Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

August 2006

効果的に仕事を進めるためには、手帳の使い方をマスターしなければならない、と思っています。

私は、学生時代からフランクリン・プランナーというものを使っています。

このプランナーは、「7つの習慣」の考え方をベースに、目標とタスクの管理ができるようになっているんですね。私は、20歳くらいの時にこの本を読んで、稲妻のような衝撃を受けたので、これを使うのは自分にとっては自然なことだったんです。

しかし、気づいたのですが、やはり買って「使いこなせる」のは最初の1週間くらいだったりします。だんだん手帳のフォーマットに沿って時間・タスク管理するのが面倒になってくるんです。

そこで、退屈になります。
「この手帳は使いづらいな」とか考え始めます。

で、他の手帳を物色しはじめます。
「PDA(デジタル携帯端末)の方がかっこいいな」なんて考え始めたりします。
私も何度もPDAに浮気しました。

でも、PDAに変えても、本質的に怠け者なので、何も変わらないんですね。
単純にかっこつけたいという欲を満たすだけで、タスク管理は全く進歩しないんです。

手帳のサイズにしても、小さいものを使っている時は大きいものがよく見えたり、大きいものを使っている時は小さいものがよく見えたりします。

で、最近気づいたんです。

「Have -> Do -> Be の呪縛に陥っているな…」と。

つまり、良い手帳を手に入れ(Have)、効果的にタスク管理をすることで(Do)、パフォーマンスの高いビジネスマンになる(Be)、と。

現代の物質主義のパラダイムは、まさにこればかりです。
「○○を手に入れれば、あなたは××して、最後は△△になる」と。

良いダイエット食品を手に入れ(Have)、ダイエットをすることで(Do)、やせる(Be)。
良いパートナーを見つけて(Have)、結婚すれば(Do)、幸せになる(Be)。
良い大学を卒業・良い会社に所属して(Have)、働けば(Do)、幸せになる(Be)。


でも、ここでいう"Be"の部分は、外的な要因である"Have"に影響されているため、脆弱なんです。Haveで手にしたものに対して、往々にして満足することはないんです(わかったような口で恐縮ですが)。

別にこれが全て正しいというつもりもありませんが、 これとは逆にBe -> To -> Have という、生き方もあるんですね。私はこれに大いに賛同します。

今持っている全てのもの・今おかれている状態にOKを出し、あり方(Be)にフォーカスすること。あり方が変われば行動が変わり、結果的に所有するものも変わる。だんだん誰かの受け売りみたいになってきたのでやめますが、前から言葉尻で覚えているにもかかわらずあまりにできていないので、ここに書き留めておきたい気分です。



で、よくよく考えてみると、仕事ができるビジネスマンをたくさん見てきましたが、彼らが一概に手帳を使いこなしているとは限らないんです。

パフォーマンスの高いビジネスマンのマインドでいること(Be)からスタートすると、手帳はむしろ枝葉の問題であることが見えてきます。

むしろ、現在持っている手帳がすばらしいものなので、それに対して感謝の念すら沸きあがってきます。
いろいろな使い方の可能性を創り出すことができます。
そうすると、目の前にある手帳に、無限の愛がわきあがってくるのを感じます。
今この瞬間をこの手帳と過ごすのが、楽しみになってきます。


…なんだか自分で書いていて、自分で盛り上がってきました。

友人経営者に誘われ、Video2.0の最先端を行っている会社が集まり、事業内容についての発表会を行うと言うので、行ってきました。

Video2.0というのは、YouTubeを走りとした、インターネットにおける動画シェアリングの新しい動きのことです。個人が撮った動画をネット上にアップデートし、共有することが広まっていますが、この分野ではあらゆるニーズが生まれていて、雨後の竹の子のように、様々なネット企業が参入しています。

会合の場所は、Greenidge villageにあるTribeca Theater。

Tribeca Theaterは、俳優のロバート・デ・ニーロが所有するTribeca Grillという有名レストランの2階にあります。

インディペンデントフィルムのメッカで、動画シェアリングの最先端を話し合うという企画も、乙なものです。

素人の自分としては、YouTubeのような巨人に、こういった小さい企業がどう対抗しようとしているのか、疑問に思うところもありました。
しかし、そこはさすがはアメリカ、一歩突き出たアイデアと、強力な出資者を背景に急激に成長を遂げている若手経営者達が続々と出てきました。

最初の発表者は、Motion Box

この動画シェアのサイトの特徴は、とにかく操作性が良いこと。
簡単なマウス操作で、ビデオの切り貼り・編集ができます。

なるほど、こういったサイトはありませんでしたね。


次に、Cruxy

個人的には、これを見て非常にワクワクしました。
まだベータ版ですが、このサイトは、自分の動画をアップデートして、売ることができるサイトです。
情報商材ブームに見られたように、こういう、個人のデジタル作品をアップデートして、全世界のマスに売る、ということが今後は広まっていくんでしょうね。
自分で撮った映画や、セミナーなどを、ここでアップロードし、プロモートすれば、簡単に売ることができます。iTunesとの違いは、売るまでの手順の容易性にあるようですね。


そして、Phanfare

個人的に、これは自分だったら利用するか疑問に思いました。
有料の写真シェアリングを行うサイトです。
有料にしている割には、Flickrなどと、どこまで差別化できているのかが、私には良く理解できませんでした。でも顧客サービスが充実しているようで、そういったサービスが必要な層に対して、訴求していくそうです。これはこれで、確かにマーケットがありそうですね。


最後に、Comverse

彼らはいろいろやっているそうですが、今回披露されたのは、携帯動画の実況中継。
実際に実演していたのですが、携帯で動画をとりながら、ネット回線を経由して、パソコン端末にその中継を送るというもの。
これは、今までありそうでなかった類のものなのかもしれません。



今回の発表者を見ていると、5,6年前のような、IPOに対してガツガツした起業家の雰囲気はなくて、純粋に自分たちのサービスと、それを広めることに対しての意欲と楽しみを見出せたような気がします。

こういう会合は、たまに出ると、本当に刺激になりますね。

新聞に載るニュースがあります。

そういったニュースは、一般的には、社会的に重要な情報が載っています。
少なくとも、建前としてはそうなっています。

しかし、実際には、新聞には、いろいろな企業が広告を載せているので、違ったことがおきます。そのニュースが、広告主のビジネスを助けたり、擁護する記事になったりするわけです。

広告主でない企業が問題を起こした時は、徹底的にたたかれるのに、広告主が起こした社会問題は、トーンを弱めて扱われることは日常茶飯事です。

新聞の記事は、多かれ少なかれ、メディアの利害関係や編集社の意図によって左右されます。なので、一面に記事が載っていたとしても、読んでいる「自分にとって」重要かどうかは、また別問題です。世の中では、どうでもいい問題が、テレビの意図で騒がれることも頻繁にあります。

そこで、このサイト。
Web 2.0まっしぐらです。

Digg.com

このサイトは、ニュースに点数をつけて、それを評価するというもの。
自分にとって重要な記事か、役に立ったか、ということを評価するのです。

記事の対象となるのは、Web全部のページ。どんなニュースであっても、この評価の対象になるわけです。ここでは、一新聞記者の意図を超えて、投票形式で重要な情報がシェアされるわけです。読んだ人のコメントが書き込まれるようになっていて、議論もできるようになっています。

市民が情報を提供 → 市民が情報を解釈(加工) → 市民が加工されたニュースを評価

Webだけが成し遂げることのできる、未来の姿ですね。
単純なアイデアですが、報道の今後を考える上で興味深いサイトです。

「アパートを出て行け」

自分の人生で、大家さんにこんなことを言われることがあろうとは、思ってもいませんでした。



事の発端は、1ヶ月半前。
私をこのアパートの大家さんに紹介したAさんという人がいました。
私と、Aさんは仲良くしていました。

そのAさんは、7月中旬でしょうか、少しの荷物を残して、大家さんに説明せずにいなくなりました。

大家さんは激怒しました。
私は、知り得る限りの事情を説明し、Aさんと連絡をとりながら、後始末をしました。
残った荷物を彼の新しい自宅へ送り、鍵を送り返してくれるように頼み、大家さんの怒りをしずめようとしました。

しかし、その日を境に、大家さんの私への態度は180度変わりました。
まるで、別人格に変貌しました。

私はAさんの「共謀者」として見られることになったのでしょうか。


大家さんは、それ以降、私へあらゆる要求をしてきました。
私がいない間、部屋の中に何度も入ったようで、部屋の中の荷物を減らすように指示しました。
今まで物を置くことを許されていた地下室の使用も禁止されました。
共有スペースの掃除、自分の部屋の掃除も今まで以上に要求されました。
契約が一旦切れる9月末以降、賃料を上げると言ってきました。


これらの要求は不愉快に感じることもありましたが、私はアパートを気に入っていたのと、特に反抗する理由もなかったので、それらに全てしたがいました。

しかし、それらの要求は、全て私が自発的に「出て行きます」と言わせるための口実だったのかもしれません。本日の朝電話がかかってきて、「あと1ヶ月でアパートを出て行ってくれ。お前は信用できない」と言われました。


私はどのような状況に陥っても、実直に対応していれば大丈夫と確信している部分がありました。自分の希望を述べた上で、大家さんの要求にしたがってきたこと、家賃を滞りなく支払ってきたことを説明するだけしましたが、徒労に終わりました。


現実に今味わっているのは苦く、痛い思いです。

Aさんに対しても、大家さんに対しても、感謝こそすれ恨みはありません。
引越しの手間は面倒ですが、物件を探して、荷物を移動させれば良いだけの話です。


ただ、最大限の努力と誠意を尽くしても理解してもらえなかったのは、ただただ苦いとしか言いようがありません。この苦さを受け容れて、進み続けるしかないのかもしれません。



深呼吸して手帳に貼ってあるQuoteを読むと、気が鎮まります。


God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
courage to change the things
which should be changed,
and the wisdom to distinguish
the one from the other.

Reinhold Niebuhr

人気テレビ番組であった「まんが日本昔話」が放送打ち切りになるそうです。
私は、子供の頃によく見ていましたが、今でも鮮明に覚えている衝撃の昔話を思い出してしまいました。


それは、崖を上っている最中に、縄を失って、小さいくぼみのような所に迷い込んだ男が、動けなくなるという話です。

男は、くぼみに閉じ込められ、完全に行き場を失ってしまいます。
断崖絶壁の中で、もはや上ることもできず、下ることもできなくなります。
彼は途方に暮れます。

そして、彼はどうするか。

身を投げて死ぬのです。

話はこれで終わりです。




これを最初に見た時は子供だったわけですが、あまりの恐怖と「なぜ、こんなひどい昔話をテレビで放送しなければならないのか」という疑問に打ちひしがれました。

大学生になって河合隼雄氏の昔話に関する話を読むと、その疑問が氷解していきました。私の解釈によると、この昔話が教えているのは、人間が日常生活をすごしているうちに忘れがちな「理不尽な出来事」を知らせる"無意識からの警告"です。

考えてみると、こういう理不尽な昔話はたくさんあります。
昔話の中には、本来残虐な描写がされているのに、時を経てマイルドになったものも多くあります。

しかし、こういった残虐性・理不尽さというのは、人間理解には必須であり、必ずしも取り除くことが望ましいとは限らないことがあります。
現実世界を見ると、犯罪に巻き込まれて家族を失ってしまう人や戦争で家を奪われる人、理不尽な出来事はたくさん起きています。
こういった出来事は、自己の無力さを知らしめると共に、「それでも自分はどうあるべきか」という問いを投げかけてくれるものです。

そうした経験は、何も現実世界の中でしなくとも、昔話の主人公に自分を同一化することによって体験できます。

特に、子供の場合、物語の内容を自分のこととして受け取りますから、昔話を通して、恐怖や悲しみをリアルに体験し、それを克服するトレーニングをすることができると思います。

昔話は、大事です。

自分のビジネスで、お客様をご紹介くださった方に、ギフトカードを贈呈しようと考えています。

で、そのギフトカードは何がいいかと考えています。

これがけっこう難しいんです。
なぜかというと、同じ価格のギフトカードであっても、それで買えるものが異なってくると、価値の認識度合いが異なるからなんですね。

例えば、私はBestBuy(電機ディスカウント店)の$100のギフトカードをもらえたら、狂喜すると思います。「これで何を買おうか」と、いろいろな製品が思い浮かんでワクワクしてくると思います。

しかし、これが例えばGAPの$100のギフトカードだったらどうか。喜ぶとは思うのですが、私の場合、そこまで服を欲しくなるとは自分でも思えないんですね。イメージが沸かないんです。

それじゃ、VISAやAMEXの$100カードのような、ほとんど全てのモノに使えるカードにすればいいじゃないか、といわれそうです。しかし、何でも買える、という事実が、逆にカードから生じるいろいろなイメージを邪魔しているような気がしてならないんですね。

こういうカードは何でも買える代わりに、「月々の生活費の足し」などとと思われたら何の楽しみもない。そこに、カードをもらう喜びはあるのかと思うわけです。

私のお客様の層に共通して求められている商品はないだろうか…それが見つかれば、ギフトカードの内容も決められそうです。


投資の基本は、投資額に対して、リターンがいくらあったか、ということです。
非常に簡単な考えなのですが、通常の投資活動には、いろいろなバイアスがかかります。

10円投資して、12円返ってきたら、プラス。投資成功。
8円返ってきたら、マイナス。投資失敗。

乞う見ると簡単なんですが、現実世界になると、いろんな噂やまことしやかなセオリーが市場を支配するんですね。

たとえば、「金利の安い時にお金を借りて家を買え」ということ。
半ば常識化しているこの理論ですが、実は盲点があります。金利が低い/高いということは、投資金額を決める時の一要素でしかないということ。実際に投資する○ドルという額のうち、何%が金利で、何%が元本かということは、最も重要な事項ではありません。

たとえ金利が15%だったとしても、買った家の価格が割安であれば、リターンはプラスになりますし、金利が5%だったとしても、家の価格が高ければ、リターンはマイナスになってしまうのです。最終的な投資額は、投資期間を通して落していったキャッシュの現在価値の総計なわけですから、その数字を冷徹に見ることなしに、安易な投資をしてはならないのです。また、金利の支払いが多ければ、実はそれによる税控除額も多くなります。

この効果を見逃して意図とバイアスを持ったいろいろな人から意見を聞いて、何となく考えると、悲劇的な結果を生むことにもなりかねません。

誰かに「この投資案件がいい」などといわれたら、人間関係とバイアスをはさまずに、自分の頭で考え、数字だけで判断したいものです(ビジネス投資は別ですが)。

これからアメリカでは金利がどんどん上がり、家のInventory(在庫)が昨年の同時期よりも40%くらい増えているそうです。

「金利が上がっているから、家の購入を見合わせよう」と単純に思っている人が多い中で、冷たい視点で投資判断ができる人が勝者になるのかもしれません(決しておすすめしているわけではありませんのであしからず)。

Rejectionとは、"拒絶"。
誰かに何かを断られるのは、痛いです。

何ともいえない、あの苦くも切ない気持ちは、誰にでもあるのかなと思います。

New York CityのEast Villageで、そういう体験をシェアしようという会をやっているそうです。

The Rejection Show

Rejectionに遭ったライター、コメディアン、漫画家、芸術家などが、それぞれの体験をステージの上で話して、シェアするのです。皆、人生のいろいろな場面でrejectionに遭っているので、共感できることが多いようです。

この題材は、いつものようにABCテレビのニュースからとってきたのですが、解説では、こういったシェアリングは、"Healing Process"(治癒のプロセス)であるということ。

鬱憤を吐き出して、笑い飛ばすことで、明日への活力を得ることができるのでしょう。自分にも、たまにはこんな場所が欲しいかもなぁ…とふと思ってしまいました。

逆に、こういう場所があったら、ネタ探しのために、rejectionに積極的になれるかもしれませんね。

アメリカの銀行には、ひどい場所が多いです。

窓口には、横柄な行員が多い。
なぜあそこまで理由もなく不機嫌になれるのかが不明です。
マクドナルドのように感じるところもあります。


その中で、私が使っている銀行で満足しているのが、Commerce Bank
日本人にはほとんど知られていない銀行ですが、ここがすごくいいんです。

まず、口座維持手数料の類が全くないこと。
その上、すばらしいのが「おもてなしの精神」。

銀行に入ると、必ず案内係が立っていて、にっこりと迎えてくれます。
銀行口座を作ると、自分の担当をしてくれた行員から、手書きのメッセージが送られてきます。
郊外の支店には、必ずトイレがありますし、全ての支店に小銭を紙幣等に換金できる機械や、自由に持っていけるロリポップ(飴)がたくさんおいてあります。

この銀行は他の大手銀行(Citibank, Chase, Bank of America等)が見落としていた、人に対するサービス、という部分に着目したようで、それが見事にうまくいっている好例だと思います。概して、大手銀行は、サービスが悪いんです。


アメリカに行く機会のある人は、いくつかの銀行に立ち寄ってみるのも面白いかもしれません。

現在お客様になった方々からよくフィードバックを受けるのですが、私の広告が「怪しかった」とのこと。

私は、昨年自分の事業を始める際に、資料を作って無料で配る、ということでマーケティングを行ったのですが、告知のために新聞広告をうったんですね。

でも、全然反応がないんです。
「学費を減らすための9つの秘密」無料レポート進呈中、とだけ言っても、あまり申し込んでくる人はいないんです。


それで、今度はダイレクトマーケティングの第一人者である神田昌典氏の本にしたがって、怪しいキャッチコピーをふんだんに使った広告を行ったんです。
そうすると、やはり申し込んでくる人が増えるんです。

「何なんだろう」と思わせることで、興味を引き、アクションを起こさせるわけですが、やはり効果的なのです。でも、こうすると、全体的に会社やサービスが安っぽく見えたりすることがあるんですね。信用してくれない方は、全く信用してくれないんです。

この前も、「実は広告を見て興味があって、申し込みたかったが、広告がうさんくさいので申し込めなかった。でもずっと気になっていた」とおっしゃる方にお会いしました。

でも、今こうして私にハッキリと「うさんくさい」とおっしゃっているということは、私もある程度の信用を得ているということだと思うので、こういった形でもフィードバックを得られるのは大変ありがたいことです。
最終的には、情報やサービスの提供で、満足いただけたかいただけなかったかで、全てが決まると思っています。

これからも、気になる文句を使って、広告をどんどんうっていければと思っています。

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