話題になっている日本のイルカ漁の潜入ドキュメンタリーです。
興味はあったのですが、今回iTunesでレンタルして見ることができました。

映画の内容は、「和歌山県太地町のある入り江("The Cove")で行われているイルカの『虐殺』を撮影するために、環境保護団体のグループがあらゆる手を駆使して現場に潜入し、ついにその実態をカメラにおさめる」というものです。

もちろん、『虐殺』"Slaughter"は、彼らの使う言葉であって、日本では単なる『イルカ漁』です。話の発端は、Ric O'barryというイルカのトレーナーです。彼は、60年代に"Flipper"というイルカが登場するドラマでトレーナーを行い、全米各地でイルカのショーが盛んに行われるきっかけとなった人物です。

彼は、Flipperで育てたイルカがストレスによって亡くなったこと(彼の話によると、そのイルカは自殺した)から、イルカを酷使することに罪悪感を感じるようになり、70年代からは一転してイルカの保護を推進する活動をはじめました。彼は、イルカが太地町で殺されている現場を世界に発信することによって、イルカの捕獲や猟をやめさせようとしたのです。

実際、彼らの潜入によりイルカ『虐殺』映像の撮影は成功します。ただ、私も日本人だからか、どうしてもこの見せ方はフェアじゃないなと思いました。

この映画をRic O'barryの贖罪のストーリーとしてみると、なかなかに感動的です。イルカと心の通う体験をした彼からすれば、イルカを殺すことなど、考えられないのでしょう。映画の前半では、イルカがいかに人間と同じような知性や心を持つ動物であるかがアピールされています。そういう文脈を与えられた後では、あのイルカ漁の映像は確かに残虐非道と映るでしょう。特に、イルカや鯨を食べない文化の人にとっては、目を背けたくなるシーンであるのは間違いないです。

この映画の監督は、そのシーンについて、「太地町の人たちは、政府と一緒になってイルカを虐殺していることを隠している」と言っています。それは、ちょっと違うと思うんです。イルカ漁を行っていること自体は、隠してないはずです。ただ、実際に血しぶきが飛び散る漁の現場は、一般市民に見せるようなものではないから、立ち入り禁止にしているだけだと思います。自分が漁師だったら、あんな場面を子供に見せたいとは思わないはずです。

「プライベート・スペース」という英語の2文字しか話さない日本人の方が、映画の中で揶揄されていましたが、食用の動物の屠殺現場は、すべて「プライベートスペース」だと思うんです。牛や鶏や豚だって殺される現場をわざわざ見たい人はいないでしょう。だから、隠すのは当然です。別に後ろめたくて隠しているわけじゃないはずです。我々は、自分たちが食べる焼肉やハンバーガーを供給するために、自分たちの見えないところで、血を浴びながら動物を屠殺してくれている人々に感謝こそすれ、非難するなどもっての他だと思います。

イルカ漁も同じで、単に公衆の場には不適切だから見せないだけです。そういう意味では、「日本政府と太地町民が結託して極秘に虐殺を繰り返している」というような政治サスペンス的な印象を与えているのはフェアじゃないなと。

水銀の件については、どの程度有害なのかを皆が知ることは有益だと思いました。
鯨肉を食べる人で、実際に水銀中毒の症状を見せている人はいないそうですが、監督がフォーカスすべきだとすれば、こういう論点だと思います。漁という供給サイドの問題よりも、栄養の供給源としての問題やイルカショーの問題などといった需要サイドに働きかける方が圧倒的にフェアです。

以上の感想を持ったわけですが、私が何より驚いたのは、この映画がアメリカで絶賛されていることです。これだけ、文化の違いがあって、いろいろな意見が飛び交うこの国で、今のところ私はこの映画に対する絶賛の言葉しか聞きません。Amazonのレビュー欄でも最高の評価をしている人があまりに多いことにビックリしました。

ちなみに、よく言われているような日本バッシング的な要素は一切ありません。いくつかの描写によって「日本人がバカにされている」と思われるかもしれませんが、それは個人がバカにされているのであって、日本が包括的にからかわれているような要素は見当たりませんでした。むしろ、太地町の美しさや、日本に対する敬意は随所に感じられました。

本当によくできている映画で、このプロジェクトを最後まで遂行した監督やRicの信念には、正直脱帽します。人に真実を知ってもらうために、世界を変えるために、勇気をもってこの映画を作ったこと自体にはとても刺激を受けます。

ただ、漁師や太地町の人たちを責める気には全くなりません。私の立場としては結局、捕鯨・イルカ漁賛成です。伝統を守るために、がんばっている方々を応援したいです。