Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

August 2006

以前タスクリストの作り方について書いたことがありますが、よく「タスクリストに優先順位をつけましょう」と言う人が多いんです。

これ自体は間違ってはいないと思うんですが、実は、どのタスクが最も重要かということは、リストを見れば、一目瞭然のことが多いんですよね。というより、重要なものは、頭の中にこびりついているから、実はいちいちタスクの一つ一つにABCというのをつけることに、あまり意味がなかったりします。

これ以外に、タスクリストに優先順位をつけることには、実は弊害があって、「優先順位の低いものをやらなくなる」ということがあると思うんですね。

例えば、「○○さんにメールを書く」というような、優先順位の低いメールがあったとしましょう。優先順位が低いということは、優先順位が高いものが終わらなければ先に進まないわけですからずっとそのままになってしまうこともあるわけです。

小さいタスクなのに、ずっと頭に残っていると、大きな仕事をする時にそれが邪魔をしてきます。「何か気になる」という状態で、仕事に集中することなどできるはずがないですよね。

なので、GTDで教えているのは、優先順位よりも文脈、ということです。

たとえば、ある仕事はコンピュータを使わなければできません。
eメール、書類作成など、こういうのはまとめてひとくくりにできるようにタスクの前に(comp)などと書きます。

銀行でお金をおろす、歯磨き粉を買う、切手を買う、などは外に出て行わなければならないタスクには、そのタスクの前に(out)などと書きます。

こうすると、コンピュータの前でする仕事、外に出てする仕事、などがひとくくりになります。小さい仕事であっても、やらなければならないという事実は変わらないので、どうせやるならひとくくりにする、ということによって、タスク処理効率が加速するわけです。

これを知って適用したときには、仕事の効率が劇的に変わったのを覚えています。

日本にいた時は、よく「アメリカと日本」の比較をしていました。
こういう話は今でもするんですが、昔は、自分の置かれている現実に言い訳を与えるのに都合が良いから、「アメリカでは○○なのに、日本では××だ」とか言うわけですね。

でも、そこにはあまり現実はなくて、思い込みだけだったりします。

たとえば、

- アメリカ人はオープン -> 心を閉ざしているアメリカ人もたくさんいます
- アメリカ人は直接的 -> 実際には間接的な物言いをすることがよくあります
- アメリカ人は単純 -> 単純に見える人もいるし、複雑に見える人もいます
- アメリカ人はデブ -> 痩せてる人もたくさんいます
- アメリカ人は享楽的 -> ストイックな人もたくさんいます
- アメリカ人は表層的 -> 誠実な人もたくさんいます
- アメリカ人は5時に帰る -> 真夜中になっても仕事をする人はたくさんいます
- アメリカ人は家族中心 -> 家族を中心にしてない人もたくさんいます
- アメリカ人はアメリカが好き -> 自国を嫌いな人・批判的な人もたくさんいます

平均的な日本人と比べた時の「傾向」はあるのかもしれません。
しかしながら、これといった解答はないんです。

解答がないのに、あくまでもそれがリアルであるかのように、こういう話に興じていたことを思うと、虚しくなってきます。

アメリカ人について、唯一いえるのは、「バラバラ」だと言うこと。
とにかく、そのバラバラ度が半端ではないんです。

特に、ニューヨークにいると、それが顕著になります。
この環境に慣れている人は、相手を全て「想定外」である可能性を持って接してくるんですね。

私の身の回りにいる人たちを思い浮かべても、ウクライナ出身アメリカ人女性、17歳白人少年(親がユダヤ系+イタリア系)、アルゼンチン出身の韓国系カナダ人…その人一人につけられる形容詞が非常に多いのです。国籍もバラバラだったりするので、もはやアメリカ人、というよりも単に「人」がいるだけですね。

たまに日本人に会って「アメリカ人は○○だから…」ということを言って、勝手に卑屈になっているのを聞くと、少し首を傾げたくなるんですね。実はそんなことを言っている日本人も、アメリカ人(というよりも単に「人」)の仲間の一人として見られ、扱われていることに気づいてほしいんです。

現実には、たくさんの人がバラバラのバックグラウンドと個性を持って生きている、というだけの話です。こういう環境の良いところは、「こうすべき・あるべき」という観念が比較的少なく、自分自身を縛るものがないために、自分に対していろいろな可能性を創りだしていける、ということだと思います。

人と接するたびにいろいろなインスピレーションを受けることができる、そういう意味で、私個人的にはこの「バラバラ度」は歓迎です。

YouTubeに動画を出している人"YouTubers"の中で、最高齢の人が、コードネーム"geriatric27"です。"geriatric"とは、「老人病の」という意味です。

コードネームからわかるように1927年に生まれたそうです。
なので、現在は79歳ということでしょうか。
この人は、Webcamの前に座って、昔のことをひたすら語り続けます。

http://www.youtube.com/results?search_query=geriatric27


"Telling it all part 1"で語っていますが、彼の話に感激した読者から、4,700通ものメールが送られてきたそうです。ここでは第2次世界大戦の話や、バイクの趣味についても語っています。最後に、なぜか感極まって、言葉を失うところがあるのですが、見ている側も感激してしまうものがあります。

昔の青春話に、共鳴をする若者も多く、「感想ビデオ」を投稿する人も多くなっています。その多くは、彼の語る昔話に感動した、インスピレーションを受けた、という内容のものです。


老人の過去を聞いて、若者が自分の現在を重ねあわせて、現在の時間の大切さを思い知るのかもしれません。実に興味深い内容です。

AOLのインターネットプロバイダーサービスの利用をキャンセルする時に、待たされたあげく、電話口の担当者に散々説得させられる話は有名です。

AOLの担当者が説得する時、理由を細かく聞いたり、価格を引き下げたりなどして、必死に顧客の離反を抑え込もうとするのです。

あまりにひどい対応なのでユーザの不満が爆発し、この「キャンセルプロセス」を録音したり、公開する人が出てきました。

こんなの↓です。

http://www.askdavetaylor.com/how_do_i_cancel_my_america_online_aol_account.html

キャンセル録音は、こんなのです。

http://media.putfile.com/AOL-Cancellation

Vincent Ferraliという人が、JohnというAOL担当者と話しています。

最初に

"What was causing your turning this off today?"
「なぜキャンセルするのですか」

との問いにVincentは、

"I just don't use it anymore"
「もう使わないだけだよ」

と答えています。
しかし、ここからがすごい。
Johnが「ハイ・スピードインターネット接続はあるのか」「どうも、たくさん使用しているようだ」「先月は545時間使用している」「あなたを助けようとしているだけなのに」「ソフトウェアに問題でもあるのですか」「ビジネス・個人使用どちらですか」「お父さんと話させてくれ」などと必死に食い下がる様子が、理解いただけると思います。


これに対して、Vincentは「父親のコンピュータには、AOLのソフトウェアすらインストールされてないんだ」「これ以上ハッキリ言わせたいのか。これが最後だ。キャンセルしろ」「もう何も説明しない」「本当にムカついてきたぞ。キャンセルしろ」とうんざりしながら話しています。


最後にキャンセルを受付けざるを得なくなったJohnの捨てゼリフ:

「いつか、あなたもAOLに電話をしてきて、我々が助けようとしていただけだということに気づくだろう」

なんだか虚しく響きます…。
こういうディテールに、企業の顧客に対する姿勢が出ると思うんです。

きっと会社の戦略として、「キャンセル率を減らす」というものを定義して、それを実行レベルに落とし込んだのでしょう。キャンセル理由を聞くくらいはいいと思うのですが、それ以上はやはりやり過ぎの感があります。
そして、ある意味Johnも被害者です。

こういう、サービスをキャンセルしにくい会社は、他にもたくさんあるんです。
散々電話でたらい回しにしたあげく、混乱させてあきらめさせようという姿勢が見え見えなんです。
人々の生活のワンシーンに、こういった無用のイラつきを与えている会社というのは、評価されるべきではないと思います。

価格の決定、というのは事業の成否を決める重要な決定事項です。

私のやっているような事業の場合、価格はある程度高めに設定しないと収益にならないのですが、一方で、高くしすぎると、お客様に「払えないな」という気にさせてしまいます。

私が、価格決定上参考にした本。


一瞬でキャッシュを生む!価格戦略プロジェクト


お客様と、事業者が双方満足するような価格の決定方法が書かれていて、他ではみられない類の本です。


提供している情報やサービスの価値としては、家庭によっては何万ドルもの違いをもたらすことがあるため、数千ドルいただいても問題は全くないと思う一方、そこまでのお金がない方に完全にサービスや情報の提供へのアクセスを閉ざしてしまうのも考え物です。

このため、現在はサービスメニューを詳細化しようと考えています。
ある程度自分でできる人には情報提供のみ、自分で全てやるのが面倒、という方にはサービスを提供する、という形でやっていこうと考えています。

このサービスメニューによって、どれだけ効率よく、私が持っているFinancial Aidの情報がコミュニティに広がっていくか、その結果が表れるかと思うと、けっこう重大に感じています。

ミッドタウンのオフィスまでの通勤時間は、わりと短いのですが、それまでに遭遇する美しい建物群をご紹介。

まずは、Lexinton Aveに出ると、Chrysler Buildingがそびえ立っています。




ひときわ目立ちます。
1ブロック西へ出ると、Park Ave。そこから少し北上すると、Grand Central駅が見えます。




近代的なビル群の中にあって、この建物は映えます。
さらに1ブロック西へ。ここは、Madison Ave。




雑然とした感じがいいですね。
朝は本格的に混みます。


さらに、もう一つ西へ。




5th Aveに出ました。
南を見ると、Empire State Buildingです。

オフィスのあるビルに到着。
オフィスの目の前にあるのは、NYPL(市立図書館)です。





朝や昼、図書館周辺の机や椅子でくつろぐと、気分転換になります。

ミッドタウン通勤道でした。

楽して金持ちになろう、みたいな本がたくさん出てますよね。
私も、けっこうそういう本は読んできました。

とにかく、まず金儲けをしてからだ、みたいな話がそういう本には書いてあります。
別に、お金儲けに良いも悪いもないので、問題はありません。でも、考えが利己的だと、他人の共感は得られないでしょう。

稲盛和夫氏の本を読んでいるうち、「利己心で事業を行うと、心のどこかに後ろめたさが残る、したがって、社会のために事業を行うという利他心が重要」ということが書いてありました。後ろめたさが残らないんだったら、ひたすら稼いで邁進すれば良いのですが、いらぬ嫉妬や批判を招き、それが最終的に自分の首を絞めることにもつながりかねません。

嫉妬や批判はある意味自然現象なので、自然現象に向かって、「金儲けして何が悪い」と叫んでも、周囲の共感を得られない→協力者を失うという現実の結果を避けることができません。

「経営者はビジョンを持つべき」などと言われることがありますが、このビジョンというのは「将来世界は○○のようになっている」という言葉で表されると思います。
つまり、利他の精神が流れており、それを聞いた人がインスパイアされる、ということが大事なのではと思います。

「○年後に、上場する」というのもビジョンとして良いと思うのですが、影響を受ける範囲が社長やその従業員しかいない、という意味で、力が足りないと思うんです。


私自身も、極めて小さい規模ではありますが、明確なビジョンを持てていると自負しています。それは、「アメリカ中の日本人家庭が正確な学費情報を知り、子供たちの可能性を広げる」ということ。これを唱えるだけで、自分が勇気と力を与えられるように感じるから、不思議です。

しかも、こういう理念があると、どこに行って、誰に何を語っても、真剣勝負でい続けることができて、批判を受けても何とも思わなくなります。こういう考えを持てただけでも、幸運であると思います。

昼頃、ある電話がフロリダからかってきました。
それは、私のビジネスに関する、あるサプライヤーでした。

「昨年一度お買い上げになったと思うのですが、今年もいりませんか」という内容でした。

私は押売りっぽさを感じたので、条件反射で「いや、買うつもりはないよ」といいました。

先方は、あきらめた様子はなく、それでも商品購買の可能性について語りはじめます。ある時点で私は面倒くさくなってしまいました。

しかし、ふと「商品A」のことが思い浮かびました。
商品Aというのは、私が「あったらいいな」と思っていた架空の商品で、絶対に実在しないと思っていました。断る口実にもなるので、試しに聞いてみました。

「商品Aはありますか?」

そうすると、先方は

「ええ、もちろんありますよ」

私は、商品Aを作るのは不可能だと思っていたので、どのように作ったのかを聞きました。そうすると、納得のいく説明をしてくれます。

もし、商品Aがあれば、現在自分の行っているビジネスのマーケティングに多大なインパクトを与えます。とりあえずFAXで、その商品の概要を送ってもらいました。

そのFAXシートには驚くべき内容が書かれていました。
1年以上、この商品がないものと勝手に信じ込んでいたのですが、非常に大きな機会損失をしていたことになります。

全てはこのセールスマンのコールドコール(フォローアップ?)のおかげです。

押売りセールスマンの時代は終わりつつある、ということをおりしも「平成・進化論」の鮒谷さんがご自身のメルマガでおっしゃっていたのですが、今日の私は、押売りセールスマンに助けられました。

ロングアイランドで、いろいろなアメリカ人の資産状況を見たり、実際にその家族と会話をしてみると、その家族が貯蓄に対してどういう認識をしているのかが、よくわかります。

よく「ユダヤ人は金の使い方が上手」だとか、「ユダヤ人は金持ち」だとかいろいろ言う人がいます。私が仕事をしていた場所は、ユダヤ系地区の真っ只中だったので、お客さんの多くがユダヤ系でしたが、ミクロレベルで見ると、ユダヤ系といっても、本当に千差万別です。浪費家もいれば、倹約家もいます。金持ちもいるし、きわめて貧乏な人もいるのが実際です。

で、貧乏な人はなぜ貧乏なんだろうと、思うようになりました。そこで、貯蓄についてその人がどういう考え方をもっているかを観察していました。

貧乏な人で多いのが、リターンにこだわり過ぎている人。たしかに、リターンは大事だと思います。私も、リスクとリターンを勘案して、最も投資対効果の高そうなところにお金を移動させましょう、ということは当然仕事がら言うわけです。

しかし、それだけのアドバイスではどうしても舌足らずのような気がします。
なぜなら、お金の使い方が悪い人、お金に対する習慣の悪い人にとっては、いくら儲けようと関係ないからです。

このことは、私自身もずいぶん失敗しているので、人のことは言えないのですが、日々の金の使い方が悪ければ、貯蓄時のリターンなど、何の意味もなしません。

たとえば、ネットバブルに踊らされて多額のお金を投資し、資産を半分以下にしてしまった人はたくさんいましたが、欲に目がくらみ、他人の教える夢のような出来事を妄信して、自分の責任能力を放棄してしまった典型的な例です。
たまたま運用成績が良くて、お金を得てしまったとしても、そもそも考え方の悪い人は、それを何か別の楽しいもの(家や車など)にすぐ使ってしまうわけです。こうなったら、リターン云々の問題ではなくなってきます。

逆に、リターンの低い金融商品にお金を寝かせておきながら、全く財政に問題のない人もたくさんいます。その際たるものは、タンス預金をしている人たちでしょう。


タンス預金、というのはリターン至上主義の時代において、不合理なこととみなされていますが、実際には「保守的なお金の守り方」の王道です。

もちろん、インフレにしたがって、お金の価値自体は目減りしていきます。
でも、特筆すべきなのは、タンス預金をする人たちの「習慣」の力です。
お金が入ってきても、余計なものは買わない、何かのためにとっておく、という行動パターンが身についているからこそ、率が悪くとも、とにかくお金が貯まるし、将来は安心なわけです。しかも、手に届く範囲にお金があるのに、使わないのですから、その自制心たるや想像を絶するものがあります。

誰かの目を気にして、いい車や家を買って見栄をはることよりも、内から湧き出る安心感を持って平和に暮らしているわけですね。

ある意味、これはすばらしい日本人の知恵だと思うんです。
リスクとリターンの世界は、えてして「リターン」しか目に入りません(いや、書いてて自分の耳が痛いです)。リターンを求めてしまったがために、限りない物欲と金銭欲に、身を滅ぼしてしまった例は、枚挙にいとまがないでしょう。


「金融商品なんかやめて、毎月タンスの中に1000ドル貯蓄してください」なんて言えるアドバイザーになるのもいいかも、なんて最近は考えています。



まぁ、こう書いている自分が、一番見習わなくてはならないことで、自分が非常に頭の痛い思いをしているんですが…。

今日は、学費コンサルティング(現在、奨学金セミナーやってます)のお客様がオフィスにお越しになり、ミーティングを行いました。


その方は、驚いたことに、1年ほど前に私の貼ったチラシを見て、私のサービスを覚えていらっしゃったそうです。


私は、昨年の6月に、この学費コンサルティングの営業活動を日系人向けに開始しました。
あれは忘れもしない6月11日、ニュージャージーのミツワという日本食スーパーに行き、チラシを貼りだしたのが、一番最初の営業活動でした。

そのチラシは、下の端に小さい単位で切れ込みをいれており(よく家庭教師の張り紙でするような感じのものです)、「無料レポートは今すぐこちらまで」とその紙切れの一枚一枚に電話番号が書いておきました。

今日いらっしゃったお客様がお持ちだったのは、その時の紙切れでした。
その時は必要ないと思われたものの、もしもの時のためにと、奥様がとっておかれていたそうです。

こちらからの情報提供の結果、お役にたてたようで、またご連絡いただけるとのこと。

大変ありがたいことです。
いつ、どこでどんなご縁があるかは、わからないものですね。

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