Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

February 2009

昔、学生時代に就職活動をしていた頃、よく面接で、営業職志望の学生が「私は、新しい人と会うのが好きなんです」なんて言っていました。私は、そんな学生達がうらやましいなぁと思っていました。

なぜか。私は「人と会うのが好き」なんて、思ったことがなかったし、むしろ新しい人と会うなんて面倒だし、うっとうしくてしょうがないと思っていたからです。

そんな自分も、この年になって、段々人と会うのが楽しくなってきました。Facebookをやっていますが、ものすごいペースで友達が増えていっています(現在350人)。年齢・性別・人種・嗜好に関わらず、やっと自分も「新しい人と会うのは楽しいな」と本気で思うようになってきたのです。これって、結構すごい変化だと思いませんか。

以前紹介した映画プロデューサーのJonもそうですが、本当にいろんな世界でがんばっている人達と会うことができて、面白くて仕方がないのです。アメリカは、自分の好きなことを追い求める人や、人生にポジティブな姿勢を持っている人が非常に多いです。成功の度合いはそれぞれ違いますが、そういう人が多い環境に自分がいることをありがたく思っています。

今日は、面白い出会いを一つ発見。

過去3ヶ月間ほど、「インテグリティ」という週一回のセミナーをとっていたのですが、今日が最終日でした。

今回のセミナーを通じて仲良くなったのが、レイチェル。
マリナ・デル・レイという所でインテリアデザイナーとしてがんばっている女性です。

今日最後に、私が日本に住んでいた頃の話をしたら「あれ、ジミーって日本に住んでいたの?ミスタードーナツって知ってる?」と聞かれます。

ああ、ミスタードーナツか。日本人なら誰でも知ってるよ。

「あれ、ウチのおじいちゃんが作ったの」

…ウソ…。

「一度だけおじいちゃんと日本に行ったことがあって、日本の人たちはホント私達の家族に良くしてくれて、私は今でも日本人を特別に尊敬してるのよ」

ふーん。そういえば、ミスタードーナツってダンキンドーナツと同じ家族で創業されたんじゃなかったっけ?

「そうそう。私のおじいちゃんは、ビル・ローゼンバーグと言う人とダンキンドーナッツをはじめたの。で、私のおばあちゃんと、ビルの奥さんが姉妹で、最初はとても仲良くやっていたんだけど、途中から意見が食い違ったらしくて」

「で、アメリカの会社は買収されて、もうミスタードーナツはなくなったけど、日本にはまだあるのよね」

「ミスタードーナツのロゴの顔、おじいちゃんの顔だから」

へー。こういう人がその辺にいて、会えて、話ができるということが面白いです。

最後に、ダンキンドーナツも日本に進出したんだけど、失敗したんだよねー、と言うと、レイチェルは「本当?」と一言。

彼女がちょっと満足げにニヤッと笑ったのを、私は見過ごしませんでした。

ストリートビューで小平市を探検した話を書きましたが、もともとは、Mr. Childrenの歌を聴いているうちに、昔のことを思い出して、小平の情景が浮かんだことから、ちょっと見てみたくなったのです。

CDの棚を整理していたところ、「売上アップ云々」、と書かれたビジネス系のDVDがあって、「そうだ、これを久しぶりに見てみよう」と思ってケースを開いたところ、DVDではなく、ミスチルの"Atomic Heart"というアルバムCDが入っていました。

CD管理の悪さを露呈したわけですが、それは置いておいて、久しぶりにOverやらCross Roadやらを聴いてみると、よく聴いていた頃の情景がよみがえってきました。

Mr. Childrenの曲は何がいいのか、といえば、やはり歌詞がいいと思うんです。
愛とか夢とか希望とか歌う人がいたりしますが、ミスチルはそういうことについて歌っても「こんなこと表面上は言ってるけど、裏では実はこんなこと考えてるんだ」みたいな、普段人が言わないような、隠したいと思うようなことまで見事にさらけ出して詞にしてしまってるところがすばらしいと思うんです。

…って、こんなこと、ミスチルファンなら、誰でも知ってることで、改めて言うまでもないんですが、その表現の仕方とか、「今の自分の全てに正直であろう」という真摯な姿勢は、すごく憧れるんですよね。

自分について完璧で美しいことばかり言ったり、なんとなく聴き触りの良いことばかりを言ったりするのではなくて、実は裏でどうしても持っている欲望だとか、適当さだとか、劣っているところだとか、そういうことも全部含めて自己表現できる、という所に自由さを感じます。しかも諦めや絶望だけに終わるような青臭さがなくて、「それでも生きていくんだ」というような、いつも新しい道を模索しようという姿勢が伝わってくるんです。


完璧な言葉ばかり並べる人は、嘘くさいと思うんです。例えば、政治家というのは、完璧なことばかり言う人達の代名詞だと思うんです。相手の政党がAと言えば、自動的にBと言い、相手は100%間違い、我々は100%正しいと。私に投票すれば、明るく開かれた未来が待っていると言うわけです。

誰も、自分の欠点なんて述べないですよね。いつも万人に完璧な自分を見せなくちゃいけない。そういうところに、ものすごく大きな嘘くささを感じるわけです。
だから、逆にマスコミだとか、解説者だとかが、「あの政治家はあんなこと言っているが、裏では利権がからんでいる」「今回の発言は、選挙を前にして〇〇層にアピールする狙いがある」なんて解説をいつも加えなくちゃいけない。

麻生さんが小学校を訪問したら、「これは庶民派としてのアピールだ」とか「またこれは彼のパフォーマンスだ」などと周りは思うわけです。だから、本人がアピールのつもりでも、全くアピールになっていない。支持率は下がる一方です。これは、下心を隠しているように見えるから、余計に白々しいわけです。政治家という職業の構造上、これは仕方なく、個人の責任でないとも言えます。

でも、そんな場面で、もし麻生さんが「僕は小学校訪問しているけど、これは実はアピール目的で、本当は小学生になんかこれっぽっちの興味もない。でも、小学生に会ってみたら、エネルギーがたくさんあって、触発された」なんて本音を自分の言葉で言ってくれれば(これが本音なのかは知りませんが)、少なくとも見ている側は、「表裏がないんだな」と思って彼の言葉に対する信頼度は増すと思うんです。

オバマ大統領は、そういう意味でやはり非常に成熟していると思います。「自分は完璧じゃない。国民の努力と忍耐なくして変革はありえないから、力を貸してくれ。共和党も正しい意見だったら、取り入れるから出してくれ」と言ってのけるオバマ大統領は、嘘くささがありません。2人の閣僚が税申告問題で辞職しましたが、その人事でも言い訳せずに"I screwed up"(「私の大失敗だった」)なんて言えちゃう人なんです。やはりこういう姿勢だからこそ、多少失敗しても(現在もたくさんの失敗を毎日しているように見えます)、国民からの本当の信頼を得られていると思うんですよね。

ビジネスマンでもそうです。どっかからコピー&ペーストしてきたミッション・ステートメントを掲げたって、本当にその人がそのことを思っているのかな、と人は疑ってしまうわけです。中には、名経営者の言葉をそのまま引用して社是にし、その割には顧客ないがしろで金儲けばかり考えている人もいます。それだったら、「稼ぐが勝ち」と誰に対しても表裏なく言えてしまう元ライブドア社長の堀江氏の方がよっぽど軸にブレがなく、人として信頼ができます。

ドロドロとした裏の心を全部さらけ出して、それで太宰治みたいに「生きててすいません」みたいに圧倒的にネガティブな結論に落ち着くのも困りますが、彼は「走れメロス」のような理想の友情も描いたわけで、「負の部分もあるけど、がんばっていこうよ」みたいなベクトルの向け方にはすごく共感します。

自分のブログでも、本当は自分のうまくいっていることだとか、自慢話だとか、楽しいことばかり書きたくなってくるんですが、いいところも悪いところもなるべく全部出そう、という努力は、これでもしているつもりなんです。表現と言う意味では、まだまだ学ぶ点ばかりだと思っています。


話をミスチルに戻します。

ミスチルの歌は、年を経るごとに、どんどん世界観が変化しているなぁ、というのを、ファンなら誰もが感じると思います。紅白歌合戦には出場しない、とずっと言っていたのに、昨年末は出場していました。紅白に出ない、というポリシー自体が、彼らにとって意味のないこだわりに変化したのかもしれません。

そういえば、自分としては珍しく、この前、音楽雑誌を買いました。
桜井和寿氏のインタビューが載っていたからです。

ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 01月号 [雑誌]ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 01月号 [雑誌]
販売元:ロッキング・オン
発売日:2008-12-20
おすすめ度:5.0
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紅白のことについては書いてありませんでしたが、デビュー以来のアルバムとその世界観の変遷が、桜井氏自身の口から語られている、貴重なインタビューがこの雑誌に載っています。表現者としてのエゴと、ファンの満足を満たすことを、同時に達成しようとしているんだなぁと、納得しながら読みました。


最後に、

「ミスチルの(シングル以外で)この曲ちょっといいんじゃないの・個人的ベスト10」

1. ティーンエイジ・ドリーム(I〜II)<Kind of Love>
2. 彩り<HOME>
3. Over <Atomic Heart>
4. 星になれたら<Kind of Love>
5. ありふれたLove Story 〜男女問題はいつも面倒だ〜 <深海>
6. Everything is made from a dream<Q>
7. ラララ <DISCOVERY>
8. もっと<HOME>
9. one two three <It's a wonderful world>
10. 幸せのカテゴリー<BOLERO>



いいのかな、これリンクして…?

Google Mapsのストリートビューで、東京都小平市を探検しました。
小平市は大学時代に4年間住んでいた場所。

あ、龍園だ!もとき(定食屋の名前)だ!と頭の中で叫びながら大学時代に歩いた、見慣れた道路を徘徊。
そうだ、昔住んでいたアパートに寄ってみようと思い立ち、玉川上水を西へ西へ。

西武国分寺線を過ぎ、上水沿いの生協が左手に見える(完全に内輪ネタですいません)。麻婆豆腐の具材を買った帰りに、自転車に乗ってひじに長ネギがひっかかった感触がよみがえって、何だか涙が出てきた。

そして、ドキドキしながら、アパートの前へ。
この角を曲がって、この辺だ。
あと少しだ。

…。

あれ?

おかしいな。もう一つ、向こうだっけ。

…ない。…どこにもない。

ひょっとして、この真新しい家…。



私の思い出のアパート「緑洲館」は消えてなくなっていました。
代わりに、家が建っていました。

しばし、画面を見ながら硬直しました。
ウィスキーを飲むことにしました。

この映画はメチャクチャおもしろいです。
はじまってから終わるまでドキドキしっぱなしでした。

内容は、"Who wants to be a millionaire?"(日本版ではみのもんたが「ファイナル・アンサー?」とか言う番組です)のインド版で、スラム街出身の少年が、どんどん正解を連発して勝ち進んでいく、という話。
教養のないこの少年が、どのようにしてその一つ一つを答えることができたのか、フラッシュバックと共に彼の過酷な記憶がよみがえる、という設定になっています。

物語の進行と共に、少年の悲惨な過去と、どんな状況に陥っても生き延びるのを支えてきた彼の一途な思いが明らかになっていきます。インドの事情を全く理解していない私にとっては、画面に映し出される世界そのものが、非常に新鮮でした。
演技・演出・脚本の質とか、全てがハイレベルで、終始圧倒されました。これはすごい。ラストにかけて、感動が押し寄せます。

今年のアカデミー賞最有力候補です(あ、先週と言っていること違う?)。



…あ、そういえば、今日はバレンタインズデー?
だから映画館あんなに混んでいたのか。普通に忘れてました。

「iPhoneがあと1ヶ月で登場します。この中で、買うという人は手を挙げてください!」

会場にいる100人くらいの中で、半分以上が手を挙げました。

私はNew York Cityで、あるIT技術に関するミーティングに出席していました。Web技術の最先端を世に発表しているベンチャー企業の集まりで、みるからにオタクっぽい人たちばかりです。

携帯電話の革命と言われたiPhoneの発売が目前に迫っていました。彼らはiPhoneの話題で持ちきりで、目を輝かせていますが、私は冷ややかな目でそれを見ています。

「なんでこの人たちはiPhoneくらいでギャーギャー騒ぐんだろうか。大体、あんな小さな画面をずっと見ながら、ずっと指でちょこちょこやってるなんて、なんか不健康で、哀れだな…」

約半年後、私はスケジュール管理できる電子手帳のようなものを探し回りました。Blackberryという選択肢もあったのですが、結局日本語を閲覧できるという理由で、iPhoneを購入しました。

「ミイラ取りがミイラになる」とはこのこと。時は流れ、いつしか私はiPhone中毒になっていました。

朝、iPhoneの目覚まし時計で目を覚まし、眠たい目をこすりながらメールの受信・送信。朝ごはんを食べながらiPhoneの画面でNY Times購読、PodcastでNBCのニュース・ショー"Countdown"と"Rachael Maddow Show"を視聴。外に出れば、スケジュール管理、アドレス帳管理、予算・家計簿管理。車に乗りこんでは音楽・オーディオブック・Podcastを聴き、Google Mapで住所検索、ガソリンのMPG記録。仕事場では電話、Bloombergで株式・債権市場動向、Mutual Fundの価格チェック、ToDoリスト、テキストメッセージ、オンラインバンキング、自社のバランスシート・損益計算書チェック。余暇中には、映画鑑賞、ゴルフスコア記録、Mixi、テトリス、ポーカー。他にも、カメラ、Facebook、チップの計算、天気予報、メモ帳。夜は、布団にこもりながらYouTubeで動画鑑賞:爆笑問題の動画を見てケラケラ笑いながら意識を失い、またiPhoneの目覚まし時計で起床……週7日24時間、この小さな魔物から全く離れることができない自分になってしまったのです。

そのうち私は、「iPhoneを持っていない人は、なぜiPhoneを持っていないんだろう」と思うようになりました(もはや質問自体が病気です)。「自分が全ての人にiPhoneを持つように勧めなくてはならない」と考えるに至っては、すでに宗教の域に入っています。

そんなある日、友人宅に行った時、iPhoneを家に忘れてきたことに気づきました。

命の次に大事なiPhoneを忘れるという大失態を犯した自分に対して”逆ギレ”気味の私に、友人らは哀れみの目を向けてきたのでした…。仕方なくiPhoneのことを忘れて、友人らと話していると、iPhoneがなくても実は生きていけるんだという、何だか当然のことに今さらながら気がついたのでした。

24時間週7日営業、のことではありません。

FOXのドラマ"24"のシーズン7がついにはじまったのです。
昨年いろいろあって、放映が延期されたので、ジャック・バウアーが帰ってくるのは実に1年半ぶりになります。

24は、他の政治ドラマと同じように、その時代の政治背景をプロットにうまく取り入れることでも知られています。

昨年オバマ大統領がアフリカ系として初めて大統領に当選しました。その裏では、24の初期シーズンでDavid Palmer(Dennis Haysbert)が大統領になり、その賢人ぶりが、多くのアメリカ人に「誠実なアフリカ系大統領」のイメージを植えつけ、「アフリカ系大統領の受け入れ体制を作った」いう説もあります。

実際には、視聴率からするとそこまでの影響はなかったんじゃないかと思いますが、人気ドラマでアフリカ系大統領が実現したということは、現実でも国民の準備が整っていたということなのでしょう。

今回のシーズン7が捉えている時事ネタは、「拷問」。

シーズン7が始まった頃、ちょうど前政権のCheney副大統領が、「テロ犯に対する拷問」を認めるような発言をしたことで、物議をかもしていました。具体的には、テロ対策の一環として、必要とされる情報を得るために、収監されているテロ犯に対して、「水責め」を行ったというのです。

新しい司法長官であるEric Holder氏(ちなみにこちらもアフリカ系初)は、上院の公聴会で「水責めは国際法上、れっきとした犯罪である」と言いました。「日本でも(戦時中)水責めを行ったものは、戦犯として処されている」と。

上院の一人がこれに対し、「でも、本当にアメリカ国民が一刻を争う危険に瀕していて、拷問が唯一必要な情報を聞き出す手段だとしたら、水責めをするしかないのではないか?」(この質問自体、24を意識しているのは明らか)と聞くと、Holder氏「水責めだけが、必要情報をとりだす唯一の方法である、という前提条件を私は受け容れることができない」と実に賢い切り替えしをしました。

この公聴会の前後で、メディアでは「拷問は犯罪か?」「拷問は有効な手段か?」ということをよく取り上げていたのですが、総じて「拷問は犯罪」「拷問は、必要な情報を聞き出すために、有効どころか、効率が悪く、間違った情報を得る可能性が高くなる」「拷問よりも、正確な情報を短時間で犯罪者から得る方法はたくさんある」という結論を各専門家が出しています。

そして、オバマ大統領が就任第一日目に行ったことが、グアンタナモ・ベイの閉鎖を宣言する大統領令。高い支持率を持つオバマ大統領が、拷問の横行するこの収容所の閉鎖を宣言したことで、世論は完全に「拷問反対」の風潮となっています。

これは、24というドラマにとって、かなり不利な展開です。24は、拷問なしには考えられないドラマだからです。ジャック・バウアーが拷問できなかったら、いや、もし拷問をしても、視聴者に拷問を認める考え方が失われていたら、ジャックに対する共感も薄れるというものです。

24のシーズン7は、このジレンマを真っ向からとりあげるようです。「拷問の是非」がドラマ開始から、大きなネタとしてとりあげられています。シーズン7の制作時期は1年以上も前だと思いますが、プロデューサー側もこの問題が、前政権のトップを巻き込んだ議論になるとは考えていなかったのではないでしょうか。ドラマにとっては世論が不利に傾きつつも、このこと自体をネタとして取り上げているので、もしまだ撮影しているのであれば、逆に挽回のチャンスがありそうです。

具体的にストーリーがどのように展開していくかに関しては、ファンの方のために、もちろん黙っておくことにします。

中学校の頃、「悪徳商法に気をつけて」とかいうパンフレットを渡され、世の中に存在する悪事の数々とそれを実行しようとする人達に、何ともいえぬ好奇心をひかれた記憶があります。そのパンフレットには、ずるがしこそうな顔をしたオネエサンが、いかがわしい商品を善良な市民に勧めているイラストが描いてありました。「こんなのに騙されるのか。こんな怪しいヤツが自分の目の前に出てきたら、うまいこと言って、やり込めてやろう」と思ったものです。

その後の人生で、「怪しいヤツ」は、現れませんでした。それでも、私はたくさんの人に騙されました。本を注文したら、コピー用紙が送られてきました。証書付きの中古車を買ったら、実は事故車でした。身に覚えの無い会員権の請求をされました。パソコンを預けたら、盗まれました。思えば、全ては自己責任。私が甘かったのです。幾多の経験を経て「詐欺師は、あのパンフレットに載っていた、ずるがしこそうな顔をしていない」ということを学んだわけです。

バーニー・メイドフというヘッジ・ファンド代表が逮捕されました。彼は、500億ドル(約5兆円!!)という、史上最大の詐欺をはたらいたのです。元NASDACの理事長という肩書きを引っ提げ、大富豪からお金をを集めたわけですが、ほとんど全てが露と消えました。彼の顧客も、「まさかメイドフが」と驚きを隠せなかったようです。

これを見て、「やっぱり詐欺師は詐欺師の顔をしてないな」とまた自説の確信をしていたのですが、それを覆す例があるのも事実です。近頃日本で逮捕されたL&G元会長の波会長、少し前に話題をさらったワールドオーシャンズファームの黒岩会長を見ると、大変失礼ですが「どう見ても怪しいだろ!」とツッコミたくなる顔をしています。それでも、多くの人が騙されてしまうのは、彼らがそんな怪しさを克服する「信用の演出」を、いろいろな手段で用意していたからなのでしょう。

これらの犯罪でどういう手法がとられているかというと、全て”Ponzi Scheme”が使われています。”Ponzi Scheme”というのは、出資者に対するリターンを、新たな出資者からのお金で捻出する、というもので、ねずみ講と似たようなものです。この手法では、全ての人に返すお金がそもそもないので、いずれ資金が尽き、例外なく破綻します。アメリカや日本の政府の年金システムは、”Ponzi Scheme”なのではないかという話もあります。もともとの年金の設計上、若い人からの税金で、退職した人にお金を支給するシステムなのですから、高齢化社会が進行すれば、給付を減らさない限り、破綻するのは当然です。

“Ponzi Scheme”のような、小学生でもわかりそうな古典的な詐欺手法が、プレゼンテーションを変えることによって、今でも通用してしまうのは驚きです。詐欺師はScam Artistと言いますが、ある意味本当に芸術家です。こういう例をたくさん見ると、段々騙されない自信がなくなってきます。

人と接する際に、疑いばかりから入るのは、個人的にはやりたくないことです。だから、自分が時々騙されてしまうのは、ある程度仕方のないことだと今では思っています。少なくとも、自分のビジネスでは、お金をお支払いいただいているお客様の期待は超えるように、そしてお客様の期待と現実の結果が異なってしまった場合にも、逃げずに誠意を持って対応しよう、ということを改めて肝に銘じたのでした。

4
電光ボードを眺めていると、"curious case"という文字が目に入りました。

最近、映画を全くチェックしておらず、何が面白いのか見当もつけずに映画館に来てしまいました。で、飛び込んできた文字が、"curious case"。
聞いたことのない映画の名前が並んでいる中で、この名前だけが、唯一記憶に引っかかっていたのです。

早速、iPhoneでこの映画を調べてみると、正式名称は"The curious case of Benjamin Button"。邦題は、「ベンジャミン・バトン - 数奇な人生」。電光掲示板は、文字数の制限があるから、"curious case"と出ていたんでしょう。

ああ、例のブラッド・ピットの映画か。
「段々、若返っていく男の数奇な人生を描く」というヤツ。

「段々若返る」という設定を思い出した時点で、興味レベルはほぼゼロ。なぜなら、そんな男の数奇な話は、ありえないからです。そういう、設定に無理があるものは、好きじゃないんです。

いや、でも評判は、すごく高かったな。ひょっとして面白いのかな。
そう思い、さらに情報を調べてみると、"David Fincher"の文字が・・・。

デビッド・フィンチャー - 私が好きな映画監督の1人です。
ピット=フィンチャーのコンビにより作られた「セブン」と「ファイト・クラブ」。DVDによる英語学習にハマっていた頃、この2作品を数え切れないほど見た覚えがあります。「セブン」のラストシーンの場面は、後で口からセリフが勝手に出てくるほど見ました(英語としてあまり役に立ちませんが)。「ファイト・クラブ」に至っては、卒論のテーマの一つとして分析をしたほどです(今考えるとあまりに恥ずかしい)。

私はアル・パチーノが好きなのですが、パチーノの映画なら、別に興味が沸かなくとも、とりあえず見ます。
それと同じように、フィンチャー作品は、たとえ面白くなさそうでも、見なくちゃいけない、という義務感が急に沸いてきたのです。そう、あのジョディ・フォスターの「パニック・ルーム」を見たときも、同じ気持ちでした…。

仕方ないので、チケットを買って見ることにしました。

(以下、ちょっとネタバレあり)

感想は・・・当初の予想をはるかに上回りました。
とても美しい話です。

年を経るごとに若返り、段々美しく、カッコよくなっていくベンジャミンを見るだけでも、ブラッド・ピットファンには垂涎モノなのではないでしょうか。

デイジー(ケイト・ブランシェット)という女性がヒロイン。普通に年をとっていくデイジーが子供の時は、ベンジャミンが老人。デイジーが老人の時は、ベンジャミンが子供。でも、その逆行する時間の中間地点で、お互いの年がピッタリ合う時期があるんですが、その限りある時間のはかなさが、美しい。

アカデミー賞にもたくさんノミネートされてますね…実は大本命…そんなことも知らなかった…。
フィンチャー監督、今回は賞をとって欲しいですね。

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