Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

May 2006

メールでのコミュニケーションというのは、難しいなぁと思います。

人によって、eメールの書き方は違いますよね。

ハタから見ると、あまりしゃべらない人が、eメールではたくさんものを書いたり、感情的な言葉をたくさん使ったり、普段はフレンドリーな人でも、メールの中ではぶっきらぼうで、そっけなく感じたりすることがあります。

これは、人によって、メールという道具に対しての認識が違うのと、相手が感じている自分への距離感が違うからだと思うんです。


そして、最もストレスを感じるのは、知り合って間もない人とのやりとりの際に、

「自分はたくさん話したいことがあって、たくさんメールに文章を書いたのに、返事がそっけなかった(あるいは来なかった)」

とか、

「自分にとっては些細なことを書いたのに、相手がそれに対してたくさん返事を書いて送ってきて、負担を感じた」


ということだと思うんです。
これは、相手との「距離感のズレ」から来るんでしょう。




私は大学の頃、誰に対しても、メールでの文章を書きすぎていた傾向がありました。しかし、友人にはあまり読まれていない、ということが後でわかり、けっこうショックを受けました。

でも、考えてみれば当然のことでした。

そもそも相手がメールを読んでいる状況というのは、こちらからはわからないもので、大変忙しい中を貴重な時間を割いて読んでもらっている場合もあれば、無限に時間があってヒマをもてあましている場合もあります。

また、えてして自分の身の回りの出来事は、他人にとってはおもしろくない。
自分の家庭の家族ビデオが、他人にとってはおもしろくないのと同じで、それをメールに書いたところで読まれないのと同じです。


こんな反省を経て、メールを送る側としては、なるべくどんな相手に対しても、負担に思わせず、かつ失礼にならないように書く方法はないかと模索していました。

そこで、私が編み出した方法があります。

圧倒的な実力を持つビジネスマンと会って、迫力だけで完全な敗北感を感じたことが、よくあります。
その度に「この人にはかなわないなぁ」とか、「何でこの人はこんなにいろんなことを知っているんだろう」とか、思います。

そういう人と話をする時には、自分が言葉を何とか繰り出しても、「たぶん、自分には何か欠けてるんだろうなぁ」などと絶望的な気分に浸りながら言葉を発し、会話を続けます。

逆にある程度実力がついて、経験を積んだ側になると、ふとした動作で、相手の実力がどのくらいかがわかってきます。


で、私が昔どっぷりはまっていた将棋の世界では、たとえば最初の駒を並べる時の手つきで、どれだけの経験を持っているかがわかります。アマチュアの世界であれば、最初の時点で「たぶん勝てそう」か、「絶対負ける」か、「いい勝負になりそう」かはわかるものです。

あまりにその手つきがキレイだと、戦う前から負けたような気がして、まさに「ヘビににらまれた蛙」のような危機状態に陥ります。

でも、こういう感覚はやはり、いろんな相手と数をこなさないと、なかなかわからないもので、はじめは手つきだけでそこまで大きな違いがあるとは、思いもよりませんでした。


こんなことが、ビジネスの現場でも、よく起こる気がします。
今は正直、自分はビジネスの現場で、相手を読むことが十分にできません…まだまだ経験が足りない、ということなのでしょう。

でも、敗北感は、まだいいのかもしれません。
危険だなぁと思うのは、自分が全てわかりきっていると思うこと。
自分の能力不足が相手に露呈しているのに、それに自分だけ気づかないということだけは、やはり避けたいものです。

私は小さい頃、テレビでドラマをほとんど見たことがありません。
なので、クラスでほとんど仲間の話題についていけなかったのですが、そんな私でも大学入学までずっと見続けていたのが、NHKの大河ドラマ。

子供の頃、ある新聞記事で読んだのですが、日本人が大河ドラマで好きなのは、江戸時代だそうです。
大体、徳川家康、家光、吉宗時代の話をやると、それだけで視聴者がとびつくそうです。

なぜでしょうかね。
私であれば、幕末の話は食い入るように見るのですが(「翔ぶがごとく」はかなり好きでした)、どうやら一般的にはあまり人気がないようで、特に北大路欣也が主演した「坂本竜馬」なんかは、視聴率が十数パーセントと低迷したらしいです。



大河ドラマはともかく、日本人が江戸時代を思い浮かべる時には、現代に通じる文化が形成された時期ということで、親近感を多く持っている人が多いのではないでしょうか。私も、日本史自体は好きでしたし、小説などでいろいろなことを学んだため、この時代の出来事を身近にとらえていました。


では、外国人がどのように、この江戸時代をとらえているのか。
それを知る手がかりになる、あるサイト(番組)を発見しました。

Japan: Memoirs of a Secret Empire

おそらく、例のゲイシャ映画で、それなりにこの時代の日本に興味を持った人がいたから、特集しているのかもしれませんが、ここで新鮮だったのが、江戸幕府が"Secret Empire"、つまり「秘密の帝国」と紹介されていることです。

確かに、オランダしかアクセスがなかったあの時代には、他の国の人間にとっては、ナゾに包まれていた島国なのかもしれません。

ともかく、私は江戸幕府が身近な存在だったため、このように紹介されていることに新鮮味を覚えました。

「江戸幕府って、周りからは"シークレット"だったんだ!」

と思ったわけですが、こういう長い間固定されてきた自分の視点の揺さぶり、何だか心地良いです。

映画「マトリックス」の世界に通じる所があります。


サイトに書いてある内容は…パラパラ見る限りだと、まぁ普通っぽいですね。
なんとなく、エキゾチックな雰囲気は漂ってますが。

子供がここまで強大になって独立してしまうと、「親」である会計事務所も、それを横目に見て、「あんなに儲かっていいな」と思い始めます。

そこで、コンサルティング業をまかせた子供がいるにもかかわらず、親も、いつのまにか自分でコンサルティング業を始めてしまったのです。

これは、実際に1990年代後半に、かつてBIG5と呼ばれた会計事務所で起きていたことです。
ちなみに、当時BIG5と呼ばれた会計事務所は、以下の5社です。

Andersen
PricewaterhouseCoopers
Deloitte
Ernst & Young
KPMG


BIG5の子供達は、当然怒ります。

「コンサルティングは、自分の領域だ。親・子供で競合するなんて、おかしい」

それまでは、親の名前で仕事をさせてもらっていたのですが、子供達は十分大きくなったため、もう親と同居するのがバカバカしくなってきます。
そして、このBIG5のうち、最初に家を飛び出したのが、Andersenの子供、Andersen Consultingです。

Andersen Consultingは、2000年の秋に名前をAccentureと変え、家を飛び出しました。

そして、その数ヵ月後、あのエンロン事件が起き、Andersenは空前の会計詐欺事件に加担した影響で、崩壊を余儀なくされたのです。

Andersenの罪は、ひとえに会計士が顧客企業の重役と癒着していたことに尽きます。経営陣の利益=会計士の利益となっていたため、会計ルールの遵守が形骸化してしまったのです。

この件があったからといって、必ずしも「会計士のコンサルティングはダメ」と言えるわけではありません。しかし、監査する側・される側が一定の距離を置かなければ、システムが機能しない、ということは言えると思うんです。
会計士がコンサルティングを行うことは、癒着を発生させる土壌を生みかねない、という意味で危険だと言えます。



さて、Andersenの子供だったAccentureはまさに絶妙のタイミングで、炎上予定の家から脱出していました。

これを横で見ていた他のBIG4の子供達は、ゾッとしていたことでしょう。
じっとしていては、自分達も親と競合するし、親の会計事務所にも、何が起こるかわかりません。

こうして、次々と、子供は親の家から脱出していきました。

以下、紆余曲折を経て脱出した子供達(コンサルティングファーム)と、現在の名前。

Andersen -> Accenture
PricewaterhouseCoopers -> IBM Business Consulting
Deloitte -> Braxton? Abeam? (よく把握してません)
Ernst & Young -> Cap Gemini
KPMG -> Bearing Point

それぞれの会社が、完全に親のイメージを払拭しようとしていることがよくわかります。

この結果から見ても、コンサルティングと、会計監査業務は相容れないものだ、ということがある意味実証されたのではないかと思います。


何だかもっと書きたいことがあったのですが、とりあえずこの辺にしておきます。

会計事務所がなぜ、悪事に走るのか、それを考えた時に、Arthur Andersenを思い出しました。

1912年に創業したこの会計事務所は、エンロン事件を防ぐことができなかったファームとして、この先会計の教科書に汚点として残ることになるのではないかと思います。

なぜ、Arthur Andersenが崩壊するに至ったのか。
これは、彼らの一部の悪徳会計士が、会計監査という本来の役割に徹することができなかったからです。

Arthur Andersenは、元々監査を行う会計事務所でした。

監査というのは、会計上のルールにもとづいて、会社の状態が、財務諸表に反映され、株主に、(会計法上)正確な報告がされているかを確認するものです。
したがって、本来の監査業務は、顧客が利益をあげているかいないかとは関係なく成立するビジネスなのです。


しかし、一方で会計事務所というのは、顧客の数字を細かい単位で把握することができるため、客観的な立場で経営上の助言も与えることができます。

ここで、「コンサルティング」というサービスが発生します。
顧客はコンサルティング料を支払って、顧客の利益を上げる助言を求めますから、ここで顧客の利益=コンサルタントの利益という利害関係が発生します。


Arthur Andersenの転機となったのは、1950年代に、GEから会計システムの導入を依頼された時です。それ以降、システム導入を中心としたコンサルティングサービスで、それ以降急速に勢いを伸ばしました。

こうして、会計事務所から、コンサルティングファームという「子供」が生まれたわけですが、この「子供」は段々親よりも強大になっていきました。

何しろ、コンサルティング業の方が儲かります。また、顧客の成長を直接手助けするから、働く人にとってもやりがいも大きいわけです。
監査は、社会的意義が極めて強く、その必要性は説明不要ですが、いろいろな欲が旺盛な人にとっては、コンサルティングの方が魅力的なはずです。

(続く)

損害保険事業のマーケティング計画を作っています。

今週、ボスがカリフォルニアから来て、いろいろと今後の事業展開について話をしました。ボスの目から見ると、ニューヨーク市場は、人口の割には供給業者が少なく、我々の提供できる価値はかなりあると見ていたようです。

お客さんにとっても、非常に大きな価値をもたらすことができると自負はあるわけですが、我々のメッセージが伝わらなければ、事業は広がっていきません。そこで、マーケティングを入念に計画することが重要です。 

損保事業は、「常石保険代理店」として行うものの、オペレーションに関するほとんどの出費は私が行う予定でした。しかし、今回、広告を新聞社数社に出すことが決まり、ほとんどを援助してもらえるので、本当にありがたいことだと思っています。

私は昨年の今頃、「学費コンサルティング」というサービスを日本人向けに初めて提供し始めたのですが(もちろん今でも継続しています)、その時にはニューヨークにほとんど知り合いはおらず、マーケティングもたった一人でゼロから始めるしかありませんでした。

それに比べれば、今の状況はずいぶん恵まれています。
昨年は、いろいろな失敗もしましたが、学ぶ所も大きかったので、今回のマーケティングにぜひ生かせればと思っています。

ボスからは、「粘り強くやれば、必ず結果が出るからがんばれ」と励まされました。営業で苦戦する日々が続いてはいるものの、現在はかなり気力が充実しています。


もし、NYの街中や新聞で、我々の広告(小さいですが)を見つけたら、それは私が渾身の思いで作ったものです。ぜひ注目していただければと思います。

なんだか今日は宣伝みたいになってしまいました。

パソコンをなくしてから一ヶ月半くらい経った頃、手紙が送られてきました。
それは、TSAからでした。

手紙によると、デルタ航空の空港職員数人が逮捕された、とのこと。
容疑は、乗客の荷物を窃盗したこと、と書かれています。
警察が押し入った容疑者のアジトからは、多くの機械類が押収されたそうです。

数日後、私のオフィスにNYPDから電話がかかってきました。

「被害届けを出した方々に連絡をしている。今、押収した機械等と被害届けを見ながら、あなたの届け出たモノがあるかどうかを確認している」


私は、一連の出来事から、「これで無くしたモノが返ってくる」とすっかり安心してしまいましたが、事はそう甘くはありませんでした。

数週間後に、連絡がないのでNYPDの担当者に連絡をすると、「あなたの届け出た物品と一致するものはなかった」と言います。

結局その後、私の元にパソコンやカメラが戻ってくることはありませんでした。
特に大事な情報が入っていなかったのは不幸中の幸いでしたが、それでもけっこうな額の損失になります。

航空会社に連絡しても、またしても事務的に「フォームがウェブサイトにあるから、記入してくれ」と言われるだけです。「そっちの職員が、盗みをはたらいたんだぞ。何か、会社としての措置はないのか」と言っても、「私はただのオペレーターだから。フォームを記入してくれ」というばかりで、全く話になりません。



紛失した機械類については、航空会社はその損失を乗客に払わなくても良いことになっているそうです。
だから、航空会社としては、乗客のために、なくした機械類を一生懸命探してあげるインセンティブが全くないのです。コストがかかるだけです。
TSAにも「探したけど見つかりませんでした」のようなことを言われれば、こちらはプッシュのしようもありません。


その後、地元の新聞記事を読んだのですが、荷物の紛失が、近年増加しているとのこと。しかも、紛失総数で一番多いのは、デルタ航空だそうです。

紛失が増えている背景には、航空会社がコストを下げるため、職員の質が落ちている、というようなことが書かれていました。

その紛失の中に、どれだけ犯罪が含まれているのだろうと思います。
多くの犯罪者が、職員としてまんまと空港内部に潜入して、今でも多くの物品が盗んでいるのではないかと、私は思います。

こういう犯罪は、本当に許せませんが、航空会社の態度も許しがたいです。
クラスアクションが起きたら、ぜひ参加したいです。



しかし、振り返ってみると、「貴重品は手元に持っておく」という、基本中の基本を、私が守らなかったことも事実です。私としては、こういう現実があることを受け止めて行動を改め、今後の被害を予防するのみです。


これを読んでいる人は、どうか気をつけてください。

4日の日程が過ぎ、私はLAからニューヨークへ戻りました。

JFK空港に到着した私は、その足でデルタ航空の窓口に行きました。
デルタ航空の窓口では、拾得物を管理していました。
私は、彼らが預かっているものを見せてもらいましたが、私のパソコンは、そこにありませんでした。

その後、私は、最初に通貨したTSAのセキュリティエリアまで行き、そこにいた職員に起こったことを話しました。職員は親身になって聞いてくれ、彼のボスを呼んでくれました。

TSAのボスに、私は、パソコンをとられたことを話し、TSAが抜き取ったのではないかと質問しました。

彼は、「パソコンか爆発物かどうかは、スキャンしてみれば一目瞭然だ。カメラだってわかる。だから、何千何万の荷物を処理しているTSAの職員が、そういうものを安全目的で抜き取ることはまず考えられない」と説明しました。

「いずれにしても、我々としては、そういう事態に対して厳正に対処しているつもりだ。だから、本部の方にぜひ報告をしてくれ」

そう言って、TSAのボスは私に記入フォームを渡しました。
彼は、こちらの話をとてもよく聞いてくれたので、私としては好印象を持ちました。

後日、私は記入フォームにことのいきさつを記入しました。




すると、1ヵ月半くらい後のことでしょうか、ある手紙が送られてきました。

LAX空港に着いた私は、そのまま荷物の受け取り場で待ちました。

20分くらい経った頃でしょうか、ようやく私の荷物がコンベアーに運ばれて出てきました。

事務所のボスが迎えに来てくれていたので、早速車に乗り込み、そのまま予約していたホテルへ向かいました。

ホテルに着いた後、「これからけっこういいモノ食べにいくぞ」とボスが言うので、Yシャツくらいは着ていこうと、荷物を開けたとき、異変に気づきました。

ノートパソコンが、なくなっていたのです。

パソコンの電源もありません。

よくよく探してみると、デジタルカメラもなくなっています。



頭の血が一気に引いたような感覚に襲われながら、私はバッグをひっくり返しました。しかし、何も出てきませんでした。

呆然としていると、いつまで経っても出てこない私を心配して、ボスが部屋にやってきました。

「どうしたんだ」
「パソコンがなくなってる…空港の人間にとられたに違いない」
「航空会社に電話をした方がいい」

私は早速、航空会社に電話をしました。
航空会社は、"Lost Baggage"に対応するための部門を持っていました。
私は、どんなモノをなくしたのかを、彼らに説明しましたが、何となく事務的に処理されたように感じました。

最後にパソコンを見たのは、JFK空港ですから、あの時セキュリティエリアで荷物を渡してから、LAX空港のコンベアーで荷物が出てくるまでの間に、TSAか航空会社の職員が抜き取ったに違いありません。

しかし、この時点では、それが犯罪であるかどうかについては、自信を持てませんでした。
「ひょっとして、安全のために、機械類は全部抜き取っておくのかな?」と思いました。


私は、ニューヨークで、バッテリーパークのフェリーに乗ったとき、ノートパソコンを起動させられて、爆弾ではないことを確かめられたことを思い出しました。

「もしかしたら、JFK空港に戻れば、誰かが預かっているのかもしれない」

そんな希望と、一抹の不安を抱えながら、ロサンゼルスでの4日を過ごしました。

ノートパソコンを盗まれた話をします。


昨年の、12月の初旬のことです。
私は、新しく支部を作ることになった損害保険代理店の本店を訪れるべく、JFK空港から、飛行機でカリフォルニアのLAX空港に向かっていました。

利用した航空会社はデルタ航空。

私は、デルタ航空のカウンターで、チェックインを済ませ、手荷物を自分で持って行こうと、TSAのセキュリティエリアに運びこみました。
TSAというのは、Transportation Security Administrationという政府の機関の略で、荷物と体をスキャンする例の人たちの組織です。

セキュリティエリアを通ろうとしたその時、TSAの男に呼び止められました。

どうも、手荷物が大きすぎるらしいのです。男は、「持って行ってやるよ」と言いました。

私は、一瞬迷いました。
中にはノートパソコンが入っています。私にとっては、その時点では、そのノートパソコンが盗られることは全く考えておらず、むしろパソコンが衝撃で壊れてしまうのではないか、ということを心配していました。

本当はリュックでもあれば、機内に持ち込むのですが、それもなかったため、私は洋服などでパソコンへの衝撃が吸収されることを確かめ、渋々そのTSAの男に手荷物を渡しました。

手荷物の中には、デジタルカメラも入っていました。



私は、こうして飛行機に乗り、LAX空港に向かいました。

(続く)

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