「iPhoneがあと1ヶ月で登場します。この中で、買うという人は手を挙げてください!」

会場にいる100人くらいの中で、半分以上が手を挙げました。

私はNew York Cityで、あるIT技術に関するミーティングに出席していました。Web技術の最先端を世に発表しているベンチャー企業の集まりで、みるからにオタクっぽい人たちばかりです。

携帯電話の革命と言われたiPhoneの発売が目前に迫っていました。彼らはiPhoneの話題で持ちきりで、目を輝かせていますが、私は冷ややかな目でそれを見ています。

「なんでこの人たちはiPhoneくらいでギャーギャー騒ぐんだろうか。大体、あんな小さな画面をずっと見ながら、ずっと指でちょこちょこやってるなんて、なんか不健康で、哀れだな…」

約半年後、私はスケジュール管理できる電子手帳のようなものを探し回りました。Blackberryという選択肢もあったのですが、結局日本語を閲覧できるという理由で、iPhoneを購入しました。

「ミイラ取りがミイラになる」とはこのこと。時は流れ、いつしか私はiPhone中毒になっていました。

朝、iPhoneの目覚まし時計で目を覚まし、眠たい目をこすりながらメールの受信・送信。朝ごはんを食べながらiPhoneの画面でNY Times購読、PodcastでNBCのニュース・ショー"Countdown"と"Rachael Maddow Show"を視聴。外に出れば、スケジュール管理、アドレス帳管理、予算・家計簿管理。車に乗りこんでは音楽・オーディオブック・Podcastを聴き、Google Mapで住所検索、ガソリンのMPG記録。仕事場では電話、Bloombergで株式・債権市場動向、Mutual Fundの価格チェック、ToDoリスト、テキストメッセージ、オンラインバンキング、自社のバランスシート・損益計算書チェック。余暇中には、映画鑑賞、ゴルフスコア記録、Mixi、テトリス、ポーカー。他にも、カメラ、Facebook、チップの計算、天気予報、メモ帳。夜は、布団にこもりながらYouTubeで動画鑑賞:爆笑問題の動画を見てケラケラ笑いながら意識を失い、またiPhoneの目覚まし時計で起床……週7日24時間、この小さな魔物から全く離れることができない自分になってしまったのです。

そのうち私は、「iPhoneを持っていない人は、なぜiPhoneを持っていないんだろう」と思うようになりました(もはや質問自体が病気です)。「自分が全ての人にiPhoneを持つように勧めなくてはならない」と考えるに至っては、すでに宗教の域に入っています。

そんなある日、友人宅に行った時、iPhoneを家に忘れてきたことに気づきました。

命の次に大事なiPhoneを忘れるという大失態を犯した自分に対して”逆ギレ”気味の私に、友人らは哀れみの目を向けてきたのでした…。仕方なくiPhoneのことを忘れて、友人らと話していると、iPhoneがなくても実は生きていけるんだという、何だか当然のことに今さらながら気がついたのでした。