高校の時、将棋にハマっていました。

17才の青春を、全て将棋につぎこんでいました。
その熱はすさまじく、当時入っていた柔道部の怖い担当教官に「将棋をやりたいから私はこれから週3日しか部活に出ません」と真剣に直訴してしまうほどでした。

お小遣いをもらうと、将棋の本を買いに行きました。
羽生さんや谷川さんの本を開きながら、何度も何度も将棋盤とにらめっこをしながら、空想の中で戦いを繰り広げていました。
授業中は先生に隠れて詰め将棋の問題集を解き、休み時間は将棋部員と勝負に明け暮れていました。



こういう生活をしているうちに、段々とどうなるかというと、見るもの聞くもの触れるもの考えること全てが将棋になってしまうんです。

例えば、廊下ですれ違う学生一人一人が将棋の駒に見えてきます。
そうすると、「あいつは角なのに、なんでまっすぐ歩いてるんだろう」と素朴な疑問がわいてくるようになります。

教室に入ると、もっとすごいことになります。
机の並びが、そのまま将棋盤に見えてきます。
数学の時間に居眠りをしているときに、斜め後ろのそのまた後ろの生徒が、「桂馬」であったことに気づいた時には、ビクッとして飛び起きてしまいました。
「とられる!」と直感的に生命の危険を感じたのです。


「はまる」というのは、こういうことだったんだな、と今は思います。
「一生懸命将棋をがんばろう」とすら微塵も考えていませんでした。
ただ、ひたすら将棋で頭が一杯だっただけなんですよね。
しかし今考えると、あれほど幸せな時間はなかったように思います。



あそこまで身も心も没頭できるものは自分に現れないのか…あれ以来、いろいろと模索を続けてきましたが、そろそろ何か見つかりそうな気がしてます。
もちろん、仕事関連ですが。