会いを一つ発見。

過去3ヶ月間ほど、「インテグリティ」という週一回のセミナーをとっていたのですが、今日が最終日でした。

今回のセミナーを通じて仲良くなったのが、レイチェル。
マリナ・デル・レイという所でインテリアデザイナーとしてがんばっている女性です。

今日最後に、私が日本に住んでいた頃の話をしたら「あれ、ジミーって日本に住んでいたの?ミスタードーナツって知ってる?」と聞かれます。

ああ、ミスタードーナツか。日本人なら誰でも知ってるよ。

「あれ、ウチのおじいちゃんが作ったの」

…ウソ…。

「一度だけおじいちゃんと日本に行ったことがあって、日本の人たちはホント私達の家族に良くしてくれて、私は今でも日本人を特別に尊敬してるのよ」

ふーん。そういえば、ミスタードーナツってダンキンドーナツと同じ家族で創業されたんじゃなかったっけ?

「そうそう。私のおじいちゃんは、ビル・ローゼンバーグと言う人とダンキンドーナッツをはじめたの。で、私のおばあちゃんと、ビルの奥さんが姉妹で、最初はとても仲良くやっていたんだけど、途中から意見が食い違ったらしくて」

「で、アメリカの会社は買収されて、もうミスタードーナツはなくなったけど、日本にはまだあるのよね」

「ミスタードーナツのロゴの顔、おじいちゃんの顔だから」

へー。こういう人がその辺にいて、会えて、話ができるということが面白いです。

最後に、ダンキンドーナツも日本に進出したんだけど、失敗したんだよねー、と言うと、レイチェルは「本当?」と一言。

彼女がちょっと満足げにニヤッと笑ったのを、私は見過ごしませんでした。

Google Mapsのストリートビューで、東京都小平市を探検しました。
小平市は大学時代に4年間住んでいた場所。

あ、龍園だ!もとき(定食屋の名前)だ!と頭の中で叫びながら大学時代に歩いた、見慣れた道路を徘徊。
そうだ、昔住んでいたアパートに寄ってみようと思い立ち、玉川上水を西へ西へ。

西武国分寺線を過ぎ、上水沿いの生協が左手に見える(完全に内輪ネタですいません)。麻婆豆腐の具材を買った帰りに、自転車に乗ってひじに長ネギがひっかかった感触がよみがえって、何だか涙が出てきた。

そして、ドキドキしながら、アパートの前へ。
この角を曲がって、この辺だ。
あと少しだ。

…。

あれ?

おかしいな。もう一つ、向こうだっけ。

…ない。…どこにもない。

ひょっとして、この真新しい家…。



私の思い出のアパート「緑洲館」は消えてなくなっていました。
代わりに、家が建っていました。

しばし、画面を見ながら硬直しました。
ウィスキーを飲むことにしました。

「iPhoneがあと1ヶ月で登場します。この中で、買うという人は手を挙げてください!」

会場にいる100人くらいの中で、半分以上が手を挙げました。

私はNew York Cityで、あるIT技術に関するミーティングに出席していました。Web技術の最先端を世に発表しているベンチャー企業の集まりで、みるからにオタクっぽい人たちばかりです。

携帯電話の革命と言われたiPhoneの発売が目前に迫っていました。彼らはiPhoneの話題で持ちきりで、目を輝かせていますが、私は冷ややかな目でそれを見ています。

「なんでこの人たちはiPhoneくらいでギャーギャー騒ぐんだろうか。大体、あんな小さな画面をずっと見ながら、ずっと指でちょこちょこやってるなんて、なんか不健康で、哀れだな…」

約半年後、私はスケジュール管理できる電子手帳のようなものを探し回りました。Blackberryという選択肢もあったのですが、結局日本語を閲覧できるという理由で、iPhoneを購入しました。

「ミイラ取りがミイラになる」とはこのこと。時は流れ、いつしか私はiPhone中毒になっていました。

朝、iPhoneの目覚まし時計で目を覚まし、眠たい目をこすりながらメールの受信・送信。朝ごはんを食べながらiPhoneの画面でNY Times購読、PodcastでNBCのニュース・ショー"Countdown"と"Rachael Maddow Show"を視聴。外に出れば、スケジュール管理、アドレス帳管理、予算・家計簿管理。車に乗りこんでは音楽・オーディオブック・Podcastを聴き、Google Mapで住所検索、ガソリンのMPG記録。仕事場では電話、Bloombergで株式・債権市場動向、Mutual Fundの価格チェック、ToDoリスト、テキストメッセージ、オンラインバンキング、自社のバランスシート・損益計算書チェック。余暇中には、映画鑑賞、ゴルフスコア記録、Mixi、テトリス、ポーカー。他にも、カメラ、Facebook、チップの計算、天気予報、メモ帳。夜は、布団にこもりながらYouTubeで動画鑑賞:爆笑問題の動画を見てケラケラ笑いながら意識を失い、またiPhoneの目覚まし時計で起床……週7日24時間、この小さな魔物から全く離れることができない自分になってしまったのです。

そのうち私は、「iPhoneを持っていない人は、なぜiPhoneを持っていないんだろう」と思うようになりました(もはや質問自体が病気です)。「自分が全ての人にiPhoneを持つように勧めなくてはならない」と考えるに至っては、すでに宗教の域に入っています。

そんなある日、友人宅に行った時、iPhoneを家に忘れてきたことに気づきました。

命の次に大事なiPhoneを忘れるという大失態を犯した自分に対して”逆ギレ”気味の私に、友人らは哀れみの目を向けてきたのでした…。仕方なくiPhoneのことを忘れて、友人らと話していると、iPhoneがなくても実は生きていけるんだという、何だか当然のことに今さらながら気がついたのでした。

一橋大学の小平国際キャンパスの学生寮で、18歳の新入生が飲酒による急性アルコール中毒の疑いで亡くなるという痛ましい事件が起きました。

このニュースを目にした時、私は胸に複雑な痛みを感じました。
まさか、こんなことが今になって現実的に起こるとは、考えてもいなかったのです。

この学生寮自体は、6,7年ほど前に建てられた新しいものですが、それ以前は「一橋寮」(いっきょうりょう)と呼ばれるオンボロの建物に、同大学の1、2年生が住み着いていました。
その一橋寮に私が入ったのは、1996年のこと。

コンクリートむき出しの、そのボロボロの寮に入ることを決めたのは、単に共同生活が楽しそうだったからです。
廊下も部屋も壁は落書きだらけ、一部屋に4人のスペースで、プライバシーなどまるでありません。私が入った部屋は、北403号室。
部屋には2人の2年生の先輩がいて、1年生の同期がいなかったため、私を含め3人の所帯でした。しかし、同じ廊下でつながっている北401 - 406は「北4A」と呼ばれる一つのブロックを形成し、我々はこのブロック単位で行動を共にしていました。

入寮して初日、北4Aの学生が全員集まって飲み会がはじまります。
私はそれまでお酒というものをほとんど飲んだことがなかったので、これはきつかった。「ああ、こんなことに耐えなくちゃいけないのかな」と思いつつ、苦いビールを喉に流しこんだ記憶があります。

新入生歓迎コンパの期間は、1ヶ月くらい続きます。他のブロックと次々と「対抗コンパ」を行うのです。そのコンパでの飲み方は、それはもうひどいものです。新入生は、自分の自己紹介をしながら、理不尽なツッコミを受け、ひたすら飲み続けます。部屋には「ゲロ箱」が用意され、吐いた時の「受け皿」も万全です。吐くために飲み、飲むために吐きます。近所の居酒屋で大体6時ごろからはじまり、深夜にまで及びます。

新歓コンパは、私にとって非常に不愉快なものでした。そもそも、なんでこんなわけのわからない理由で毎日飲まされなければならないのか。

当時は、あまりに激しい飲み方に、「こんな無茶やっていたら、いつか誰か死んでもおかしくない」と私は思っていました。しかし、こんなハチャメチャな伝統が何十年も続いているにも関わらず、一橋寮がなくなる2002年まで誰かが亡くなったという話は聞いたことがありません。
私は他のコンパに出席しているうちに、この荒唐無稽に思える「一橋寮飲み」には実は強力なセーフティネットが張られていることに気づきました。

まず、一橋寮飲み(特に新歓コンパ)では基本的にビールしか飲まないのです。もちろんビールでも急性アルコール中毒になる可能性はありますが、現実的には泥酔する前に腹が膨れ上がってしまうため、意識を失ってしまう前に、物理的に飲めなくなってしまうことの方が圧倒的に多いのです。また、当時の一橋寮は4人部屋のため、先輩が責任をもって後輩の尻を拭うという暗黙の了解ができあがっていました。誰かの気分が悪そうだったり、ぐったりしていると、同部屋の先輩が、かなり心配して手厚くケアをします。お互い、男同士で気持ち悪いほど心配します(最初はこの「愛」がかなり気に障ります)。先輩からは、喉に何も詰まらないよう、指を使った「正しい吐き方」を教わり、緊急時の対応も万全です。

新入生の頃、ある飲み会で私は完全にブチ切れ、空のビール瓶を蹴り飛ばしました。何でお前らのようなアホどもに飲まされなければならないのか。ふざけるな。他ブロックの何人かの先輩と一触即発の事態になりましたが、「お前、勇気あるな」と帰り道に肩を抱えながら言ってくれた先輩の言葉も忘れられません。大嫌いなコンパも参加しているうちに楽しくなり、同期とは戦友のような間柄となりました。夜中の1時にブロック全員で国立までカラオケに行ったりと、メチャクチャなことばかりやっていました(現在多くの掲示板でたたかれている通り、かなりアホです)。今考えると、やはりやることが一つ一つ危険だったことは否めませんが、そんな中、築かれたかけがえのない絆は卒業して随分経った今でも続いているほどです。

あの頃一緒にバカ騒ぎしていた仲間の中には、在学中に公認会計士に合格した者もいますし、私の同部屋の後輩などは弁護士になりました。他にもあの明らかにアホな連中が日本を代表する大手銀行・商社・マスコミや外資系などに渡る名だたる企業の社員になったりするのを見ると、これは憂うべき事態なのか、逆に希望の象徴なのかわかりません。今でも世界の中で、何の遠慮もなく「こいつは偉そうにしているけど、れっきとしたアホです」とお互いを指差しあって言い合える仲など、彼らくらいしか存在しません。

私の卒業後、一橋寮の老朽化に伴い、「小平国際寮」が建設されました。
4人部屋だったものが、1人ずつの個室に変わり、その学生寮は落書き一つない近代的な建物に変貌を遂げました。
それまでの一橋寮飲みの伝統は消えてなくなりました。



あの激しくも楽しい飲み会と、4人部屋・ブロックごとのコミュニティを軸にした連帯感がもうなくなるのかと思うと寂しい気持ちはしました。
しかし、あれはあれで危険だったし、これからは個人の意思と権利が尊重される時代だから、これも良いのかもしれない。もう、ブロックごとの飲み会もなくなるだろうし、寮の中での小規模な飲みもずっと少なくなるに違いない。
そこには、少し安堵の気持ちがありました。
やはり、飲みたくない人に無理に飲ませる、というのはもはや時代に逆行していると思うのです。「空気」を利用して他人に何かを暗黙のうちに期待する、という日本人のやり方は私も賛成しかねる場面がたくさんあります。

そう思ってから随分経ちますが、今になってこんなニュースを聞くことになろうとは、思ってもみませんでした。本当に残念でなりません。新しい寮で新歓コンパがあったことすら知りませんでしたが、もしあの「ビールだけ飲み、気持ち悪いほど助け合う」伝統がなくなったせいで、逆に危険度が増したのだとしたら、皮肉でしかありません。


そもそも飲酒について忘れてはならないのは、18歳で飲酒というのは、違法だということです。多くの学生は、違法行為を平然と行っているのであり、これを見逃すわけにはいきません。
私の寮生活で起こったことは、不法行為の元に築き上げられたもので、単にラッキーだったということを認識し、事故が起きなかったから良いということではないと心得ています。このようなことが2度と発生しないよう、私は私の身近にいる人達に対して責任をもって対処するしか、償いの道はありません。
ただ、楽しかったあの思い出とかけがえのない仲間たちとの絆が、ともすると取り返しのつかない危険と隣り合わせだったことに今さらながら気づき、複雑な胸の痛みを感じています。


若い後輩の将来が絶たれたことを、本当に痛ましく思います。
ご冥福をお祈りします。

午後6時過ぎ、一旦アパートからオフィスに向かおうと思っていたところ、友人のS氏から電話が…。

「何か近くで大きな爆発があったみたいなんですけど、テレビかインターネット見てもらえませんか?」

「今、グラセン(グランド・セントラル・ステーション)付近で、建物が壊れたらしいんですけど、ものすごい煙が出てるんですよ」

何やら、ものすごくパニック状態に陥っているようなので、段々不安になってきました。テレビをつけてみると、白い煙がビルの間から立ち上っているのが見えます。
彼がさらにどんどん煽ります。

「もう人が騒いでいて、大変な状態ですよ。地下鉄も使えませんよ」

携帯電話越しからも、外からもサイレンの音がうなりはじめました。
テレビでは、数分するとすぐに専門家が出てきて、「この種類の白煙が出ているということはスチーム・パイプが爆発したものと思われる。テロの可能性は低い」ということをすぐに説明していました。

画面が切り替わると、見慣れたベーグル屋が出てきました。
そのベーグル屋に近い場所に、ぽっかりと大きな穴が地面に開いていて、怒涛の勢いで白煙を立ち上げています。

41st St & Lexinton Ave…あそこは、昨年9月まで住んでいたあのアパートから3ブロック離れたところでした…。
あの時は諸事情により「追い出された」のですが、今となってみれば自分はラッキーだったのかもしれません。

外に出て、オフィスまで歩いてみたのですが、タイムズスクエアでは、みんな普通にニコニコ歩いていました。

42nd St & 5th Aveあたりまで来ると、物々しい雰囲気はあったものの、煙も大分おさまったようでした。
彼が、「建物が破壊された」と他の人から聞いたらしいのですが、明らかにパニック状態から来たものなのでしょう。

亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。

本日夕方、友人のPamelaと和食レストランで食事をした時のこと。
NYCの和食レストランは、日本人でない人たちが経営する場所も大変多く存在します。本日行った所も、そんなレストラン。
私はメニューにある"Yakisoba"を頼みました。

以前、同じレストランでカツ丼を頼んだ所、とんでもない味付けで出てきたのでハラハラしていたのですが、今回も期待をはるかに上回って(?)くれました。

件のYakisobaが出てきたのですが、その麺が、蕎麦粉で作られた"蕎麦"の麺なのです。
確かに焼いた蕎麦なので、"Yakisoba"なのかもしれませんが…日本人としては極めて納得がいきません。腹さえ立ってきます。

頭の中でブツブツ文句を言いながら、一通り食べ終わりそうな所で、

"This is totally NOT authentic...they're using the wrong noodle"

とポロッと言ってしまうと、Pamelaがニヤニヤしながら思ってもみないコメントをぶつけてきました…

"Are you being a Japanese SNOB?"

"蕎麦"を焼いたYakisobaがホンモノじゃないと言っただけで、"snob"(俗物根性主義者)と言われるとは想定していませんでした…(ニュアンスとしては、「日本人だからってカッコつけてるつもり?」でしょう)。
冗談とはいえ、けっこうショックです…。確かに、ホンジュラス出身の彼女にはこのYakisobaに違和感など覚えようもありません。

そして、気づいたのは、自分は日本人としての常識にとらわれていたために、この新しい未知のYakisobaに対して、何の希望も可能性も見出さず、まずいと思いながら食べていたことです。
こんなありえない"Yakisoba"だからこそ、楽しんで食べなければならないのかもしれません。

本日は、一ヶ月試したサプリメントの成果を測定しに行って参りました。
皮膚に含まれる抗酸化物質のレベルを測定するもので、当然高ければ良いというものです。

一ヶ月前あたりに測定した頃は、28,000という値だったのに対し、今回計ったところによると、48,000になっています。これはすごいです…本当にサプリメントに効果があることが証明された格好となりました。

確かに、明らかに体調が良いのを感じるし、昔から弱かった自分の肌が一切荒れなくなってところをみると、この商品はホンモノだと言わざるを得ません。

商品名はここでは言えませんが…とにかくすごいサプリメントです。こんなことが知られずに残っているとは、非常に驚きです…。

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