「好きだったら長時間やっていて当たり前」
私がこう思うきっかけになった理由は、ある雑誌を見た時のことでした。
ある雑誌で、自分と同じ会社に働いている人がインタビューに答えていたのですが、会社での仕事が充実している、ハードだが達成感がある、楽しいなどと応えているのに、
「週末は息抜きしたい」
「日曜の午後には憂鬱になりますが」
などと、答えていたのです。
そのときの、私が感じた違和感と言うのは、
「好きでこの会社に入社して、仕事に充実感を見出しているのに、なんで週末休んだり、楽しみにしているのだろう」
ということでした。
もし、おもしろいことに打ち込んでいるのであれば、わき目もふらず、やり続けるのではないでしょうか?
そもそも「週末」というのは、他人が勝手に設定した休息日であって、自分がわざわざそれに合わせて休む必要はないわけです。自分が楽しいと思っているのであれば、週末だって関係なくそれを行うのが自然の姿だと思うのです。
私は、自分自身一つのことにのめりこんだ体験があったので、この違和感がわきあがってくるのを、どうしても否定できませんでした。
そして、同時に週末を楽しみにしている自分自身が、
「仕事を楽しんでいないのではないか。完全に好きだとはいえないんじゃないか」
と思っていることについても、うすうす気づいていました。
もちろん「楽しい」ということが全てではありませんが、「この山を越えれば、何かが見える」という希望を持てば、ワクワク感だけを胸に、休みなしで一生懸命山を登るものだと思うのです。そこには、何時間働いた、という指標さえ意味のないような気がします。
賛否両論はあると思います。
長時間労働は、倫理観や法律を巻き込む重大な議論です。
しかし、もし自分の人生を最高に充実させたいと思う人は、自分が進んで長時間労働しても絶対に後悔しないような、もしくは自然に、他の人にやめろと言われても長時間労働してしまうような仕事を選んだ方がいいと思います。
そう思えていないということは、その仕事が、おそらく自分にとって最高の仕事じゃないということだと思うのです。
私がこう思うきっかけになった理由は、ある雑誌を見た時のことでした。
ある雑誌で、自分と同じ会社に働いている人がインタビューに答えていたのですが、会社での仕事が充実している、ハードだが達成感がある、楽しいなどと応えているのに、
「週末は息抜きしたい」
「日曜の午後には憂鬱になりますが」
などと、答えていたのです。
そのときの、私が感じた違和感と言うのは、
「好きでこの会社に入社して、仕事に充実感を見出しているのに、なんで週末休んだり、楽しみにしているのだろう」
ということでした。
もし、おもしろいことに打ち込んでいるのであれば、わき目もふらず、やり続けるのではないでしょうか?
そもそも「週末」というのは、他人が勝手に設定した休息日であって、自分がわざわざそれに合わせて休む必要はないわけです。自分が楽しいと思っているのであれば、週末だって関係なくそれを行うのが自然の姿だと思うのです。
私は、自分自身一つのことにのめりこんだ体験があったので、この違和感がわきあがってくるのを、どうしても否定できませんでした。
そして、同時に週末を楽しみにしている自分自身が、
「仕事を楽しんでいないのではないか。完全に好きだとはいえないんじゃないか」
と思っていることについても、うすうす気づいていました。
もちろん「楽しい」ということが全てではありませんが、「この山を越えれば、何かが見える」という希望を持てば、ワクワク感だけを胸に、休みなしで一生懸命山を登るものだと思うのです。そこには、何時間働いた、という指標さえ意味のないような気がします。
賛否両論はあると思います。
長時間労働は、倫理観や法律を巻き込む重大な議論です。
しかし、もし自分の人生を最高に充実させたいと思う人は、自分が進んで長時間労働しても絶対に後悔しないような、もしくは自然に、他の人にやめろと言われても長時間労働してしまうような仕事を選んだ方がいいと思います。
そう思えていないということは、その仕事が、おそらく自分にとって最高の仕事じゃないということだと思うのです。

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