私は高校時代、将棋にハマっていました。
おそらく「人生で最も熱中したものは何か」と聞かれたら、真っ先に将棋を挙げるでしょう。

あまりにもハマっていたため、ついにはクラスの席全体が将棋盤に見え、一人一人の学生が将棋の駒のように見えたこともあります。毎日のように詰め将棋の問題を授業時間中に解き、毎週のように将棋の本を買っては、その中に掲載されている定跡を覚え、実戦で試す、ということを繰り返していました。

そんなある日のこと、衝撃的な本に出会いました。

「羽生の頭脳」(全十巻)という本です。

羽生善治氏はその頃、前人未到の将棋タイトル七冠王(名人、竜王、王将、王座、王位、棋聖、棋王)への道を突っ走っていました。

当然、将棋を指すものとしては彼の動向を見逃すことはできなかったのですが、ある日、本屋に「羽生の頭脳」という名の本が置かれていることに気づきました。

その本は、羽生氏の研究の結果、戦法に応じて、どのように指せば良いか、ということが解説してある本でした。

私は棋界No.1の秘訣をぜひ知りたいと思い、早速第一巻である急戦四間飛車破り!
という本を買って、本で書いてある通りに駒を並べはじめました。羽生氏の定跡を覚えれば、絶対に誰にも負けるはずがない!と思っていたのですが…。

驚いたことに、駒を指し進めながら、最後のページたどり着くと、「これにて先後不明(先手・後手がどちらが有利か分からない)」と書いてあるだけなのです。

「将棋はこう指せ!」とガイドするのが、将棋の本の役目のはずです。それ以前に買った将棋の本のほとんどは、「こう指せば有利」とか、「こう指せば必勝」とか書いてあるものばかりでした。

しかし、羽生氏の本に限っては、「僕だったらこう指すけど、これ以降はどっちが有利か自分も正直わからない。後は自分の頭で考えて」と言っているだけなのです!

高校生の私も、これには衝撃を受けました。

「本物は、結論を言わない…後は自分で考えるしかないんだ!」

棋界トップが、このようなことを言っているという事実は、私に大きな示唆を与えてくれました。

本当に物事をわかっていたり、経験を積んでいる人に限って、答えを安易に教えてくれなかったりします。それは、その人が未だ「学習者」であるという自覚を持って、さらなる高みを目指しているからだと思うのです。

また、安易な答えを教えることで、教えを乞う人間が自分の頭で考えることを放棄することを怖れているからだと思います。




現在、巷にあふれる「成功本」や「ノウハウ本」の類を見ていつも疑問に思うのは、「そこに真実はあるのか?」ということです。「○○すれば人間関係がすぐに改善する」とか、「××すれば、億万長者になれる」とか、あたかもそこに簡単なスイッチがあるかのように思わせてくれるものがあふれています。

しかし、本物の世界でしのぎを削っている者から見れば、そんなに答えは安易なものではない、ということが言えるのではないかと思います。


「結論なし」の状態に陥った段階で、死に物狂いで、自分の頭で解決策を考えられるか否か、が最終的に本物になれるかなれないかの分かれ道だと思うのです。