Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

January 2006

英字新聞作戦は、見事に失敗しました。

しかし、読んでいなくても、毎日毎日届けられます。
だんだん、読まれずに積まれた新聞を見ると、イヤになってきます。そこで、またがんばろうとすると、なぜか逆にやる気がなくなります。

強制すると、やりたくなくなることって、ホントに多くありますよね。何ででしょうかね。
自分に「やろう!」と強く思い込ませると、逆に動きにくくなってしまうという…。

何かの昔話で、弓のお師匠が、若い弟子に対し、「的を狙ってはいけない」という事を言った話をどこかで聞いたことがありますが、何事もそれと似ているのではないかと思います。

結局、その新聞は、ほとんど読まれることはありませんでした。

テスト勉強が終わって、「とにかく英語に触れること」を目的として、英字新聞をとりはじめたのに、触れることさえままならぬまま、三日坊主で終わってしまったのです。

3年生の終わりごろから、就職活動がはじまりました。私は、内定を1社からもらい、9月ごろに初めてのTOEICテストを受けることになりました。

これが、TOEIC初受験でした。

結果は、675点でした。これを、高いと見る人もいれば、低いと見る人もいるでしょう。
私は、その点数に対しては、「意外と良かった」というのが正直な感想でした。
高校時に、一生懸命勉強したことが実って、テスト対応だけは、良かったのかもしれません。

しかし、まだまだ上はあるのが事実でした。
そして、依然として、英語が満足に話せない、という現実がありました。

内定をもらったのが、外資系の企業だったこともあり、これは、そろそろ本格的に勉強をはじめなければやばいぞと思うようになりました。

そのインチキくさいマネージャーが、私のサインする契約書を用意する間、私は焦っていました。

時間はちょうど7時ごろ。あと1時間後、8時から、私が1週間の中で、唯一見ている人気テレビ番組"The Apprentice"がはじまります。「早く終わんないかなぁ」と思っていました。

マネージャーは、私がローンを受けるかどうかを聞いてきました。
私は、アメリカに来てまもなかったので、クレジット履歴がありませんでした。

アメリカで、個人に対してお金を貸す場合、貸し手は、その人のクレジット履歴を見て、その人にお金を貸すかどうかを決定します。クレジット履歴には、「クレジットスコア」という点数があって、その点数を見て、その人が、過去にローンやクレジットカードの負債をきちんと払ってきたかどうかを参照します。
そして、その上で、クレジットスコアが低い人には、お金を貸さなかったり、高い利率を課したりするのです。

しかし、私は、アメリカに来てまもなかったので、そもそもクレジット履歴さえありませんでした。なので、私は、はじめローンを組めるなどと思ってもいなかったのです。

しかし、マネージャーの話によると、高い利率(17%程度)であれば、ローンを組める、しかも、きちんと返していけば、良いクレジット履歴が残る、というのです。

なるほどと思った私は、とりあえず長期のローンを組んでおいて、クレジット履歴をよくなる6ヶ月頃で、全て返済する見通しで、ローンを組むことにしました。

マークは、これを快く思っていませんでした。彼は、17%のローンなど、論外だと思っていたようです。
私は、ローンの額が小額で、クレジット履歴が作られるのであれば、17%といってもメリットは大きいと見ていたのですが、彼はとにかくそれが不愉快だったようです。

彼は、一旦私を部屋の外へ連れ出して言いました。

「これで、本当にいいのか?」
「17%だぞ。私は、何か怪しいと思う」

彼は、私が、このカーディーラーにだまされていると思っていたので、何度も念をおしてきました。
私は、本当に早く家に帰りたかったので、「大丈夫だ、これは僕の決定だ」と何度も言いました。

結局、その日のうちに車、およびローンの契約書、全てにサインを行い、キーをもらって、家に帰りました。


その車に、欠陥があることも知らずに…。

Jury Selectionの翌日、9時半に出廷すると、また、大きな法廷で待たされることに。
30分くらい経つと、係員に呼ばれ、"参加証書"を受け取り、帰ることになりました。

今回、はじめて陪審員というアメリカ人の行事に参加したわけですが、ちょっと感想を述べたいと思います。

<待ち時間が長い!>

今回、陪審員候補として出廷するにあたって、周囲のアメリカ人に、「陪審員の仕事ってどんなものだ?」と聞いたのですが、皆そろって口にするのが、「待ち時間が長いよ」ということ。実際に行ってみると、合計で8時間くらいでしょうか、非常に長いことだだっぴろい法廷の中で待たされました。実際に陪審員として必要な人数の3倍くらいを集めていると思われるので、一気にガバッとたくさん集めて、集めた中から適当に裁判のケースを割り当てているような印象を受けました。おそらく、陪審員候補に対して、ケースを割り当てるプロセスが、自動化されていないのでしょう。IT政府化がかなり進んでいるこのアメリカでも、まだまだ改善の余地はありそうです。


<スポーツ的面白さ>
今回、陪審員選定というプロセスに、実際に居合わせることができて感じたのは、弁護士のエネルギー。原告・被告双方ともに、スタイルこそ違いましたが、何が何でも勝つ、という気迫を感じました。と同時に、弁護士という職業の本来的な「おもしろさ」を垣間見たような気がしました。

日本は、そもそも弁護士になる上でのハードルが高いために、まず「世界の違い」を感じます。したがって、私自身、今までは、弁護士業そのものの面白さよりも、日本一難しい司法試験や、一旦試験をパスした後の地位の高さ、一生食べるに困らない安泰の生活、などのイメージが先行していました。

しかし、この陪審員選定プロセスを通してみたのは、「論理を展開して、人を説得することって、おもしろくて、快感かもしれない」「弁護士業って、メチャクチャ面白いかもしれない」ということです。

私は企業コンサルティングに従事しておりましたが、人を説得するということは、必ずしも論理的なプロセスではなく、実際には人的要素や、いろいろな泥臭いコミュニケーションが必要となってきます。しかも、お客さんの業績が上がったとしても、そこにはいろいろな要素が存在して、必ずしも自分たちの提案が良かったとはいえません。

しかし、裁判には必ずルールがあり、審判(判事)がいて、最後は白か黒か決着がつき、弁護士の主張いかんで、全ての結論が変わってしまいます。それはある意味スポーツのようです。
かつて、OJシンプソンや、タバコ会社訴訟など、数々の難しい裁判があったと思うのですが、下された結論はどうであれ、勝った弁護士は、さぞかし気持ちが良かったのではないかと思います。一度勝ったら、やめられないのでは、とさえ想像してしまいます。

<陪審員の苦悩>
そのスポーツ的おもしろさの一方、陪審員は、一人もしくは複数の人間の運命を大きく変える決定に関わってしまうことに対して、大きな恐怖感と、苦悩を持っています。参加していた女性の中には、陪審員選定の自己紹介の時点で、震えてまともに話のできない人もいました。これまでに、ミスジャッジや、判定の覆りが、少なからず起こっているはずです。

自分の下した決定で、一人の人間が、間違って死刑室に連れて行かれるかもしれない。殺人鬼を野に放してしまうかもしれない。こんな重要な決定は、誰が行うとしても強い精神力が必要なことです。


<陪審員という制度について>
養老孟司さんが何かの本に書いていたような気がしますが、民主主義では、「みんなが正しいと思っていることが正しい」んですね。法律もその解釈も、人の価値観も、時代によって変わります。陪審員制度は、完璧な制度ではないし、賛否両論はありますが、「その時代に生きる一般庶民の良識をもとに、正しいか正しくないかを決められる」と言う意味では、すばらしい制度だと思います。日本が裁判員制度を導入しても、その良さが保たれることを願っています。


今回の陪審員選定プロセス参加で、なぜ、アメリカでこれだけ法廷小説・ドラマ・映画がここまで普及しているのか、理由がよくわかりました。犯罪という非日常性、原告・被告側の、スポーツのような論理ゲーム、そして自分自身の意思決定参加、という要素が、アメリカ市民を魅了し続けるのでしょう。

法廷の中に入ると、傍聴席に沿って並ぶように指示されました。

判事のアシスタントのような人が、1枚の紙切れを持っていて、そこに、選ばれた8人の陪審員の名前が書いてあるようでした。

私の名前は、呼ばれませんでした。

やはり、「データ重視の男」と見られ、原告側から嫌われたせいでしょうか。陪審員の8人は法廷内に残り、今後の予定を指示されたようです。

残りの、選ばれなかった私を含む十数人は、次の日の9時半に、再度法廷に来るように求められました。

陪審員の8人は、これから、数日間にわたって、原告・被告両側の主張を聞き、この小柄な被告の運命を決めます。彼は、飲酒運転をしていたのか?していなかったのか?

どんな結論であれ、この裁きが、彼自身の人生に、大変な影響を与えることは間違いありません。
この8人が、公平な判断をしてくれるよう願い、私は法廷を後にしたのでした。

英語I の単位を1年次で落としたため、2年次に再受講となりました。
もし2年次で英語Iをパスできなければ、3年生には上がれない仕組みになっていたため、必死で勉強をしなければなりませんでした。

再受講の英語Iは、なんとか授業にくらいつき、2年次に、無事に単位取得ができました。

大学の3年目を過ごしていたある時、高校三年生の時にみつけた、「あの紙」を再び実家でみつけました。その紙をマジマジと眺めながら、ふと思いました。

子供の自分が、何の苦労もなく、ここまでナチュラルな英文を書いていた…。

大人の自分は、今、苦しみ、もがきながら、英語の勉強をしている。
テストの点数で悩み、モチベーションを無理に高めながら、机上の問題集に取り組んでいる。
なのに、成果が上がらない。

これは、やり方が、そもそも根本的に間違っているのではないか?と初めて考えるようになったのです。

今まで、周りの人と同じような勉強法で、人一倍努力をすれば、結果がついてくると思っていたが、そもそもそんなに努力することに価値があるのだろうか?
赤ちゃんや子供のように、英語漬けの環境に身をおけば、勝手に英語力など、伸びていくのではないか?

単純に接触時間を伸ばせば…そう思った私は、英字新聞を購読することに決めました。
早速、"The Japan Times"という新聞を購読し始めた私ですが、購読初日から、挫折をしました。

さっぱり、読めないのです。記事を読み始めて、「自分は英字新聞を読んでいる」という「オレは先を行っている感」とでもいうのでしょうか、妙に良い気分は味わえるのですが、さっぱり書いてあることがわからないのです。

結局、1日目は記事を何とか一つ読み終え、他の記事は眺めるだけ。
2日目には、スポーツ欄の写真を眺めて、終わり(笑)。
3日目には、もう見向きもしなくなりました。
4日目は、配りたての新聞が、キレイに積み重なるようになりました。

こうして、英字新聞作戦は、見事な三日坊主で失敗に終わったのです。

大学は、英語学習においては、挫折の日々でした。

さて、無事に大学に合格したわけですが、大学では、大多数の生徒のごとく、授業にはあまり出席していませんでした。
高校時代に持っていたはずの、勉強への意欲は露となって消えました。
当然、英語など、見向きもしない日々が続きました。

大学では1年生必修の"英語I"という基礎的な科目をとらなければなりませんでした。
英語Iとはいうものの、読む英語の文章は本当に難しく、さっぱりわかりませんでした。
かといって、一生懸命勉強していたわけではなく、テストでは散々な成績をとるようになりました。

英語Iの最後のテストには、事前に課題図書が出されました。ジョージ・オーウェルの"1984"という本です。
いまだにいろいろなニュースの引用で、引き合いに出される、超がつくほどの名著なのですが、当時の私はそんなことは知るはずもありません。

余談ですが、この"1984"という本は、1949年に出版されました。
つまり、その頃描かれた"1984"という年の物語は、その頃から見ると、想像できないくらい未来の世界だったわけです。

我々が、2006年の現在、2041年、というと、なんだか、怖いくらい先の未来のような気がします。
その時どんな世界になっているかなど、想像もつきません。ちょうど、そんな時代設定で書かれた本なのです。

どんな内容かというと、ある国家の全ての人間が、"Big Brothers"という権力によって、全ての行動が監視されている、そんな世界を描いています。主人公はその中で、禁じられている日記を書き始めるのですが…いろんなことが起こって、最後がどうなるか…忘れました。

しかし、この"Big Brothers"という言葉が、現在では、英語圏では、「監視国家」の隠喩にもなっています。テロ対策で「盗聴を許容する」と司法長官が発言している現在のアメリカでは、特に頻繁な引用がなされています。

物語は、当時の終戦直後のイギリスの様子をいろいろな形で取り入れているようです。私も大学の時よりは、多少成長していると思うので、もっと面白く読めるような気がしています。
今度、本屋で見てみようと思います。

ともかく、この1984という本が、課題図書だったわけですが、ぜんぜん読めませんでした。
とにかくその時は退屈で、何が書いてあるかもよくわからないし、辞書引いて読みすすめても、つらいし。
結局、日本語訳を一冊読んで、最終テストに望んだわけですが、撃沈。

高校時代、得意なはずだった英語。
一生懸命、勉強した英語。

私は、一年次の、大学の基礎科目である"英語I"を落としてしまったのです。
しかし、自分に「本当の英語力はない」となんとなく思っていた自分にとって、この科目を落としたことには、むしろどこかで、当然の結果だと思う気持ちがありました。

大学自体にもたまたますべり込んだ自分の実力など、他の学生に比べれば、だいぶ下のレベルにあるのだろう。そう考えていたのです。

私の英語に対する自信は、木っ端微塵になりました。

「いつか英語をネイティブレベルまでに」

そんなふうに思ったことさえ、忘れてしまいました。

母親が持ってきたその紙切れには何が書いてあったか?

なんと、私がアメリカにいた、小学一年生だった頃の、作文が書かれていたのです。
それは、海に行って、ボートに乗り、海中に潜りサメに遭遇するが、ナイフでサメを刺してピンチを切り抜ける、というストーリーでした。

この文章を、10年以上も前に、この自分が書いていたとは…。

私は、大きな敗北感と、信じられないような気持ちで、その紙を眺めていました。
高校三年生で、英語がクラスの中でそれなりに得意だった私でさえ、わからない単語(stab、など)や表現(let it go=逃がす、など)がありました。

しかも、受験勉強で練習するような、一語一語の単語を訳したような機械的な英文ではなく、それはネイティブの子供がしゃべっているのを言葉にしたような、そんなナチュラルな表現を使っているように見えました。

私には、そんな「ネイティブ表現」は、みじんも残っていませんでしたし、多くの人が言うように「英語の環境で子供の時期に育っていれば、勉強しているうちに記憶の底からよみがえる」といったような感覚も一切ありませんでした。高校三年生の時の英語力は、全て私が中一の時からコツコツと積み上げて努力した結果以外の、何モノでもなかったのです。

しかし、ここに、その努力をあざ笑うかのような、子供の文章がある。
しかも、それは自分が10年以上前に書いた、たわいもない作文…。

この出来事は、私にとって、それはもう大変なショックでした。
この時に、「いつか、英語をまともに話せるようにならないと、いずれ後悔するかも」と初めて思ったのです。

翌日、オフィスに行くと、ボスのマークが私に聞きました。
結局、車はどうするんだ、と。

「赤いトヨタのカローラを予約したよ。かなりうまく値切ったと思う。$10,500までに下げることができた。今日、サインをしにいく」

「そうか。ちょっと不安だから、今日は一緒についていってやろう」

私はちょっとだけ、ムカッとしました。
完全に子供扱いされているからです。
しかし、まぁ別に連れて行っても悪いことはありません。
彼に意見を伺うのもいいかと思い、OKとしました。

夜になり、そのカーディーラーへ向かいました。
セールスマンのウォレスがそこにいました。

彼は、車へ私とマークを連れて行ってくれました。
マークは、始終しかめっ面をしています。マークは、とても穏やかな人間ですが、基本的に人を信用しないんです。それが民族的なものから来ているものなのかはわかりませんが、とにかく、自分のネットワーク外の人間に対しては、極めて疑り深い。

車を四方八方から眺めたマークは、私に言いました。

「これ、試乗してもいいか?」

私は、疲れていたのと、8時から人気番組である"The Apprentice"のセカンドシーズンを見たかったのとで、早く帰りたい気持ちで一杯でした。

「え?そんなの、もういいよ。これに決めたし、僕も乗ったんだから」

「んー、本当にいいのか?」

「早く、サインしちゃおうよ」

この時、仮に経験豊富な彼が試乗していれば、この車が実は事故車だったことが、わかっていたかもしれないのです。私は、一時的な焦る気持ちで、そのチャンスをふいにしてしまったのでした。

ディーラーの建物の中に入って、次に会うのは"finance guy"です。要するに、契約とか、ローンとかを取り仕切るマネージャーです。その男は、ブルックリンなまりのイタリアンで、ジャラジャラとネックレスや宝石をつけており、見るからにインチキくさい男でした。

マークは、当然警戒している様子で、しかめっ面を終始くずしません。
男が準備している間、マークはずっと彼をにらんでいました。



たたみかけるように、弁護士は主張を行います。

「皆さん!本件の焦点は、被告が果たして本当に『ビル内で』タバコを吸っていたかかどうかということです。原告側が、被告の喫煙を科学的に証明することができなければ、彼が無罪になることに、異論のある方は、皆さんの中にいますか?」

またまたわかりにくい質問に頭が混乱したのか、迫力に押されたのか、ともかく陪審員一同シーンとなります。

「そうですか。Mr. X、あなたに質問です。あなたは、某有名銀行にお勤めとのことですね。あなたは、データによる検証や証拠を大事にされますか?」

Mr. X  「ええ、そうですね」

「わかりました。今度は、Mr. F(私)、あなたの仕事は、フィナンシャル・アナリストですね?」

私 「いえ、まぁフィナンシャル・アドバイザーと言った方がいいかもしれませんけど」

「あなたは、仕事の中で、数字の分析や、検証を行いますね?」

「えー、まぁそれも仕事のうちかもしれませんね」

「わかりました。質問を終わりにします」

どうやら、弁護士は、この一連の質問によって、陪審員候補のうち、誰がデータ重視の人間かを見極めようとしたと思われます。なぜなら、原告側の「匂いで喫煙者かどうかわかる」という主張に対して、「数値的根拠がなければ、喫煙者だと断定できない」と反論したいからです。

しかし、よく考えてみると、そんな質問をこの場でしたら、逆に原告側にとって不利な人間がわかってしまいます。

しかも、「フィナンシャル関係の仕事に勤めているから、データや数字を絶対的に信用する」なんて、ちょっと短絡的な論理であるような気もします。数字を頻繁に扱っているからこそ、数字データの信頼性の無さも、逆によくわかるはずなので。

私は、どちらにしても、この時点で、原告側の弁護士には嫌われた、と思いました。

この後、質問は終了し、陪審員候補は、外で待つように指示を受けました。
この間、被告、原告および判事が話し合いを行い、8人の陪審員を決めます。

外で待つこと15分間、廷吏に呼ばれ、再び部屋の中に入って行ったのでした。

弁護士の、我々に対する質問は、さらに続きます。

「この中で、警察官の言うことが、ほとんど信用できるとはいえない、という人はいますか?」

またまた回りくどい聞き方ですが、日本語にすると、こんな感じです。
要するに、陪審員候補が、警察官の言うことをどれだけ信用しているかを、質問しているのです。

私は、以前警察官にはひどい目に遭ったことがあるので、完全に警察官を信頼しているわけではありませんでしたが、なぜか手をあげる気になりませんでした。

この質問には、一人女性が手を挙げ、「警察官だからって、信用できるとは限らない」と意見を述べていました。

原告側弁護士は、その後いくつかの質問を行い、席につきました。

さて、次は、被告側の弁護士です。
被告側の弁護士は、体格が良く、背も高くて威圧感がありました。

彼は、立ち上がると、陪審員候補に向かって、熱く語り始めました。「皆さん!本日は、わざわざこの市民としての義務を果たしに来られ、大変ご苦労様です!私は被告側の弁護人をつとめさせていただいております」

「早速質問ですが、皆さんの中に、被告がもし喫煙者であるという科学的根拠がなければ、無罪になるということに、賛同しない方はいますか?」

いつも、弁護士の語り口調は、こんな感じです…。つい最近、コールドリーディングについて書かれた本が売れていましたが、それに似たものがあります。つまり、一瞬、質問された方は、否定がしにくいんです。

その前に、わかりにくいのですが。

この質問は、つまり、「タバコ吸ったって、言ってるけど、計測器で調べてもいないのにどうしてわかるの?科学的根拠がなければ、無罪だよね?」と、聞いてるのと同じです。

ただ、こうやって質問してしまうと、陪審員候補としては、手を挙げるという「作業」が発生してしまうから、賛成者が、少なくなってしまうんでしょうね。


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