Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

April 2006

Skypeというソフトウェアが昨年から急速に普及し始めました。

その頃から、どうも気になっていた売り文句が、「Skype同士だと、世界のどこにいても無料通話できる」というもの。

また、私の中のオタク的な(しかも結構中途半端な)意地の悪さが「無料通話なんて、他のソフトで前からできたよ〜」と言いたくなってきます。

私が言っている他のソフトとは、MSNメッセンジャーのことです。

メッセンジャーは、確か2002年ごろ(かそれ以前)から、音声チャットの機能をつけていたような気がします。確かに、そこまで音質はよくなかったものの、十分な会話が、2002年当時もできた記憶があります。

私がハッキリ覚えているのは、2003年の1月にシカゴ‐東京間で、メッセンジャーを通じて会話をしたことです。

それをやってみて、感じたことは、

「パソコンを通じて音声で会話できるなんてすごい!これだったら、いくらしゃべってもタダじゃないか」

ということでした。
なので、中途半端なオタクとしては、今Skypeを使って盛り上がっている人を見て、ちょっと今更なんだよと、言いたくなってきたりするのです。
しかも、Skypeでもメッセンジャーでも動画チャットを行うことはできますが、Skypeは、いまいち安定性が悪いのです。

それでも、無料通話はSkype、ということで市場を席巻しているように見えます。
これは、よく考えてみると、両者の出自の違いが、普及の違いを生んでいるのかなぁ、と思います。

メッセンジャーというのは、「文字チャット」から派生してできたものです。
「文字チャット」は、元からタダのツールだったから、派生して生まれた「音声チャット」には価値をあまり感じません。


それに比べて、Skypeというのは、「電話」から派生してできた商品です。
電話、とくに国際電話というものは、もともと多くの人が高い料金を払ってきて、痛みを感じてきたものです。それがタダになるというのは、本当に大きなお得感があるんじゃないかと。

結果、同じ機能であっても、Skypeの方がどうも得に見えるのではないでしょうか。

まぁもちろん、音質の良さや、スカイプイン・アウトなどの機能の違いはあるでしょうが、現在はあまりにも、メッセンジャーや他のソフトが、軽くみられているのではないかなと。

ビデオチャットは、Skypeよりも、メッセンジャーの方が質が良いので、カメラを持っている人は、友達と試してみてください。

"Good Enough To Eat"という、ウェストアッパーサイドにあるお店で、昼食をとりました。

このお店の名前は日本語に訳すと、「食べるには十分」という控えめな意味ですが、実際には一つ一つのメニューが作りこまれていて、非常においしいのです。そのため、午後1時くらいに到着した時には、すでに長蛇の列ができていました。

私は、サーモンのオムレツを食べたのですが、チーズといい、卵といい、オレンジ味のバターといい、お店の料理に対する凝り具合を感じます。

私は食べながら、「なんでこの店はこんなに繁盛しているんだろう」と考えました。

店の雰囲気はいい。店員さんは明るくフレンドリー。
料理は非常に良いが、それだけだろうか…。

そこで少しひらめいたのですが、このレストランの名前が、かなりいいんじゃないかと。

"Good Enough To Eat"(食べるには十分)と言っておきながら、出た料理は丁寧に作りこまれている…これは、おおきなギャップです。

おお、名前は控えめなのに、こんなにうまかったのかという、驚きの要素が、このレストラン体験をより良いものにしているんじゃないかと、思ったのです。

この名前は、本物だけが見せられる、自信の表れかもしれないですね。

"United 93"という映画を見ました。

この映画は、2001年9月11日に起きた同時多発テロで、乗客のテロリストに対する反撃によって唯一攻撃に失敗し、ペンシルバニア州の林に墜落した飛行機の物語です。

この便は、当初ホワイトハウスを狙っていたらしいのですが、タイミングが他の便に比べて遅れたため、乗客が地上にいる人たちと連絡をとり、反撃を行った結果、墜落するに至ったのです。


この映画で特筆すべきなのは、実際に起きたことを、忠実に再現しようという姿勢が見られたことです。

私は、あの911のテロが起きた時、このUA93便のストーリーを聞いて感動したのを覚えています。ハイジャックという過酷な状況の中で、勇気を持って反撃した人たちが、かっこよく思えました。

したがって、私は、この映画を見る前、感動で涙が止まらなくなるのではないかと期待いました。

しかし、その期待は軽く裏切られました。待っていたのは、圧倒的な「現実」の重みでした。

実際には、完全な混乱の中で顔がひきつっていたり、泣いていたり、絶望していたり、目もあてられない彼らの姿を目の当たりにすることになったのです。それは、私の思い描いていたヒーロー像とは異なる、極めて現実的な人間の描写でした。

最後のテロリスト達に対する反撃も、新聞で伝えられてきた「自分の命を顧みず勇敢に国の首都を守ろうとした行為」というよりは、どちらかというと「絶望的な状況の中での、生存本能」という風に見えました。それはリアリティにあふれるものでした。

映画には効果音やBGMはありましたが、場を盛り上げるためのストーリー描写も伏線もなく、起きた出来事を時系列に、淡々と映し出しているように見えました。

この映画を見る人は、実際にあの日を何らかの形で体験しているので、登場する役者の演技がオーバーでないことは、わかるのではないかと思います。


どうも、監督はこの映画を後世に残るドキュメンタリーとして残したかったようです。映画監督としての過度な解釈はせず、起きたことを、なるべく正確に伝えようと、したらしいのです。

Universalの映画でありながら、こういう形態で撮られた映画も、なかなか珍しいと思いました。将来も、度々見直される映画となることでしょう。

さて、損害保険という、一件地味なテーマをもとに、ビジネスをはじめることになりました。
私は、それを知人に伝え始めました。

損害保険をはじめたので、必要があったら、連絡してくれ。

と触れ回ったのです。

が、それに対する周りの反応は、良い、悪い、というよりもほとんど「無関心」に等しいものでした。

おそらく、損害保険、といわれてもピンと来ないんですね。
確かに、損害保険とは何か、といわれても、経験者や同業者なら簡単に答えられますが、ほとんどそれ以外の人は、イメージすることができません。

そういった反応を見ると、「どうも売るのは難しそうだな」と直感しました。
大した、必要性を感じないからです。

しかし、その後、ピンと来たのは、損害保険というのは、本質的には、偶発的に起こる事故の損失を穴埋めするものだということです。背後にある商品の価値は、「損害保険」という単調な言葉では表しきれないのではないかと思ったのです。

したがって、「損害保険」という言葉を使うからいけないのであって、質問を変えれば、意外と身近なものであるということに気づきました。


- 今日家が火事になったら、明日からどこで何して生きるの?

とか、

- 他人に間違って迷惑かけて、訴えられたら、どうやって賠償金払うの?

とか、そういう言葉を使って質問をすることで、自分の売っているものの本質を、相手に気づかせることができると思うのです。相手の頭の中にある言葉を使って、難しいことをもっとわかりやすく説明できるのではないかと思います。

まぁ、こんな程度の「気づき」は、同業者ならとうの昔に得ていることでしょう。

しかし、実際に新聞の損保代理店の広告をみると、宣伝しているのは、「家屋保険」とか、「賠償保険」とか、相手にはピンとこない商品名ばかり。
本当に、一般市民の立場に立って、徹底的にわかりやすく説明しよう、という心がまえが感じられないのです。

実際に、一般消費者に話を聞くと、損保について最低限知っておくべきことをしらなかったり、現在業界でまかり通っている悪しき慣習に気づいていなかったりと、情報が極めて不足している状況にあります。


そう考えると、この分野は、まだまだ変える余地があります。顧客に提供できる価値はまだまだ残されています。損害保険という、一件地味なこの分野も、まだまだ未開拓のフロンティアが広がっているように思えてならないのです。

私の役目は、正しい情報をパッケージングして、おもしろく、身近でわかりやすい情報に変えて、一般消費者に届けること。
その方法を、現在模索しているところです。

カーディーラーにだまされた話を、以前このブログで書きましたが、

要約すると、

- あるディーラーで、中古車を買った
- 中古車が、事故車であったことが判明した
- Autocapという消費者保護団体を利用して、ディーラーに圧力をかけた
- 最終的に、高価で車を買い戻してもらった

ということになります。

私は、自分の車が事故車であったことを知った時には、それはもう信じられない思いで一杯だったのですが、時間が経過して、今こうして振り返ってみると、案外、大した出来事じゃないのかなと思い始めました。

どうも、アメリカでは、このようなことは起こるものだと想定して生活をしていた方がいいようです。
もっと、ひどいことでダマされているひとがたくさんいるので、自分の出来事が大したことでないような気がしてきます。



以下のような、言い回しをすることがあります。

Fool me once, shame on you. Fool me twice, shame on me.

なんと訳していいのか、このセンテンスの語感があまりにもいいので、日本語にするのが何とも難しいのですが…思いっきり意訳すると、

"騙すことは、恥ずべきことだが、2回騙されるヤツも、恥じるべきだ。"

という、感じでしょうか。


もう、このようなことは2度と起こさない、と決意を固めている次第です。

情報の解釈について、格好の題材が見つかりましたので、載せたいと思います。

以下、読売新聞の記事。


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総裁選に意欲?福田氏が新アジア政策の必要性訴え


 自民党の福田康夫・元官房長官は25日、都内で講演し、父の福田赳夫・元首相が1977年に打ち出した東南アジア外交の基本方針「福田ドクトリン」を踏まえ、中国の台頭などに対応した新たなアジア政策を打ち出すべきだとの考えを表明した。

 小泉首相の靖国神社参拝について、「日本にプラスになっていない」と指摘した。

 福田氏がこうした外交構想を掲げたことで、9月の自民党総裁選への意欲をにじませたとの見方も出ている。

 福田氏は、総裁選について「党内での総裁選びと考えれば、長い時間は必要ない。小泉首相や小渕元首相も、手を挙げたのは1か月前だった」と述べた。
(読売新聞) - 4月25日22時58分更新
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まずは、事実の把握をすると、

- 自民党の福田康夫・元官房長官は25日、都内で講演
- 父の福田赳夫・元首相が1977年に打ち出した東南アジア外交の基本方針「福田ドクトリン」を踏まえ、中国の台頭などに対応した新たなアジア政策を打ち出すべきだとの考えを表明した。
- 小泉首相の靖国神社参拝について、「日本にプラスになっていない」と指摘した。
- 福田氏は、総裁選について「党内での総裁選びと考えれば、長い時間は必要ない。小泉首相や小渕元首相も、手を挙げたのは1か月前だった」と述べた。


で、解釈部分は、以下の通り

- 福田氏がこうした外交構想を掲げたことで、9月の自民党総裁選への意欲をにじませたとの見方も出ている。


この文章を読んで、「え?」と思いました。
私のように、疑問に思った人も多いのではないでしょうか。

外交構想と、総裁選への意欲というのが、どう関連しているのでしょうか…?


こういう記事を読むと、マスコミの恣意性を感じざるを得ません。
非常に飛躍した議論をしているにもかかわらず、なぜそうなのかの説明がほとんどされていないのです。


今まで、何の動きもなかった福田氏が、突然口を開き、総裁選びにも多少言及したというのはわかるのですが、それを「総裁選への意欲」と解釈するのは、やり過ぎなのではないかと思うのです。

映画でもそうですが、何しろ対立構造は複雑な方が、観客は見ていて楽しいものです。
だからといって、国民の生活に関わる社会的に重要な事項に関して、このような拡大解釈がまかり通るのは、許されるべきではないと思います。

Marquis JetのCEO・Kenny Dichter氏のビジネス教訓は、まだあります。

小さいことを大事にしろ

英語で具体的に何と言ったのかは忘れてしまいましたが、小さい業務オペレーションが実は最も一番大事で、起業家はそれを理解していないとダメだ、という話をしていました。
なぜかというと、小さい単位の作業で発生した問題というものは、規模が大きくなった時に、そのまま増幅してしまうからです。
最も細かい単位で削減できたコストというのは、大きくなった時に、ものすごく大きな節約になるわけです。


"Everybody must have a home restaurant"

Dichter氏は、「起業家は、自分のホーム・レストランを持て」ということを強調していました。自分のよく知った地域で、自分が常連のレストランを持つことは、重要な人を接待する時に非常に大きな武器になる、というのです。
レストランに入ると、すでに知った顔の従業員が迎えてくれて、メニューを見なくとも注文できるような場所があると、それだけで相手を印象づけることが可能だそうです。「自分の土俵に持ち込む」ことで、話がしやすくなるのかもしれません。

彼は、なぜかこのセオリーが特にお気に入りのようで、「きょうは、皆さんこれだけは覚えてください」と、何度も強調していました。




Marquis Jetのサービスは、決して日用品のようなものではありませんが、Dichter氏は、市場はかなり大きいと確信しているそうです。
彼によると、アメリカで資産を$10M(約12億円)もっている人は、40万人いるそうで、まだまだ、現状は市場の数パーセントしか開拓していないらしいのです。

また、Marquis Jetの時間単位の販売コンセプトと、ブランドイメージを利用して、ホテル事業などにも横展開していくことを考えているようで、非常に展望は明るいのではないかと思いました。

今後も注目の企業の一つです。

Marquis JetのCEOであるKenny Dichterのビジネス教訓を、私の書きとったメモから抜粋します。

"Treat employees like rock stars"

文字通りに訳すと、「従業員をロックスターのように扱え」、ということですが、一緒に働いている従業員には、最高の扱いをしろ、というのが彼の意図です。Dichter氏は、もともとウィスコンシン大学時代に、学生に対してロゴ入りTシャツを販売するところから、ビジネスの才覚を鍛えたそうです。彼は、その頃から従業員を何人も雇っていたそうですが、その頃からの、彼のモットーだそうです。

"When you have momentum, roll with momentum"

勢いをつけたら、さらに加速しろ、という感じでしょうか。
Dichter氏は、シャツビジネスの次に、音楽ビジネスを始めたそうです。
そのビジネスというのは、NBAのチームごとに、試合の中で使用するテーマ曲などを編集したスポーツコンピレーションCDのビジネスでした。
彼は、最初にNew York KnicksというNBAのチームに、売り込みに成功したのですが、その後、すぐに、当時Michael Jordanを擁していたChicago Bullsへ売り込みをかけたそうです。

「仕事がうまくいって、まだ5時だったら、そこで一息ついてはいけない。勢いがあるうちに、あと2,3件セールスをとってこないといけない」

といったようなことを言っていました。
怠けグセのある自分には、この言葉が非常に大きく響きました。


"Pitch beyond idea"

アイデア以上のものを主張せよ、ということ。
これは、自分のアイデアを売り込む時の注意すべき点です。
たとえば、投資家に事業の資金を求めに行く時、紙に書き落とした考えばかりを述べて、それがいかにすごいアイデアかを主張する人がいます。
しかし、アイデアだけだと、そのコミットメントが疑われます。

何か、「こういうビジネスがやりたい」という時には、なるべく、説得する相手がわかるようなサンプルや、触れたり、匂いをかいだり、商品のイメージを用意できるものがないと説得力がない、ということです。

本日は、NY Universityのビジネススクールで、Entrepreneurship Conferenceというものが開催されていて、知り合いに紹介されて、行ってきました。
要するに、起業家向けの集まりみたいなものです。


私が特に期待していたのが、午後の基調講演。
講演者は、Kenny DichterというMarquis Jetの社長です。

Marquis Jet(発音は、マーキー・ジェット)という会社は、会員制のプライベートジェット搭乗を時間単位で売っており、現在めざましく業績を伸ばしている会社です。

プライベートジェットのチャータービジネス自体は昔からありましたが、この会社は、「25時間」を1単位として売っているのが特徴的です。大体、25時間の搭乗権(+諸々の会員特典)が、約1200万円するそうで、これは既存のチャーター便に比較すると、だいぶお手軽な値段らしいです。

おそらく、対象の顧客としては、

数十億円かかるジェット機を所有し、メンテナンス費も払える超お金持ち

と、

数年のうちに一回だけチャーターが必要な人たち

の間に位置する、

一年のうちに何回もプライベート・ジェットを利用しなければならないが、買って維持するほどのお金は持っていない

人たちや企業が、ターゲットになっているようです。


一見ウェブサイトや広告宣伝を見て思ったのが、シンプルなデザインやコンセプトにも、高級感がただよっていて、「Marquisの会員になりたい」と思わせるようなブランドのしかけがいろいろとなされていること。

Marquisのカードを持つことが、一つのステータスシンボルである、というようなイメージをうまく作り上げているのではないかと思います。

その創業者・社長が、どんな経緯で、このビジネスを始めるにいたったのかを、その講演では語ってくれました。

損害保険の事業をはじめてから、営業電話を頻繁にかけるようになりました。
実は、この営業電話(コールドコール)、ずっと前からやってみたかったのです。

相手が忙しいところを、いきなりこちらの都合で電話をかけるわけですから、こちらも気を遣います。気軽な気持ちでできるものではありません。
こちらがアポイントメントを求めても、断られることの方が圧倒的に多いわけですから、精神的にもかなりきつい労働であることは間違いありません。

私は、このコールドコールというものに対して、漠然とした恐怖感をもっていました。なぜなら、自分に無神経な営業電話がかかってきた場合には、怒って一刻も早く追い払おうとするだろうから、相手も同様に考えていると思ったからです。

しかし、思ったよりも、恐怖感はありませんでした。目指すのは、利益をしっかりと出しつつ、お客様と双方にとって長期的に良い関係を築くきっかけ作りです。
自分と商品に自信があり、相手にとって自分が役に立つ確信があれば、どれだけ断られてもそこまで落ち込まないものだな、と思いました。
しかも、実際にやってみてわかったのは、むげに断る人も少なく、丁重な対応をしてくださる方がほとんどです。

私が特に気をつけているのは、「人間対人間」の会話を心がけること。
何回も電話をかけて、言うことを覚えてしまうと、無機質な営業トークになりがちです。それを、なんとか、自分の心を込めて、人として会話をしよう、としているのです。

前に勤めていたコンサルティング会社では、多くの企業と異なり、顧客の新規開拓はマネージャーやパートナーの仕事なので、入社数年目まではプロジェクト内での作業の方が多く、営業活動は一切ありませんでした。

それは、精神的には確かに楽でしたが、他の企業で新人が、厳しいノルマの中で、果敢に新規開拓営業にいそしんでいるのを見て、自分は、この時期にすべき重要な修行を、していないのではないか、と思うようになりました。

それが、今できているわけですから、この状況に感謝しなければならないと思います。まだまだめざましい結果は出ていませんが、引き続きがんばろうと思います。

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