Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

January 2006

高校時代には、周りの学生がやっているやり方と、全く同じ方法で勉強をしていました。

問題集を解いて、学校の教科書を読んで、意味を調べて、文章を訳して…。
英語は、得意教科のままでしたが、かといって、劇的に話せるわけでも、文章が書けるわけでもありませんでした。

高校3年生になって、衝撃的な事件がおきました。
この日を境に、私は「いつか、英語を本気でマスターしなければならない」と思うようになりました。

私は、その頃、英作文力を鍛えようと、躍起になって、問題集を毎日のように解いていました。
使っていたのは、Z会の黄色い英作文の本。私は、毎日数問の英作文をこなしては、英語の先生に見てもらう日々が続きました。

私は、自分の英作文力が毎日上達していくことに満足を感じていました。

そんなある日のこと。

私の母親が、その紙切れを持ってきたのです。

まず、陪審員に質問をはじめたのは、原告側の弁護士です。

このブログ上では事件の内容が一切特定されないよう、事件の内容を大幅に変えて、フィクション仕立てで、書きたいと思います。
以下の内容は、実際に起こったこととは無関係ですが、雰囲気が伝わればと思います。

ここでは、この被告が、タバコを公衆のビル内で吸って逮捕された、ということにしておきましょう。



「この中で、タバコを過去に一度も吸ったことのない人はいますか?」

一人が、手をあげました。

「わかりました。この中で、誰にも迷惑をかけずに、個人的にタバコを吸うことがよくないと思っている人はいますか?」

だれも、手をあげません。

「この中で、タバコの匂いを知らない人はいますか?」

1人だけ手をあげます。

「わかりました。それでは、ある人が、息を吸っただけで、喫煙者かどうかわかる、と考えていない人はいますか?」

なんだかひどく回りくどい聞き方ですが、和訳したらこんな感じだと思います。
つまり、弁護士の人が聞きたいのは、

- ある人と話をした時に、口臭で喫煙者であるかどうかを判断できるか?

ということなのです。警察官は、被告を逮捕したとき、「見た目だけで」喫煙者だと判断し、逮捕したわけです。だから、弁護士としては、そういった判断が妥当だと陪審員候補が感じているかどうかを、このまわりくどい質問で聞こうとしていたわけです。

さらに、陪審員席の前列に座っていた男性にこう質問をしてきました。

「Mr. Smith(仮名)、それではあなたに質問します。あなたは、今手をあげませんでしたが、口臭によって、その人が喫煙者だと判断できるとお考えですか」

「ああ、喫煙者かどうかは、においでわかると思うよ」

「それでは、そのような人は、どのような匂いがしますか?」

「うーん、そうだなぁ、なんとも形容はできないけど、草を焼いた匂いだね(笑)」

「そうですか、わかりました。ありがとうございます」

質問はさらに続きます。

(以下の私の陪審員体験談は、一般的にリリースしてよいと思われる情報のみを個人的判断で公開しています。また、小さい案件ではあるものの、被告や裁判が絶対に特定されないよう、事件に関する情報は、全く特定不可能なレベルまでに脚色しています)

12人の陪審員席に座ったとき、1枚の紙切れを渡されました。

その紙には、15問ほどの質問が載っていました。
質問は、以下のようなものでした(一部、記憶が曖昧のため、不明)

- フルネーム
- 現在の住まいはどこか
- 出身はどこか
- 最終学歴
- 最終学歴での、専攻は何だったか?
- 家族構成
- 子供がいる場合、子供の職業は何か
- 過去、犯罪で有罪を宣告されたことがあるか
- 過去に、陪審員を行ったことがあるか
- その際に、判決に関わったか
- 身内で、過去に犯罪に巻き込まれたことのある人はいるか
- 身内で、有罪判決を受けたことがある人はいるか
- 上記の事実が、陪審員としての決定に影響を与えると思うか
- 余暇は、何をして過ごしているか

陪審員席には、結局クジで選ばれた12人が座りましたが、傍聴席にも、まだ10数人の陪審員候補者が残っています。
どうやら、この後、"Jury Selection"(陪審員の選定)に入るようで、席に座った12人が第1候補、傍聴席に残った残りの人たちが第2候補のようです。

陪審員は、被告の有罪・無罪を決める、重要な役割を担っています。
冗談ではなく、人の一生を左右しかねない非常に大事な任務なわけです。適当に、判事が陪審員を選んだり、被告・原告どちらかに明らかに有利な陪審員を選ぶわけにはいきません。

したがって、何十人といる陪審員候補者の中から、原告・被告両側の弁護士が認めた陪審員のみが、実際の法廷で判決を下す役割を担うことになるのです。
この場面は、映画でも良く出てくるので、「あー、やっぱりこういう風にやるんだー」と思いながら、見ていました。

今回のケースは、

- 男が、ある軽犯罪で、警察に捕まった
- だが、警察はその軽犯罪を完全に確認する前に逮捕した
- そのため、被告が本当にその軽犯罪を犯したのか、具体的根拠がわからない

ということで、警察が、この被告を逮捕したことが、果たして妥当だったのか、被告は有罪なのか、ということを審理するものです。

ここで、警察官全般に対し、うらみを持っている陪審員がいたりすれば、被告には有利になりますが、原告(検察側)には不利になってしまいます。原告側は、そういう陪審員は排除したい。

逆に、たとえば過去に同様の軽犯罪で被害に遭った経験をもっている人が陪審員にいたら、いかなる理由であっても、そういう被告を許さないかもしれません。これは、逆に原告に有利になり、被告側としては、そういう陪審員は排除したいと思うでしょう。

それぞれの弁護士は、陪審員候補にいくつかの質問を投げ、その反応を見ながら、一人一人の陪審員候補が自分側に有利か・不利かを見極めていくのです。どちか一方が自分にとって不利と判断すれば、その陪審員候補は、選ばれません。

陪審員選定の第一ステップは、陪審員候補の自己紹介です。
先ほど渡された紙を持ち、一人一人立って、質問を読み上げ、答えていきました。

私の隣の人は、自己紹介の途中で、以下のように言いました。

「正直言って、私はこの件に関しては、客観的な判断ができる立場にはいません。したがって、この件には関わるべきじゃないと思ってます。」

彼女の過去に何が起こったのかは、わかりませんが、この軽犯罪に関しては、個人的に何かつらい体験があったようです。判事は彼女の主張を聞き入れ、「わかりました。それでは、弁護士が同意すれば、あなたを候補からはずしましょう」というようなことを言いました。

判事の手際が良いため、テンポ良く自己紹介が進みます。中には、緊張のあまり"I'm very nervous, I'm sorry"と繰り返す女性の方もいます。緊張するのは、人前で話すということもあるでしょうが、これから、ある一人の人間の一生を左右しかねない決定をしなければならないのですから、ある意味同意してしまいます。私も少し、そういった感情を持ちました。

一通り、各陪審員候補の自己紹介が終わると、今度は原告・被告側両弁護士が、いろんな質問を、陪審員候補に向かってはじめました。

ここからは、まるでドラマか映画を見ているようでした。

不謹慎ながら、弁護士の語り口を楽しみつつ、なぜあれだけ法廷ドラマ・映画がアメリカ人に絶大な人気を誇るのか、ここで垣間見た気がするのです。

クイーンズ郡の刑事裁判所に赴いたのは、午前8時半。

結構新しくて、大きな施設です。
中には、すでに人が並んでいました。列は2つあって、陪審員の列と、傍聴人の列。

傍聴人の列は、ほとんどがアフリカン・アメリカンおよびラテン・アメリカンの人たちです。まるで、ほとんどの犯罪が、こうしたマイノリティーの人たちによって行われている、という現実を示唆しているかのようです。

NYに来た当初は、人種の違いや差別をほとんど意識したことはなかったのですが、こういうのを目の当たりにすると、自分の偏見を助長する情報をまた一つ得てしまった、という気持ちになります。

陪審員の列は、半分近くが白人、その他マイノリティーはまばらにいました。

荷物チェックをして中に入る。空港並みの厳重なチェックです。
私は、小型の音声録音機を取り上げられたましたが、まぁ当然かもしれません。

その後、"Jury Assembly Room"と呼ばれる、陪審員候補者の待合室に入ります。中は、中型の法廷です。
この部屋は、法廷としては使われていないようです。傍聴席に当たる席に座らされ、待つように指示されました。

その後、持参した召喚状にサインするように指示されました。
召喚状の裏には、「現在働いているか」「雇用者は、不在の間手当てを支給するか」など、いろいろな質問が書いてありました。私は、それらの質問に答え、サインをして提出しました。

時間が経つに連れて、待合室にたくさんの陪審員候補者が入ってきます。
傍聴席には、少なくとも300人以上が所狭しと座っています。これほど多くの陪審員の候補者が、一つの部屋に詰められているのです。

1時間くらい経ち、警察の服装をした男が中央に出てきて、名前を、30人ほど読み上げました。

名前を呼ばれた人は、外に出て、それぞれの法廷へ行きます。
そして、法廷の中で、「陪審員選定」のプロセスを行うことになります。

私は8時半から待合室の中で、4時間待ったが、名前がなかなか呼ばれません。
これは本当に退屈な思いをした。グッドウィルグループ・折口社長の「プロ経営者の条件」を読んでいましたが、あっという間に読み終わってしまいました。
責任感を充填させてここまで来たのに、こんなに待たされると、逆に腹がたってきます。
どんどんやる気がなくなっていき、「もう早く帰りたい」と思うようになりました。

12時半から2時までは、「昼食休憩」でした。近くのデニーズへ行き、仕事関連の電話を何件かこなしてから、法廷へ戻りました。

それから待つこと約1時間半。

やっと名前が呼ばれます。

「しゅ、しゃ、しゃんすーく。しゃんすーく」

私はいつもは「ジミー」で通っています。日本語名が外国人には読みにくいからです。
自分のファーストネームを英語で呼ばれるのは、けっこう腹立たしいものがあります。
正しく読めた人間に出会ったことが一度もないのです。

廊下に出ると、陪審員候補が30人ほど並んでいます。

そして、皆でゾロゾロと小法廷に入ります。

まず、ドアを開けると、控え室のような場所があり、そこからさらに進むと、法廷があります。
我々陪審員候補は、廷吏に呼ばれ、入廷しました。

中を見渡した第一印象は、「小さい」。左奥のひときわ高い場所に判事が座っています。
判事の前には、廷吏が一人、書記係が一人。

部屋の向かって右手には、陪審員が座るものと思われる、「12の席」が。
陪審員席のそばに、廷吏がさらに2人います。

万が一ということもあるので、これ以降は、事件を特定できるような情報は公開しないことにします。

傍聴席の前には、机が2つ。
向かって右側の机には、一人だけ弁護士と思われる人が座っています。
左側の机には、被告と思われる人が3人。
そのうち、被告と思しき男に、中年の女性がしきりに話しかけています。そして、男のとなりに、精悍な顔をした背広の男が座っています。彼が、おそらく被告側の弁護人なのでしょう。

一番手前には、傍聴席が。約40人ほど座れる小さいスペースです。

早口の判事が説明を開始しました。
被告側の席に座っている女性は、どうやら通訳のようで、しきりに被告に話しかけています。

判事は、陪審員の役割の重要性や、この裁判では何が焦点になっているかなどを説明し始めました。


基本的には、被告はある軽犯罪で捕まったということらしいです。

…私はよくわからないんですが、軽犯罪って、わざわざ12人の大人が集まって有罪か無罪か決めるに値するものなのでしょうか…?

殺人、強盗でもないのに、労力の無駄であるような気もします。
疑問がわきます。

ともかく、判事の早口で、長い説明が一段落した後、陪審員候補者へ質問がなされました。

「この中で、今後3日間くらい、仕事を休めない人はいますか?」

誰も手をあげません。

その後、廷吏の一人が、ガラガラと、おみくじのようなものを回し始めました。
回した後に、中からカードを引き、陪審員の名前を読み上げていきます。

呼ばれた陪審員候補は、一人ずつ、「12人の席」へ移動していきます。

「しゃんすーきー」


別パターンの呼び方ですが、私は、11番目でした。
ドキドキしながら、11番目の席(2列目の左から2番目)へ移動したのでした。

先週Jury Summonsに書かれた番号に電話したとき、「火曜日の午後5時以降にまた電話しなさい」との指定を受けました。

先ほど、指定された電話番号に再び電話したところ、自動音声にて

「キュー・ガーデン(NYの地名)の刑事裁判所に、18日(水)の8:30に来なさい。きちんとした服装で、ペンと召喚状を持って来なさい」

と指示されました。

18日って、明日じゃないですか!

ドキドキします。
アメリカで裁判所に行くのは、初めてなので、半分楽しみではありますが。

さて、同級生にバカにされた私は、危機感を感じました。

本当にそのとおりだ、「アメリカにいたのに英語ができない」なんて、どう考えてもかっこ悪い…。

それから、英語をまじめに勉強するようになったのでした。
とはいっても、勉強方法は、他の生徒とは変わりません。
授業では文法をかじって、教科書を一文一文解釈して、問題を解く、という日本式学習パターンの繰り返しです。

ただ、進研ゼミなどの教材にまじめに取り組んだせいでしょうか、私の英語の成績自体は上昇しました。
クラスの中でも、「英語が得意な方」に属するようになりました。

しかし、この頃は、どこまであがいても中学レベル。
ネイティブなど遠くおよばない、ごく普通の、中学生でした。

考えてみれば、この頃の勉強は、本当に偏ったものだったと思います。
何しろ、読む、書く、聞く、話すの四大要素のうち、(本当に感覚的にですが)読むが60%、書くが30%、聞くが5%、話すが0%だったと思うのです。
「発音練習」と称して、先生の後について復唱する練習がありますが、読む力の足しにはなるものの、会話力には少しも貢献しないでしょう。

日本の英語教育には、奇妙な現実があります。
中学、高校で勉強しても「誰も話せるようにならない」「自分も話せたようにならなかった」という事実があり、それをほとんどの人が認識しているにもかかわらず、何も具体的な教育方法・テスト方法の改正がなされていないのですから。

この時に学んだ文法が、後に会話練習をする際に役立ったかときかれれば、間違いなく"yes"です。

しかしながら、同時に間違いを犯してしまうことに恐怖を覚えてしまう感覚を植えつけられたのも、この時期の教育があったせいだと思っています。

さて、陪審員の召喚状に、「13日(金)の午後5時以降に、電話するように」との指示をが書いてあります。

実際に、その時間に電話してみると、自動音声で、案内がありました。
番号T2800からT3500までの人は、来週の火曜日にまた電話してくれ、とのこと。

何がなんだかさっぱりわかりませんが、とりあえず召喚状には、T3179と書いてあります。
なるほど、これがその番号だ。また、今度の火曜日に電話することになりました。

私がある話をすると、「そうか、だからお前は英語が得意なんだ」といわれます。

私は、アメリカ生まれなんです。

これを言うと、ほぼ全ての人が、自動的に「アメリカ生まれ=英語ペラペラ」と連想するのですが、そんなことはないんです。

私は、小学校2年生の時に、日本へ引っ越しました。それまでは英語を現地の学校でしゃべっていたのですが、日本に来てしばらく経ち、全て忘れてしまったのです。

よく、このことを話すと、「小さいことに覚えたことは忘れないよ」とか、「どこかに英語が頭の中に残ってるんだよ」とご丁寧に教えて下さる方が何人もいるのですが、それは、ウソです。

小さい頃に覚えた言語は、使わなければ確実に忘れます。
同じことを経験した人を私は何人も見てきました。

言語は、使わなければ、きれいさっぱり、頭の中からなくなるのです。
事実、私も、すぐに話せなくなりました。

子供だから、特に英語を維持しようなんて、考えていなかったですし、そもそもコミュニケーションの手段でしかない言語というものに、トレーニングの必要性を感じていなかったんだとおもいます。

それでも、数年経って、中学校に入って、教科書を見て、愕然としました。
何しろ、昔しゃべっていた言語を全く覚えておらず、教科書に何が書いてあるか全く理解できないのですから。

私は、彼を"he"、彼女を"she"ということさえ知りませんでした。
NHKの"基礎英語"で習った基本単語です。

三単元のsにいたっては、さっぱりしくみがわからず、中1の英語の授業で受けた小テストでは、落第点をとり、周りの人間に、「お前アメリカいたくせに、こんなのもわかんねーのかよ」とバカにされたのを覚えています。

思えば、この同級生の一言が、私を英語学習に駆り立てるきっかけとなったのですが。


ニューヨーク・シティでは、とんでもない人たちが道端を歩いています。

おとといの晩のことです。
私は起業家の集まりで知り合ったS氏と、Nラインに乗るため、56th Stを東に歩いていました。

そこに、向かい側から、サラダを詰めたケースを右手に持った男が歩いてきました。

一瞬のできごとでした。


サラダ男とS氏がぶつかったのです。


その瞬間、サラダが道に散乱、私はそれを見て「あっ」と声を出してしまいました。

男はS氏に向かって、叫びだしました。

よく聞き取れませんでしたが、"オレの野菜をどうしてくれるんだ!"といわんばかりに。そして、男はものすごい形相でこちらに向かって歩いてきました。

しかし、S氏は、取り乱した様子はなく、振り返り様、"YOU did it!"(お前だろ!)と言い返しました。


そう、サラダ男は、詐欺師だったのです。サラダの入ったケースを、手で突き出して、無理やり道行く人にぶつけ、散乱させ、謝らせて示談に持ち込んで金を払わせるという、とんでもないヤツなのです。

10メートル歩いた先に、別のサラダの散乱跡がありました。

・・・わかり安すぎます(笑)。ここで、悲劇が繰り返されているのでしょう。

しかし、車にわざと当たって示談金をせしめる"当たり屋"、というのは聞いたことがありますが、サラダをぶつけるなんて聞いたことありません。しかも、ガーデンサラダとか、シーザーサラダとかではなく、キャベツの千切りのような、安そうな野菜です。私が彼の息子だったら、「おとうさんかっこわるい」って言うと思います。



しかし、さすがはニューヨーク・シティ、詐欺師もいろいろいるものです。



やはりクリエイティビティが違います。

金融の不正で多いのは、「利益の保証」です。
株・投資信託の営業マンがこれをやったら、一発退場ですので、覚えておいてください。

証券を売っている人で、こんなことを言う人がいたら、すぐに当局(NASD)に連絡をしてください。

「この株を今買っておけば、必ず上がりますよ」
「この投資信託は、過去20年間で、○%上昇してきたから、今後も○%の上昇が期待できますよ」

株や投資信託(ミューチュアル・ファンドが一般的)の販売に携わる者は、特定の商品の、将来価格を予測してはいけない、というのが原則です。
株や投資信託と言うのは、性質上、上がったりも下がったりもするからです。それを、ことさら上がることだけを強調して、消費者を扇動することは、極めて悪質な犯罪とされています。

なので、彼らは、「値段が上がりますよ」と言ってはいけないんです。

ところが、一方の事実として、消費者は、将来価格が上がることを期待して証券を買います。

そんな時に、どうやって証券・営業マンは、その商品を説明するのでしょうか?
実は、将来の予測はできないけれども、過去の実績なら、示して良い、というルールがあります。

つまり、たとえば「過去10年間この投資信託は○%上がってきた」、とまで示すことはできるのです。
しかし、ここから、「だから今後も○%期待できるだろう」と結論づけることはできません。
「この先、価格は上がるかもしれないが、保証はできない。将来的には価格が下がるリスクもあるし、元本の保証もありません」、と価格が下がるリスク・元本を失うリスクをきちんと説明するいうのが、正しい商品説明の原則です。

また、営業マンが、利益を個人的に保証するのも厳禁です。つまり、お客さんが損をした時に、個人的にポケットマネーからお金を出して、損の埋め合わせをすることは、禁止されています。


通常の場合、書面で、「この商品は、元本の保証がないことを承知している」ということが書かれた紙にサインをさせられます。

自分が何にサインしているのかを、きちんと認識して、わからなければ質問をするようにしてください。
そして、そのサインの全責任は、自分にあるのだと、オーナーシップを持つようにすべきです。

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