情報について、ジャーナリズムに関する話をこのブログで書いたのですが、

よく思うのは、「把握」とというのと、「解釈」とは、別々であるべきだと思うんですよね。

「把握」というのは、何が起こったのか、詳細に理解すること。

たとえば、Aさんが、お酒を飲みすぎて、酔っ払って、店主に「バカヤロー」と言ったとしましょう。

この場合、事実の把握というのは、


Aさんが、○○という居酒屋で、ビールを、中びん5本飲んだ。
Aさんの顔は、普段よりも紅潮していた。
Aさんは、店主に「バカヤロー」と言った。


このような認識を行うこと、これが事実の「把握」です。
これを踏まえて一歩進めるのが、「解釈」です。


Aさんは酔っ払って店主に絡んだ。何か職場で悪いことでもあったのだろう。


これが、「解釈」。

酔っ払った、絡んだ、というのは、それを見た人の解釈。「悪いことでもあったのだろう」も、解釈。

実際には、Aさんは、ビールびんを5本飲んでもシラフでいられる人かもしれません。
また、顔が普段より赤いのも、かぜを引いていたのかもしれない。「バカヤロー」と店主に言ったのは、店主がAさんに、極めて失礼な言動をしたからかもしれないですよね。

全てとは言いませんが、多くのマスコミ記者は、事実の把握をした時点で、勝手に解釈をし始めるんですよね。以下を見てください。


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「ヒューザー」が破産申し立てに反論、答弁書提出

 耐震強度偽装事件で、姉歯秀次・元1級建築士(48)による偽装マンションを販売した開発会社「ヒューザー」(東京都大田区、小嶋進社長)に対し、マンション住民が破産を申し立てた問題で、ヒューザーは15日、申し立ての棄却を求める答弁書を東京地裁に提出した。

 この中でヒューザーは、同社が東京都など首都圏の18自治体や、民間確認検査機関「イーホームズ」(新宿区)を相手取り、総額約144億円の損害賠償請求訴訟を起こしたことを挙げ、「いずれの訴訟も勝訴の見込みがある」と主張。

 このうち自治体に請求した約139億円は「(ヒューザーの)資産として考慮しなければならない」とし、住民側が主張しているような債務超過状態にないとしている。

 ヒューザーが自治体を相手取った訴訟については、北側国土交通相が「故意に偽装した設計者を自ら選んだのは建築主。何かはき違えているのでは」と不快感を示すなど、行政側は強く反発している。
(読売新聞) - 2月15日
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この記事の最初の部分は、淡々と起こった出来事を書き連ねているようです。あからさまな「解釈」が加わっているのは、最後の段落。

まず、北側国土交通相が言ったことですが、前後の文脈、記者からの質問がなく、この文面からだけでは、何を言わんとしているかを知るには不十分です。そこで、記者が、勝手に「不快感を示す」と解釈をしています。ある人が不快感を示しているかどうかは、その人を見る側の解釈によるものであって、明確に断言できるものではありません。また、「行政側は強く反発している」というのも解釈。強く反発、というのも、記者が感じた印象であって、具体的な事実ではありません。

でも、誰かが不快感を感じているとか、反発している、と書かれてある方が、読む側としては面白いんですよね。下世話な話ですが、人が喧嘩したり、対立している様子を見るのは、この上なく愉快なものなのです。その人間心理を利用して、書かれた記事かもしれませんよね。

解釈を勝手に加えることで、ストーリーができます。ストーリーができると、ただの情報に、エンターテイメント性が加わる。エンターテイニングなストーリーの方が、圧倒的に売れるに決まってます。だから、マスコミはこれをやり続ける。
我々は、それを否定することはできません。彼らには、そんなこと言ってもムダですよ。それが、彼らの商売で、現にそれを買っている大衆がいるわけですから。

でも、ブログが発達した現在、私がかなり期待しているのは、この「把握」と「解釈」の役割が分離すること。
情報の仲介者は、ソースを、なるべく生の状態でネット上に届けて(事実の把握だけをして)、後は、ブロガーがその情報を料理する(解釈するってことです)。

解釈というのは人の意見ですから、その性質上、正しいも正しくないもないわけです。
人は、他人の解釈を、一つの意見として受け取ればいい。
でも、一つの物事にはたくさんの解釈があった方が、自分の考えを定めるときに役立ちます。それが、具体的な行動を起こしたり、改めたりする時に影響を与えるわけです。
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