一橋大学の小平国際キャンパスの学生寮で、18歳の新入生が飲酒による急性アルコール中毒の疑いで亡くなるという痛ましい事件が起きました。
このニュースを目にした時、私は胸に複雑な痛みを感じました。
まさか、こんなことが今になって現実的に起こるとは、考えてもいなかったのです。
この学生寮自体は、6,7年ほど前に建てられた新しいものですが、それ以前は「一橋寮」(いっきょうりょう)と呼ばれるオンボロの建物に、同大学の1、2年生が住み着いていました。
その一橋寮に私が入ったのは、1996年のこと。
コンクリートむき出しの、そのボロボロの寮に入ることを決めたのは、単に共同生活が楽しそうだったからです。
廊下も部屋も壁は落書きだらけ、一部屋に4人のスペースで、プライバシーなどまるでありません。私が入った部屋は、北403号室。
部屋には2人の2年生の先輩がいて、1年生の同期がいなかったため、私を含め3人の所帯でした。しかし、同じ廊下でつながっている北401 - 406は「北4A」と呼ばれる一つのブロックを形成し、我々はこのブロック単位で行動を共にしていました。
入寮して初日、北4Aの学生が全員集まって飲み会がはじまります。
私はそれまでお酒というものをほとんど飲んだことがなかったので、これはきつかった。「ああ、こんなことに耐えなくちゃいけないのかな」と思いつつ、苦いビールを喉に流しこんだ記憶があります。
新入生歓迎コンパの期間は、1ヶ月くらい続きます。他のブロックと次々と「対抗コンパ」を行うのです。そのコンパでの飲み方は、それはもうひどいものです。新入生は、自分の自己紹介をしながら、理不尽なツッコミを受け、ひたすら飲み続けます。部屋には「ゲロ箱」が用意され、吐いた時の「受け皿」も万全です。吐くために飲み、飲むために吐きます。近所の居酒屋で大体6時ごろからはじまり、深夜にまで及びます。
新歓コンパは、私にとって非常に不愉快なものでした。そもそも、なんでこんなわけのわからない理由で毎日飲まされなければならないのか。
当時は、あまりに激しい飲み方に、「こんな無茶やっていたら、いつか誰か死んでもおかしくない」と私は思っていました。しかし、こんなハチャメチャな伝統が何十年も続いているにも関わらず、一橋寮がなくなる2002年まで誰かが亡くなったという話は聞いたことがありません。
私は他のコンパに出席しているうちに、この荒唐無稽に思える「一橋寮飲み」には実は強力なセーフティネットが張られていることに気づきました。
まず、一橋寮飲み(特に新歓コンパ)では基本的にビールしか飲まないのです。もちろんビールでも急性アルコール中毒になる可能性はありますが、現実的には泥酔する前に腹が膨れ上がってしまうため、意識を失ってしまう前に、物理的に飲めなくなってしまうことの方が圧倒的に多いのです。また、当時の一橋寮は4人部屋のため、先輩が責任をもって後輩の尻を拭うという暗黙の了解ができあがっていました。誰かの気分が悪そうだったり、ぐったりしていると、同部屋の先輩が、かなり心配して手厚くケアをします。お互い、男同士で気持ち悪いほど心配します(最初はこの「愛」がかなり気に障ります)。先輩からは、喉に何も詰まらないよう、指を使った「正しい吐き方」を教わり、緊急時の対応も万全です。
新入生の頃、ある飲み会で私は完全にブチ切れ、空のビール瓶を蹴り飛ばしました。何でお前らのようなアホどもに飲まされなければならないのか。ふざけるな。他ブロックの何人かの先輩と一触即発の事態になりましたが、「お前、勇気あるな」と帰り道に肩を抱えながら言ってくれた先輩の言葉も忘れられません。大嫌いなコンパも参加しているうちに楽しくなり、同期とは戦友のような間柄となりました。夜中の1時にブロック全員で国立までカラオケに行ったりと、メチャクチャなことばかりやっていました(現在多くの掲示板でたたかれている通り、かなりアホです)。今考えると、やはりやることが一つ一つ危険だったことは否めませんが、そんな中、築かれたかけがえのない絆は卒業して随分経った今でも続いているほどです。
あの頃一緒にバカ騒ぎしていた仲間の中には、在学中に公認会計士に合格した者もいますし、私の同部屋の後輩などは弁護士になりました。他にもあの明らかにアホな連中が日本を代表する大手銀行・商社・マスコミや外資系などに渡る名だたる企業の社員になったりするのを見ると、これは憂うべき事態なのか、逆に希望の象徴なのかわかりません。今でも世界の中で、何の遠慮もなく「こいつは偉そうにしているけど、れっきとしたアホです」とお互いを指差しあって言い合える仲など、彼らくらいしか存在しません。
私の卒業後、一橋寮の老朽化に伴い、「小平国際寮」が建設されました。
4人部屋だったものが、1人ずつの個室に変わり、その学生寮は落書き一つない近代的な建物に変貌を遂げました。
それまでの一橋寮飲みの伝統は消えてなくなりました。
あの激しくも楽しい飲み会と、4人部屋・ブロックごとのコミュニティを軸にした連帯感がもうなくなるのかと思うと寂しい気持ちはしました。
しかし、あれはあれで危険だったし、これからは個人の意思と権利が尊重される時代だから、これも良いのかもしれない。もう、ブロックごとの飲み会もなくなるだろうし、寮の中での小規模な飲みもずっと少なくなるに違いない。
そこには、少し安堵の気持ちがありました。
やはり、飲みたくない人に無理に飲ませる、というのはもはや時代に逆行していると思うのです。「空気」を利用して他人に何かを暗黙のうちに期待する、という日本人のやり方は私も賛成しかねる場面がたくさんあります。
そう思ってから随分経ちますが、今になってこんなニュースを聞くことになろうとは、思ってもみませんでした。本当に残念でなりません。新しい寮で新歓コンパがあったことすら知りませんでしたが、もしあの「ビールだけ飲み、気持ち悪いほど助け合う」伝統がなくなったせいで、逆に危険度が増したのだとしたら、皮肉でしかありません。
そもそも飲酒について忘れてはならないのは、18歳で飲酒というのは、違法だということです。多くの学生は、違法行為を平然と行っているのであり、これを見逃すわけにはいきません。
私の寮生活で起こったことは、不法行為の元に築き上げられたもので、単にラッキーだったということを認識し、事故が起きなかったから良いということではないと心得ています。このようなことが2度と発生しないよう、私は私の身近にいる人達に対して責任をもって対処するしか、償いの道はありません。
ただ、楽しかったあの思い出とかけがえのない仲間たちとの絆が、ともすると取り返しのつかない危険と隣り合わせだったことに今さらながら気づき、複雑な胸の痛みを感じています。
若い後輩の将来が絶たれたことを、本当に痛ましく思います。
ご冥福をお祈りします。
このニュースを目にした時、私は胸に複雑な痛みを感じました。
まさか、こんなことが今になって現実的に起こるとは、考えてもいなかったのです。
この学生寮自体は、6,7年ほど前に建てられた新しいものですが、それ以前は「一橋寮」(いっきょうりょう)と呼ばれるオンボロの建物に、同大学の1、2年生が住み着いていました。
その一橋寮に私が入ったのは、1996年のこと。
コンクリートむき出しの、そのボロボロの寮に入ることを決めたのは、単に共同生活が楽しそうだったからです。
廊下も部屋も壁は落書きだらけ、一部屋に4人のスペースで、プライバシーなどまるでありません。私が入った部屋は、北403号室。
部屋には2人の2年生の先輩がいて、1年生の同期がいなかったため、私を含め3人の所帯でした。しかし、同じ廊下でつながっている北401 - 406は「北4A」と呼ばれる一つのブロックを形成し、我々はこのブロック単位で行動を共にしていました。
入寮して初日、北4Aの学生が全員集まって飲み会がはじまります。
私はそれまでお酒というものをほとんど飲んだことがなかったので、これはきつかった。「ああ、こんなことに耐えなくちゃいけないのかな」と思いつつ、苦いビールを喉に流しこんだ記憶があります。
新入生歓迎コンパの期間は、1ヶ月くらい続きます。他のブロックと次々と「対抗コンパ」を行うのです。そのコンパでの飲み方は、それはもうひどいものです。新入生は、自分の自己紹介をしながら、理不尽なツッコミを受け、ひたすら飲み続けます。部屋には「ゲロ箱」が用意され、吐いた時の「受け皿」も万全です。吐くために飲み、飲むために吐きます。近所の居酒屋で大体6時ごろからはじまり、深夜にまで及びます。
新歓コンパは、私にとって非常に不愉快なものでした。そもそも、なんでこんなわけのわからない理由で毎日飲まされなければならないのか。
当時は、あまりに激しい飲み方に、「こんな無茶やっていたら、いつか誰か死んでもおかしくない」と私は思っていました。しかし、こんなハチャメチャな伝統が何十年も続いているにも関わらず、一橋寮がなくなる2002年まで誰かが亡くなったという話は聞いたことがありません。
私は他のコンパに出席しているうちに、この荒唐無稽に思える「一橋寮飲み」には実は強力なセーフティネットが張られていることに気づきました。
まず、一橋寮飲み(特に新歓コンパ)では基本的にビールしか飲まないのです。もちろんビールでも急性アルコール中毒になる可能性はありますが、現実的には泥酔する前に腹が膨れ上がってしまうため、意識を失ってしまう前に、物理的に飲めなくなってしまうことの方が圧倒的に多いのです。また、当時の一橋寮は4人部屋のため、先輩が責任をもって後輩の尻を拭うという暗黙の了解ができあがっていました。誰かの気分が悪そうだったり、ぐったりしていると、同部屋の先輩が、かなり心配して手厚くケアをします。お互い、男同士で気持ち悪いほど心配します(最初はこの「愛」がかなり気に障ります)。先輩からは、喉に何も詰まらないよう、指を使った「正しい吐き方」を教わり、緊急時の対応も万全です。
新入生の頃、ある飲み会で私は完全にブチ切れ、空のビール瓶を蹴り飛ばしました。何でお前らのようなアホどもに飲まされなければならないのか。ふざけるな。他ブロックの何人かの先輩と一触即発の事態になりましたが、「お前、勇気あるな」と帰り道に肩を抱えながら言ってくれた先輩の言葉も忘れられません。大嫌いなコンパも参加しているうちに楽しくなり、同期とは戦友のような間柄となりました。夜中の1時にブロック全員で国立までカラオケに行ったりと、メチャクチャなことばかりやっていました(現在多くの掲示板でたたかれている通り、かなりアホです)。今考えると、やはりやることが一つ一つ危険だったことは否めませんが、そんな中、築かれたかけがえのない絆は卒業して随分経った今でも続いているほどです。
あの頃一緒にバカ騒ぎしていた仲間の中には、在学中に公認会計士に合格した者もいますし、私の同部屋の後輩などは弁護士になりました。他にもあの明らかにアホな連中が日本を代表する大手銀行・商社・マスコミや外資系などに渡る名だたる企業の社員になったりするのを見ると、これは憂うべき事態なのか、逆に希望の象徴なのかわかりません。今でも世界の中で、何の遠慮もなく「こいつは偉そうにしているけど、れっきとしたアホです」とお互いを指差しあって言い合える仲など、彼らくらいしか存在しません。
私の卒業後、一橋寮の老朽化に伴い、「小平国際寮」が建設されました。
4人部屋だったものが、1人ずつの個室に変わり、その学生寮は落書き一つない近代的な建物に変貌を遂げました。
それまでの一橋寮飲みの伝統は消えてなくなりました。
あの激しくも楽しい飲み会と、4人部屋・ブロックごとのコミュニティを軸にした連帯感がもうなくなるのかと思うと寂しい気持ちはしました。
しかし、あれはあれで危険だったし、これからは個人の意思と権利が尊重される時代だから、これも良いのかもしれない。もう、ブロックごとの飲み会もなくなるだろうし、寮の中での小規模な飲みもずっと少なくなるに違いない。
そこには、少し安堵の気持ちがありました。
やはり、飲みたくない人に無理に飲ませる、というのはもはや時代に逆行していると思うのです。「空気」を利用して他人に何かを暗黙のうちに期待する、という日本人のやり方は私も賛成しかねる場面がたくさんあります。
そう思ってから随分経ちますが、今になってこんなニュースを聞くことになろうとは、思ってもみませんでした。本当に残念でなりません。新しい寮で新歓コンパがあったことすら知りませんでしたが、もしあの「ビールだけ飲み、気持ち悪いほど助け合う」伝統がなくなったせいで、逆に危険度が増したのだとしたら、皮肉でしかありません。
そもそも飲酒について忘れてはならないのは、18歳で飲酒というのは、違法だということです。多くの学生は、違法行為を平然と行っているのであり、これを見逃すわけにはいきません。
私の寮生活で起こったことは、不法行為の元に築き上げられたもので、単にラッキーだったということを認識し、事故が起きなかったから良いということではないと心得ています。このようなことが2度と発生しないよう、私は私の身近にいる人達に対して責任をもって対処するしか、償いの道はありません。
ただ、楽しかったあの思い出とかけがえのない仲間たちとの絆が、ともすると取り返しのつかない危険と隣り合わせだったことに今さらながら気づき、複雑な胸の痛みを感じています。
若い後輩の将来が絶たれたことを、本当に痛ましく思います。
ご冥福をお祈りします。