Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

June 2006

本日の夜中に見たのは、Enron: The Smartest Guys in the Room (Ws Sub).

不正会計で、当時米国史上最大の破綻をしたEnronの実態を追ったBethany McLeanによるドキュメンタリー映画です。

「Enronの破綻は、会計上のテクニカルな面が強調されるが、実態は人間の強欲の物語だ」というのが、作り手のメッセージだと思います。

ケネス・レイやジェフ・スキリングといった経営陣が、いかにして欲にとりつかれ、銀行や会計事務所を巻き込んで、株の上昇のみを目的とした経営を行っていったかを追っています。

特殊な取引のスキームを利用して将来のバリューを売上に組み入れたり、実体のない取引を繰り返して架空の売上を作り出していたのです。



そういえば、私も、不正会計すれすれの提案をしそうになったことがあります。
コンサルティング会社にいた頃、ベンチャー企業の財務プランニングをしていたのですが、事業を組み立てて、図にしてみると、同じ価値の流れに対してグループ売上が二重に計上されていることがわかったのです。

これには、私は最初、「特に、問題はないだろう」と思って、見過ごしていましたが、経理担当によると、グレーゾーンであるとのこと。特殊な処理をしなくてはならないが、処理が面倒くさいので、「事業スキーム自体を変えてくれ」という要望が出ました。

こちらは、あるべき事業スキームを提案しているのに、経理の問題でそれができないとはバカバカしい、と思いましたが、かといって不正の可能性がある会計処理を見過ごすこともできず、思い悩みました。「この処理だけは大丈夫だ」と言っている人もいました。

その時に、いろいろな意見を聞いて思ったのは、解釈によって、ずいぶんと「不正」の定義というのは変わるもんだなぁ、ということです。思いがけず、不正になってしまった、というケースも多くあるでしょうし、意図して不正した、というケースも多くあるでしょう。


Enronのケースを見ていて、特に興味が沸いてきたのは、どこまで正しくて、どこまでが正しくなかったのか、ということです。

ドキュメンタリー自体は、非常に興味を喚起するものでしたが、経営陣が悪者、という前提で描かれているので、実際の会計の内容に対する、正邪のない透明な視点が欠けていたように思います。

機会があったら、ぜひEnronの会計の内容を詳細に見てみたいと思います。

友人から、おもしろい話を聞きました。

自分に勇気が足りない時、つまらないことで悩んでいる時、愚痴をダラダラこぼしている人が、この方法を使うと、自分がいかにバカげているかがわかるというのです。

どうやって行うのか?

ただ、Tombstone(墓碑)を思い浮かべるだけです。

墓碑と言えば、たとえばアンドリュー・カーネギーの以下の墓碑は有名ですよね。

"Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself"

"己よりはるかに賢き者達を率いた男、ここに眠る"


とてもすばらしい墓碑だと思います。
でも、偉人のすばらしい墓碑を思い浮かべても、なかなか自分の行動には結びつきませんよね。


そこで、どうするか。

自分の現在、悩んでいること、ムカつくことを思い浮かべてください。

たとえば、あなたが現在「バカな上司に腹が立つ。大嫌い」とか、「アイツがムカつく。顔も見たくない」と愚痴を言っていたとしましょう。

その気持ちを元に、そのまま自分の墓碑を作ります。



青々とした草原に西洋風の墓石を想像してください。



空は晴れ渡り、心地よい風が吹いています。



その墓石には、こう書いてあります。





「ブツブツ愚痴を言い続けていた者、ここに眠る」



これで、心に寒い風が流れたら、OKです。
今すぐ、愚痴るのをやめましょう。

もう一ついきます。

あなたが、老人が目の前にいるのに、電車で席をゆずるかゆずるまいか迷ったとしましょう。

その迷いを元に、そのまま自分の墓碑を作ります。



青々とした草原に西洋風の墓石を想像してください。



空は晴れ渡り、心地よい風が吹いています。



その墓石には、こう書いてあります。





「電車の中で老人が目の前にいるのにシカトして座り続けた者、ここに眠る」





この方法、個人的にはかなりヒットしてます。
普段自分がいかに小さいことで悩んでいるか、気づかされます。

今日は、彼と話をしよう、と心から思いました。
彼は、私の頭の中では、とにかく不誠実で、嘘つきで、最悪のセールスマンでした。

しかし、考えてみれば、自分が相手に抱いている敵意は、自分が勝手に抱いている妄想です。

もし、自分がオープンに話して、誠実な挨拶を一回でもすることができれば、そんな敵意やわだかまりなど、なくなるのではないかと思ったのです。



私は意を決して、仕切りを隔てた逆側のブースへと回りました。
8ヶ月間、こんなに近いところにあったのに、一度も来たことがない領域です。

私の心臓は激しく波打っていましたが、この瞬間に生きていることを実感していました。

私は、彼に話しかけました。

「やぁ、となりで仕事しているJimmyだ」

彼は少し驚いた様子で、こちらを見ました。私は、今まで冷たい視線を交わしてきた相手です。眉間に皺が寄っていました。「何か文句でも言いに来たのか?」とでもいいたげな顔です。

少しの敵意を感じましたが、私は落ち着いて続けました。

「ちょっと、ずっと気まずいなぁ、と思ってたんだけど、お互いずっと隣にいるのに、僕は挨拶もしてなかったなぁ、と思って。だから、とりあえず、変な感じだけど、挨拶しに来た」

そうすると、彼はちょっと目を開き、答えました。

「あ、そう?そうだね。わざわざありがとう」

この瞬間、私は、彼と精神的な橋がつながったと感じました。
自然と、次の言葉が出てきました。

「まぁ、僕はたぶん、そちらがやっていることを知っていると思うけど(笑)、何かきっかけでもあれば協力できると思うし…」

「オレの声はデカイからね!やってることは周りの人はみんな知ってると思うよ。ははは。いやいや、わざわざそんなこと言いに来てくれて、感謝するよ。名刺交換しよう。こっちも機会があれば、助けになるかもしれないし」

「そうだね」


私は、彼と友人のように話していました。

会話が終わったあと、自分にこんなことが可能だったのかと、不思議な力が充満してくるのを感じました。

少しの沈黙の後、彼が電話の営業を開始しました。
もはや、それは私にとって仕事の邪魔をする雑音ではなく、友人がビジネスに真摯にとりくむ、一生懸命な声に聞こえました。



頭にひっかかり続けていたわだかまりは完全に溶け、私は自分の仕事に没頭しました。

こんな簡単なことだったんだ…と平和な気分になりました。

私のオフィスはシェアードスペースになっていて、私はそのブースの一つを借りています。周りには、同じくブースを借りている人たちがいます。

ブースの壁は、それぞれ高いのですが、声は聞こえます。


そして、私の隣には、ある独立ヘッドハンターが座っています。

彼と私は挨拶の言葉を交わしたことが一言もありません。

彼が隣にやってきてから8ヶ月間、一度もしゃべったことがありません。
唯一お互いの冷たい視線が、何回かパチッと合っただけです。


彼は、いつも大きな声を出しています。
彼の仕事のほとんどは、電話をかけていろいろな人と話をすることなので、一日中隣のブースから大声が聞こえます。

しかも、攻撃的に人を責めたりする様子がよく聞こえてくるので、けっこう話の内容が耳についたりします。話したことはありませんでしたが、私は「嫌なヤツだ」と思っていました。

仕事に集中している最中に、隣の大きな声が聞こえてくると、自分にとっては負担で仕方ありませんでした。こちらも負けじと電話で大きな声を出したりと、変な張り合いのようなことをやっていました。時には、仕事がまったく進まない理由を、彼のせいにしている自分がいました。彼には、完全に敵意を抱いていました。



しかし、例のセミナーの影響もあるのですが、今日、ある「可能性」があることに気づいたのです。

その「可能性」とは、

- 相手がどんなに嫌なヤツだったとしても、オープンになれるかもしれない

ということです。
そのために必要なことは、会話をすることでした。
しかし、8ヶ月もの間話をしていなかった見ず知らずの相手に会話を行うことは、とても気まずい気がしました。

でも、私は、このままの自分がどうしても許せない段階にまで、追い込まれていました。

続く

日本で英語の勉強をしていた頃、DVDをよく見ていました。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが、"Power DVD"というソフトのおかげで、日本語字幕/英語字幕を両方とも上下に表示しながら見ることができたのです。

現在、勉強に腐心している人は、この機能にぜひともあやかるべきです。
最初は、ドラマの言葉が早口過ぎて、まったく何を言っているのかわからないはずです。しかし、英語字幕をずっと表示させておくことで、一定の「パターン」が見えてきます。

すごく初歩的な話をすると、たとえば"I am going to"は"amgunna"と聞こえます。
こういったパターンというのは、無数にあるのですが、繰り返しそのパターンに触れることで、段々と何を言っているかがクリアに把握できるようになるのです。

それと同時に、日本語字幕を表示させておくことで、意味をいちいち考えたり、調べたりしなくとも、ドラマを楽しめるようになるのです。


英語の勉強を開始してから2年目頃、よく見ていたドラマがあります。

"Ally McBeal"(邦題:"アリー My Love")です。
おそらく、英語の勉強のために見てきた、と言う人も多いのではないでしょうか。
このドラマは、シーズン1から最後のシーズンまで見続けました。毎週、DVDを少なくとも1本(合計4話)借りてきていたと思います。

"Ally McBeal"は法廷コメディなので、「議論」「主張」「冗談」といった、いろいろな表現方法を網羅していて、非常に勉強になりました。ただ、今考えると、現実世界で使うにはあまりにオシャレすぎる表現もあったなぁと思います。

このドラマは、英語のレベルとしては、当時の私の英語力をはるかに凌駕していましたが、確認したい部分は巻き戻してゆっくり聞いてみたり、試行錯誤を繰り返しながら、何とかついていきました。

そして、シーズン4くらいからは、「英語字幕のみ」で見るようになりました。その次のシーズンからは、「字幕なし」で一回、「英語字幕あり」で一回と言う風に見ていくようになりました。

時には、字幕なしで見ながら、言っていることを書き取る練習(ディクテーション)などを行いましたが、これは大変効果がありました。


とにかくドラマ自体がおもしろいと、こういう作業すら苦にならないので、DVD学習は誰にでもおすすめしたい方法です。


以前、友人に誘われて行ってみたLandmark Forumのコース、私は受講料を払って3日間のセッションを受けてきました。

終わっての感想は…

- こんなこと、知っていたけど、知らなかった
- こんな経験、したことあるけどしたことなかった
- 何も得るものはないが、全てを得た

という感じです。
とにかく、現在の私の状態を言葉で形容するのが大変難しいんです。



このLandmark Forumという言葉で、いろいろと検索エンジンの結果を見てみると、「利益優先のピラミッド組織」「最も巧妙な洗脳集団」などと書かれている記事を発見します。逆に「人生が変わった」などと良いことを書いている人もたくさんいます。

ところが、そういったいろいろな人のいろいろな考えがあるという事実さえ、自分にとっては大した問題ではない、という不思議な心の静けさがあるんです。

私自身が「人生を変える体験だったか?」と聞かれれば、「その質問自体に意味がない」というのが正直な答えです。


大変不思議な心境です。



これ以上書くと、チープになってしまうので、やめたいと思いますが、少なくとも、自分自身にとっては、この上なくリアルだったことは間違いないです。


興味のある人は無料のセッションがあるので行ってみてください。日本にもあるらしいですよ。

金儲けに対する嫉妬心から、マスコミが寄ってたかって誰かを攻撃することは、典型的と言ってよいと思うのですが、福井総裁に対する世論操作は、常軌を逸していると思いました。

その最たるものは、以下のロジックに現れています。

- 日銀総裁は、庶民に対して、超低金利政策を押し付けた
- 一般預金者の利率は低いのに、それを押し付けた総裁は、投資で高い利益を出して儲けている
- したがって、総裁の行ったことは「悪」。総裁職を辞任すべき。


こういうストーリーが無記名だが発行部数の多い新聞の記事に載ってしまったり、テレビのニュースで流れたりする事実が、大変痛ましくて仕方ないです。私は以下のように思いました。


<超金利政策の是非>
超金利政策は、別に庶民を苦しめるために押し付けているものではなくて、企業の借り入れを増やし景気を活発化させるために行ってきたものです。したがって、「おしつけた」という意図があるはずはありません。

<投資での高い利益を出すことの是非>
投資をしたら、リターンを求めるのが当たり前だと思うのですが、それが高すぎると悪い、と言うロジックが理解不能です。その投資先が、(当時前科のなかった)村上ファンドが悪い、という説明は妥当性がありません。

<株主の責任>
株主は、自分が出したお金以上に、投資先に対するステークはないんです。別の言葉で言うと、経営陣が悪いことをしても、株主には責任はありません。そういう意味で、総裁の責任が具体的に何なのかがわかりません。

<自己責任問題>
低金利政策で利率が少なくて庶民が苦しんでいると言うんだったら、その「庶民」の自己責任だと思います。ファンドに投資した総裁は、お金を失うリスクも背負っていたのです。ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンという原則にしたがって、物事が動いているに過ぎないと思います。

何か抜けている論点があればどなたか指摘してください。

最近、こういうページを見つけました。

晴海22歳の闘病日記 〜死ぬまで生きた〜

2005年の11月25日に癌だと告知され、1ヶ月後の12月27日に亡くなった晴海さんの記録なのですが、その一日一日のつづりを読むだけで、心が動かされます。

彼が、死後の記事として掲載したものからの切り取りが、以下です。


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僕のブログみたいな、
小さな点に過ぎない場所を見つけて、
応援してくれて、励ましてくれて、
ありがとうございました。

僕はいつも、これが最後だろうと思って書き込んでいました。
だからきっと、僕が死んだときには、
最後の記事があれだなんて嘘みたいだって
言われるのではないかと思います(笑)。

それはそれでいい。
晴海はネタか、検証!なんて言って、
楽しい祭りになるなら、それもいい。
自分の死を楽しんでもらえるなんて、
こんな嬉しいことはありません。
悲しんで泣かれるより、楽しんで笑ってもらいたいです。

未完

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これを読んで思ったのは、これを読んでいる自分が心を動かされるということは、彼がまだ生きている、ということなんだなぁと。もはやネタでもネタでなくとも、そんなことはどうでもよくて、今のこの自分の感動だけがリアルで、唯一重要なんだと思いました。

ブログは、最近のテクノロジーの産物なので、今まで気づきませんでしたが、一人一人の文章が永遠にサイバースペースの中で生き続ける、というのは考えただけでもロマンがあります。


自分の子孫も、その子孫も、今ここで書いているこの文章を読むかもしれない。
そう思うと、意義のあることをもっと書ければなぁ、と思います。

NYとLAを中心に、20,000部ほど発行されている"Weekly Business News"という日系ビジネス新聞が、出ているのですが、本日見てみると、さっそく今週のはじめに私が書いた新聞記事が出ていました。あと、友人が私に作ってくれた広告も出ていました。

来週は、ジャピオンというメジャーな新聞にも広告を出す予定なので、これをもって、本格的にパブリシティ展開、といきそうです。

ついに、新聞広告展開をする段階になって、とてもワクワクしています。
今後も、本気で営業・マーケティングを展開していきます。



さて、以前にも予告したとおり、今回の新聞記事では、EPLI、通称「差別・セクハラ賠償保険」をとりあげました。なぜ、差別・セクハラに関する話題を出したのかというと、トピックとして、かなり注目をひくんじゃないかと思ったからです。

もちろん、多くの経営者は、自分の従業員を信用しているでしょうし、そんなことに保険での「対策」などしたくない、という方が大半でしょう。

しかしながら、事実として従業員による訴訟は起こっており、対岸の火事ではないことを知らせたかったという思いで、こうして問題意識を喚起したのです。この話題はキャッチーなはずなので、けっこう興味を持って読んでくれる人がいることを期待します。


新聞記事を出して、かつ顔写真まで載せるのはなかなかに勇気のいることでしたが、こういう作業を他の人が粛々と進めてくれるのはありがたいことです。途中で自分の意思が萎えても、私とは関係なく、載るものは載ってしまうわけで、そういう意味でも、デレゲーションというのは大事なんだなぁと思いました。



ところで、記事には、顔があまりハッキリ写っている写真は嫌だったので、上半身だけの写真を提出しました。ところが、記事を見てみると、その写真の顔の部分だけやけにズームされて、載ってしまいました。

これはまずい…街中で、指をさされて、「あの人、差別とセクハラの人だよ」と言われるかも…。


いやいや、自意識過剰ですね…言われない言われない。

4年前の今頃、私はインターネットのスポーツ・ニュースにくぎづけになっていました。

といっても、見ていたのは、ワールドカップではなく、NHL(北米アイスホッケーリーグ)です。

ワールドカップも人並みに興味はありましたし、それなりに試合も見ていましたが、その年のNHLは、当時世界最高のゴールキーパー・ドミニク・ハシェクが初めてスタンレーカップをとるか、とらないかという年で、ホッケーファンとしては目が離せなかったのです。

ところが、日本のニュースで、NHLなどとりあげるはずもなく、いつものようにインターネットと衛星放送でNHLの動向を追っていました。一人でかなり興奮していたのですが、職場にいっても、みんなワールドカップの話ばかり。誰も共通の話題を話す人がいなくて、寂しい思いをしたものです。


アメリカに来て、アメリカではやっぱりNHLの露出度も多いだろうし、周りにはNHLのファンもたくさんいるだろう、と思っていたのですが、まぁ半分正しくもあり、半分はそうでもありませんでした。

私自身、今はNHLが好きな人は周りにけっこういるので、話す相手に困らないのはうれしいのですが、興味のない人は、まったく興味がないんですよね。


プレイオフを実施している現在でさえ、印象としては、スポーツニュースの「スポーツの一つ」としてとりあげられる程度のような気がします。今の時期にとりあげる枠が大きいのは、どちらかというとNBAのプレイオフです。しかし、これも見ている人によって、興味の度合いはかなりバラバラ。

また、アメリカはサッカーなんて、興味ないんだろうなー、と思っていたのですが、ニュースではかなりの割合で報道されているようで、サッカーファンも国内で堅実に育ちつつあるようです。


総じていえることは、アメリカの人たちは、スポーツの趣味がバラバラで、少なくとも「猫も杓子も○○の話題で一色」ということがほとんどないということです。

オリンピックも、いろんな人が金メダルを取るし、どちらかというとそれは個人の業績なので、「国民全体で応援」という雰囲気がありません。

日本にも、「ワールドカップ興味なし」、「オリンピック興味なし」という人もけっこういると思いますが、それでもマスコミが一致団結の雰囲気を勝手に作ってしまう所があるように思えます。


唯一、かなりの米国民が注目するのはアメリカンフットボールのスーパーボウルくらいでしょうか。


町全体がワールドカップ一色!という雰囲気が好きな人は、アメリカはおすすめできませんね。逆にマイナーなスポーツでも話し相手がほしい!という方は、居場所をみつけられる国だと思います。

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