Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

July 2007

午後6時過ぎ、一旦アパートからオフィスに向かおうと思っていたところ、友人のS氏から電話が…。

「何か近くで大きな爆発があったみたいなんですけど、テレビかインターネット見てもらえませんか?」

「今、グラセン(グランド・セントラル・ステーション)付近で、建物が壊れたらしいんですけど、ものすごい煙が出てるんですよ」

何やら、ものすごくパニック状態に陥っているようなので、段々不安になってきました。テレビをつけてみると、白い煙がビルの間から立ち上っているのが見えます。
彼がさらにどんどん煽ります。

「もう人が騒いでいて、大変な状態ですよ。地下鉄も使えませんよ」

携帯電話越しからも、外からもサイレンの音がうなりはじめました。
テレビでは、数分するとすぐに専門家が出てきて、「この種類の白煙が出ているということはスチーム・パイプが爆発したものと思われる。テロの可能性は低い」ということをすぐに説明していました。

画面が切り替わると、見慣れたベーグル屋が出てきました。
そのベーグル屋に近い場所に、ぽっかりと大きな穴が地面に開いていて、怒涛の勢いで白煙を立ち上げています。

41st St & Lexinton Ave…あそこは、昨年9月まで住んでいたあのアパートから3ブロック離れたところでした…。
あの時は諸事情により「追い出された」のですが、今となってみれば自分はラッキーだったのかもしれません。

外に出て、オフィスまで歩いてみたのですが、タイムズスクエアでは、みんな普通にニコニコ歩いていました。

42nd St & 5th Aveあたりまで来ると、物々しい雰囲気はあったものの、煙も大分おさまったようでした。
彼が、「建物が破壊された」と他の人から聞いたらしいのですが、明らかにパニック状態から来たものなのでしょう。

亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。

今日チラッとLarry King Liveを見たら、幼い娘を殺された父親のインタビューを少しやっていたので、しばし見入ってしまいました。

3年前に起きたこの事件ですが、父親は憤慨がおさまらず、被告に怒りをぶつけていました。「被告が死ぬまで苦しみを味わうことを心から願う」「極刑を望む」と強い口調で言っていました。
彼にはそういう言葉を使う権利が十分にあるように思えます。幼い娘を拉致され、暴行され殺害されたことを考えれば、被告を許すことなど決してできるものではありません。

しかしながら、思い出してしまうのが、1年前くらいに見た別の裁判の様子。
息子を殺された母親が、被告席にいる連続殺人鬼に向かって、「正直に全てを語ってくれてありがとう。私はあなたを許します」と言っていたのです。

これには驚愕しました。彼女には、被告を憎む理由と資格がいくらでもあるのに、「全て許す」というのです。


悪人を憎むのは、自然なことであるように思えます。
それなのに、悪人に対する恨みで心が満たされている人には、自由も希望もなさそうに見えます。

逆に、恨みを手放して許しを与える人には、希望に満ちた人生がこれから広がっているように見えます。


親族を殺されて「犯人を恨むな」「許せ」などと、経験者でない私はとても言えるものではありません。
しかし、逆立ちしても変えられない現実が目の前にあるのもまた事実。
それに対しては、パワフルに意思と行動を選択したいものだと思いました。

本日は、起業家の集まり、一旗会の日です。
テーマは、利益分配。

コミッションや報酬などを、どのようにビジネスパートナーやセールスマン、その他従業員と分けるか、という話です。

本日集まられた方は、会計事務所、美容室、特許ビジネス、オンラインマーケティング、テレビ制作、広告、金融など多岐に渡るビジネスをお持ちの方がお集まりだったので、それぞれの業界でのコミッション体系がどうなっているのかが聞けて非常に面白かったと思います。


そして、会合の終わりごろには、Mさんご持参の「おからこんにゃく」で作ったベーグルとブラウニーがふるまわれました。
おからこんにゃくは、文字通りおからとこんにゃくを混ぜたもので、パンを作ることもできれば、お肉の代わりにもなり、健康にも良いという究極の食材らしいのです。
Mさんは、この食材を広めることに現在情熱を傾けられていて、その話をシェアしていただきました。

実にいろいろなビジネスがあって、おもしろいものです。

パワーをとるか、快楽をとるかの選択肢を迫られるのが、毎回の食事。

往々にして、ファーストフードの店に行ってハンバーガーをとるか、野菜をとるかの選択に迫られます。

私など、普通にしていると、体は肉、脂、炭水化物を求めているわけなので、野菜などには目がいかず、ハンバーガーを頼みたい衝動にかられます。
しかし、健康な食事の基本は野菜中心の食生活であることを頭ではわかっています。

そこで、ハンバーガーを注文すると、体はとても満足します。
やはり肉はおいしいからです。
しかし、食べた後でどことなく罪悪感が残ります。

ここで、あえてサラダを注文すると、どうなるか。
ハンバーガーほどおいしくないので、一時的な食欲は満足しません。
しかしながら、「注文すべきサラダを注文した」という精神的な充足感が内からわいてきます。

健康な体を維持する、という自分の信念と行動が一致したから、そこからパワーが生まれる、というわけです。こういうパワーというのは「そこに快楽や苦痛があるか」ということとはあまり関係がないようで、ともかく自分の言葉を守るか、それを信じられるかどうかということにかかっているように思えます。

自分の言うことが自分で信じられると何が良いのか?
段々と、自分の発する言葉が力を持ち、現実を形作っていくようになると思うのです。

本日夕方、友人のPamelaと和食レストランで食事をした時のこと。
NYCの和食レストランは、日本人でない人たちが経営する場所も大変多く存在します。本日行った所も、そんなレストラン。
私はメニューにある"Yakisoba"を頼みました。

以前、同じレストランでカツ丼を頼んだ所、とんでもない味付けで出てきたのでハラハラしていたのですが、今回も期待をはるかに上回って(?)くれました。

件のYakisobaが出てきたのですが、その麺が、蕎麦粉で作られた"蕎麦"の麺なのです。
確かに焼いた蕎麦なので、"Yakisoba"なのかもしれませんが…日本人としては極めて納得がいきません。腹さえ立ってきます。

頭の中でブツブツ文句を言いながら、一通り食べ終わりそうな所で、

"This is totally NOT authentic...they're using the wrong noodle"

とポロッと言ってしまうと、Pamelaがニヤニヤしながら思ってもみないコメントをぶつけてきました…

"Are you being a Japanese SNOB?"

"蕎麦"を焼いたYakisobaがホンモノじゃないと言っただけで、"snob"(俗物根性主義者)と言われるとは想定していませんでした…(ニュアンスとしては、「日本人だからってカッコつけてるつもり?」でしょう)。
冗談とはいえ、けっこうショックです…。確かに、ホンジュラス出身の彼女にはこのYakisobaに違和感など覚えようもありません。

そして、気づいたのは、自分は日本人としての常識にとらわれていたために、この新しい未知のYakisobaに対して、何の希望も可能性も見出さず、まずいと思いながら食べていたことです。
こんなありえない"Yakisoba"だからこそ、楽しんで食べなければならないのかもしれません。

仕事が一杯一杯になると、どうしても逃げ出したくなるものです。
私も、セントラルパークやブライアンとパークにでも行って、ボーっと過ごすことがあります。
天気の良い時は、昼寝も気持ち良いものです。

しかし、やるべきことをやっていないという感覚がどこかにあって、身体は気持ち良さを感じているのに、自分自身の奥底ではパワーが全くないことに気づきます。
楽しいはずのことをやっているつもりでも、その中に入りきれずに、頭のどこかで仕事のことを考えているのは、イヤなものです。

逆に、圧倒的な仕事量の真っ只中にあって、決して気持ちは良くないが、内からパワーがみなぎっていることがあります。目の前の現実に完全に立ち向かってフルで働いている状態です。こんな時は、やっていることが気持ち良い・良くないに関係なく、大きな充実感が得られます。


結局、やると言ったことを淡々とこなすこと、他人や自分との約束を守り続けることだけが、パワーを維持する唯一無二の方法なのかなぁと思います。

本日は、一ヶ月試したサプリメントの成果を測定しに行って参りました。
皮膚に含まれる抗酸化物質のレベルを測定するもので、当然高ければ良いというものです。

一ヶ月前あたりに測定した頃は、28,000という値だったのに対し、今回計ったところによると、48,000になっています。これはすごいです…本当にサプリメントに効果があることが証明された格好となりました。

確かに、明らかに体調が良いのを感じるし、昔から弱かった自分の肌が一切荒れなくなってところをみると、この商品はホンモノだと言わざるを得ません。

商品名はここでは言えませんが…とにかくすごいサプリメントです。こんなことが知られずに残っているとは、非常に驚きです…。

今日はNY州の保険ライセンスを維持するための試験を受けに行きました。
保険に関する試験で、課目を選ぶことができます。
私が選んだのは、マネーロンダリングについての試験。何回でも受けることができるので、たいしたことないと侮っているたら、規定の点数に満たず、落ちてしまいました…。

マネーロンダリングがどんな法律で規制されていて、どのような監視体制を金融機関の組織内に構築しなければならないか、いろいろな質問が出ましたが、さっぱりわかりません…楽勝だと思っていただけに、やたら腹が立ちます。

「何で、こんなこと勉強しなくちゃいけないんだ」とテストのせいにしている自分がいたりします。一通り人のせいにすると、今度は自分を責めていることに気づいたりします。「なんで、予習してこなかったんだ」「なんて無能なんだ、お前は」と。



一通り頭の中でブツブツ文句を言った後で、「起こったことは、テストに落ちたことだけだな」と気づきました。

とすれば、次にすべきことは、予習してまたテストを受けるだけ。
それ以外のことは全て騒音。
次は勉強して、必ず合格します。

アメリカ人とのテキストメッセージやインスタントメッセンジャーによるコミュニケーションを頻繁に行っていますが、彼らは、実際に会って話すと表情や声使いが非常に豊かであるのに対し、テキスト上では実に淡白だったりします。いまだに慣れないのが、彼らの絵文字。

Thank you so much :)

最後の

:)

は、目が2つにニッコリしている顔が横になっているのですが、日本人にはしっくり来ませんよね。見逃して放っておくことでしょう。日本人だったら、

(^O^)

と描いている所かもしれません。しかし、これは彼らにとっては手が込みすぎなのでしょう。この絵文字のパターンには、不機嫌なタイプ

:(

もあります。
鼻つきタイプもあります。

:-)
:-(
:-X

アメリカ人で、このパターン以外の絵文字を使う人をほとんど見たことがありません。日本の絵文字の方が多種多様で個人的には面白くて好きです。

今度、

(´・ω・`)
( ・Д・)

と描いてみて、どんな反応が得られるか試したいと思います。
ドキドキします…。

ずいぶんと長い間ブログを更新していませんでしたが、6ヶ月間のリーダーシップの研修が佳境を迎えていて、ひたすらトレーニングに没頭していました。ものすごい経験をしているのですが、なかなかプログラム自体の権利上の問題で、内容を書けないのが残念です。

それはそうと、ブログをまた書こうと思っていても、ネタがないことに気づきます。
いくらでもあるはずなのですが、何かいいことを書こうとすると頭の中が枯渇しきって、何も書けないような、書いてもしょうがないような気すらします。

いやしかし、これは、逆に考えるべきなのでしょう。
毎日毎日、何か新しいことを自分から起こしたり、何かを学んだりして、自分から何かを発見していかなければならない、ということなのでしょう。

また今日からがんばります。

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