以前、石を一人で積み上げる人の話をブログに書いたような気がします。
その時の趣旨は、「他人から賞賛や評価を得られなくとも、一人で黙々と何かに打ち込み、人生の喜びを得ている人がいる」というつもりで書きました。
私がコンサルティング会社にいた頃出会った社長で、表舞台に一切立たずに、ストイックにコスト削減に打ち込んでいる人がいたのですが、彼の生き様に衝撃を受けたのです。
そして最近、ビジョナリーカンパニー2という本を読んだのですが、特筆すべきことに、良好(Good)にとどまらずに、偉大(Great)に飛躍する企業の条件として、そのような地味な経営者を擁していることだ、ということが書かれてありました。
偉大な企業を作り上げた人と言うのは、意外にも脚光を浴びず、厳しい現実を見つめながら、個人的な欲望を偉大な企業を作るための動機として昇華している、ということだそうです。
逆に、スーパースターのような経営者は、その経営者が在任している期間は素晴らしい業績を残すが、その人物が抜けた後は、そのようなパフォーマンスを残すことができず、良好(Good)にとどまってしまう、ということ。
その言葉に、大変感銘を受けたのでした。
こういうものを読むと、やはり自分が本物だと感じたことは、間違っていなかったんじゃないかと、うれしくなります。
その時の趣旨は、「他人から賞賛や評価を得られなくとも、一人で黙々と何かに打ち込み、人生の喜びを得ている人がいる」というつもりで書きました。
私がコンサルティング会社にいた頃出会った社長で、表舞台に一切立たずに、ストイックにコスト削減に打ち込んでいる人がいたのですが、彼の生き様に衝撃を受けたのです。
そして最近、ビジョナリーカンパニー2という本を読んだのですが、特筆すべきことに、良好(Good)にとどまらずに、偉大(Great)に飛躍する企業の条件として、そのような地味な経営者を擁していることだ、ということが書かれてありました。
偉大な企業を作り上げた人と言うのは、意外にも脚光を浴びず、厳しい現実を見つめながら、個人的な欲望を偉大な企業を作るための動機として昇華している、ということだそうです。
逆に、スーパースターのような経営者は、その経営者が在任している期間は素晴らしい業績を残すが、その人物が抜けた後は、そのようなパフォーマンスを残すことができず、良好(Good)にとどまってしまう、ということ。
その言葉に、大変感銘を受けたのでした。
こういうものを読むと、やはり自分が本物だと感じたことは、間違っていなかったんじゃないかと、うれしくなります。

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