Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

これだけやれば、絶対英語は上達する、というセオリーを私は持っています。

英語をマスターしたい、ペラペラしゃべれるようになりたい、そういう人はたくさんいます。

ところが、多くの人は現実を直視せず、「1週間で英語がペラペラになる」とか、「聞くだけで話せるようになる」といった安易な練習方法に惹かれ、十分な実践をつまないまま、上達したような気になり、一旦練習をやめると、学習が途切れてすぐに話せなくなってしまいます。

あまりにも多くの英語教材・学校が、すぐ上達することをうたっているために、そういったものに惹かれるのも、仕方のないことなのかもしれません。しかも、たちの悪いことに、そういう勉強方法ほど、一時的な「上達感」が得られたりもします。しかし、ネイティブレベル、"ペラペラ"レベルを目指すのであれば、まず必要なことは、現実を知ることです。ここから全てが始まります。

まずはじめに申し上げて起きますが、これを読んでいらっしゃる方々は、いずれも"ネイティブ"レベルを目指されていることと思います。

もし、企業に勤めていて、ビジネス商談をこなすのに十分な英語力がほしいと言う方は、これ以降、読む必要はあまりないでしょう。

企業ビジネスレベルは、日本語で仕事の内容が詳細にわかっていて、英語のボキャブラリーを把握しさえすれば、文法がメチャクチャでもそれほど困ることはありません。これは、大企業であればあるほど、なおさら大丈夫です。優秀な会社名と商品だけで、相手が話を聞いてくれるからです。

私は、あくまで"ネイティブレベル"にまで英語コミュニケーション力を高めたい人、文字通り"ペラペラ"になりたい人を対象に書いています。

そうした人が、安易に勉強方法に飛びつく前に必要なことは、「現実を知る」ことだと思っているのです。

それでは、「現実」とは何でしょう。

よく言われることですが、人間は、赤ちゃんの時に、両親やテレビ、ラジオなどいろいろな情報源から言語をインプットし、その結果、周囲で起こっている事象と言語を関連付けながら、言語能力を習得していきます。
その結果、

日本人の子供は、日本語を話すようになり、
アメリカ人の子供は、英語を話すようになるのです。

アメリカ人の子供は、大量に英語に接しているために、ペラペラ英語が話せるようになります。
まぁ、よく言われる、当たり前のことですね。

それでは、実際にどのくらい大量に接しているか、計算したことのある人はいますか?

仮に10歳のアメリカ人が、どのくらい英語に接してきたかを計測してみることにしましょう。
大雑把に試算してみます。

赤ちゃん-幼児は(0歳??3歳)、生まれてから、両親に話しかけられています。テレビやラジオからも情報を得るでしょう。
なので、1日5時間聞いていることにしましょうか。
保育園や幼稚園、小学校に入ると、友達ができます。友達とはずっとしゃべっていますし、授業は全部英語ですよね。家へ帰っても家族としゃべります。テレビも見るでしょうし、本を読んだり漫画を読んだりするかもしれません。
1日8時間の接触時間としましょう。

これでも、ずいぶん低く見積もっていると思います。
そうすると、赤ちゃん、幼児期は、1年で5×365=1,825時間、4年で7,300時間です。
幼稚園、小学校の時期は、1年で8×365=2,920時間、6年で17,520時間です。

あわせると、アメリカ人の子供は、10年で、約25,000時間もの間、英語に接していることになります。
これは、先ほども行ったとおり、きわめて低い見積もりです。実際には、頭の中はいつも英語で思考しているわけですから、これの2、3倍はあるかもしれません。

さて、あなたは英語をマスターしたいと思い、英会話学校に通いはじめたとしましょう。
1回2時間を週2日、これを1年間通いきったとしましょう(実際には通いきる人は、少数派ですが)。

合計で、2時間×2日×52週=208時間

そうです、たったの208時間です。英会話学校に行ってもなかなか上達しない、ペラペラにならなくて悩んでいると言う人がいますが、208時間しか接していないのならば、落ち込むことはありません。何も話せなくてあたりまえです

アメリカ人10歳児の1%も英語に接してないのですから。これの十倍努力したとしても、経験としては10歳児の10%、つまり1歳児レベルに届いたくらいだと考えるべきなのです。

もちろん、日本人のほとんどは、中学校、高校である程度読み書きという点では英語に接していますから、実際には1歳児レベルということはないでしょうが、圧倒的に英語への接触時間が低いことには、誰もが同意すると思います。

これが、否定しようのない現実です。私はいくつもの英会話学校で、いろいろな英語学習者と接してきましたが、ほとんどの人は、結局のところ、あまり時間を使って練習をしていません。そして、当然のごとく使いこなせるようになっていないのです。いくら英語の勉強方法、ノウハウ、テクニックを論じたところで、接触時間数が少なければ、上達しようがない、というのが私の持論です。

週1回練習・試合をするだけの草野球チームと、週7日毎日練習をしている高校野球チーム、どちらが強いかは一目瞭然です。それは、どんなにひどい練習をしたとしても、数を多くこなした方に軍配があがります。

われながら、つまらないことを言っていると思います。
しかし、まずは、接触時間を増やすしかない。これが現実であり、英語上達への大前提だと思います。

ブログの形態には、いろいろあると思うのですが、私のスタンスとしては、自分の書いたことが、誰かが何かを考えるきっかけになったり、助けになればいいんじゃないかと思っています。

英語については、自分がいろいろ試してきた経験を持っているので、何か役に立つ経験が共有できるんじゃないかと思っているので、書きたいと思います。


私は、大学卒業後、英語学習を開始し、2年弱でTOEIC950を達成しました。
そこにいたるまでの過程、勉強方法を教えてくれとよく言われるので、ここに記したいと思います。

私は英語に関しては、「ネイティブレベルになる」「文字通りペラペラになる」という目的を持って取り組んできましたので、TOEICだけを目標に勉強をしたわけではありませんでした。ただし、マイルストーンの一つとして、このテストの点数で自分のパフォーマンスをはかっていたのは事実です。したがって、当初は、この点数は、私にとってよろこぶべきものでした。

しかし、私を待っていた現実は、味気ないものでした。

TOEIC950というと、一般的に英語力が高いとみなされるかもしれませんが、実態はそうではありません。これだけの点数をとった後で気づくのは、まだまだ十分に話せない、読めない、聞けない、書けないという自分の圧倒的な実力不足です。

おそらく、多くのTOEIC900点取得者が同じことを経験しています。900は「ノンネイティブ」として問題ないのであって、ネイティブとコミュニケーションをはかると、たちまちその弱さが露呈します。

私は、英語をマスターしたいという一心で、950取得以後も、東京で5つの英会話学校を渡り歩き、年収の15%以上を投資し、数年間自分の納得のいくレベルにまで自分の英語コミュニケーション力を高めようと試行錯誤を繰り返してきました。

そして今、ニューヨークシティで個人ビジネスを行うに至っています。サプライヤーや顧客と電話での交渉・協議は日常ベースでしていますし、ネイティブの議論に割って入り、自分の意見を主張することも可能です。一般アメリカ人向けに、セミナーを何度も開いて、顧客を開拓したこともあります。

したがって、TOEIC950までの道のりはもちろん、その後に何を行ったかも記録できればと思います。
それでも、まだまだマスターしたとはとても言い切れないのが実感なのですが…今も正直発展途上です。

しかし、自分の経験してきたことが、まだこれから英語をマスターしようとする人のために、何らかの役に立つのではないかと思いたち、書こうと思うに至りました。


私の執筆のほとんどは、体験談になるでしょう。ノウハウやテクニックも重要だとは思いますが、実は私自身、どんなノウハウが有効かあまりよくわかっていないし、まだまだいろんな勉強法の可能性も探っていきたいと思っているのです。

では、そんな体験談を残す意味はあるのか?

この執筆の目的は「こういう勉強をしたヤツもいるんだ」「ここまでやった人間がいるんだ」という足跡を残すことです。
私もこれまで幾度となく、周囲にいる熱心な英語学習者に刺激されました。この場で、これから英語の勉強をがんばりたいと言う人に恩返しができればと思います。

私のしてきたことを、ここに残したいと思います。これが、過去事例の一つとして、誰かの脳のいくつかの神経細胞に残ればいいと思っています。


それが、その人の英語コミュニケーション向上につながれば、これほどの幸いはございません。

私がだまされた自動車販売ディーラーの話をしましょう。

私はこのディーラーにだまされ、大損をするところでしたが、ある方法をみつけ、無事に解決することができたのです。
NY州に住んでいる人は、参考になると思います。


その車を買ったのは、2004年の10月末のことでした。
渡米してから自動車免許をとるのが大幅に遅れた私は、待ちに待っていた自動車購入に浮かれていました。

しかし、5年も前に自動車免許をとって以来、日本での乗車暦はほぼ0。
最初の車だからと、ごくごく標準的なものを買おうと思い、ネットで検索、いくつかのディーラーめぐりを開始したのでした。


ディーラーをいくつかめぐった後、あるトヨタの正規ディーラーをみつけました。

頭の中にあったのは、トヨタのカローラ。日本では一番売れている車です。
その車名に味気ない響きを感じつつ、それでもやはり信頼の標準ブランドから入るのも悪くない、そう思い始めていたのです。

そのディーラーは、Hempsteadという場所にありました。車の品揃えが良く、お客もたくさん入っていて、「よさそうな所だ」というのが第一印象でした。その時は時間がなく、セールスマンともしゃべらずに帰りました。

翌日、早速ボスに相談をすると、

「ああ、Hempsteadか。あそこは黒人が多いから、教養がないヤツばっかりだ。別に差別的に言ってるわけじゃないけど、やめた方がいい」

と露骨な忠告を受けたのでした。
どう考えても、差別的に言っているようにしか聞こえません。

私は、その忠告を気にもとめず、再度そのディーラーに足を運んだのでした。

アメリカ人には、何度もだまされました。

NYに来て2年になりますが、やさしく、信頼で深く結ばれた日本人社会にどっぷりつかっていた私にとっては、それは痛い洗礼でした。

この国には、信じられないほど強く、寛大で正直な人たちがたくさんいます。
その一方で、人と目をじっと合わせ、固い約束をしておきながら、お金のために平気でウソをつく人たちもたくさんいます。

私のボスは、ユダヤ人です。
彼は、日本人の私をなぜか家族のように扱ってくれますが、自分の社会に属する人間以外を、全く信用しません。

その彼には、何度も忠告を受けました。「知らない人間には、気をつけろ。お前は、どんなヤツらを相手にしているか、わかってない」と。

何千年もの迫害を受けてきた民族の彼だから、そんなことを言うのだろう。
そう軽く考えていた私は、その忠告の意味もわからず、アホな失敗を何度も重ね、レッスンを体で覚えるしかありませんでした。

ブログのネタを考えていたのですが、「悪徳商人との戦い」というテーマで書ければ、ちょっとは人の役に立つ情報が書けるのではないかと思いました。

次回から、これをネタに書いてみようと思います。

2005年がもうすぐ終わろうとしています。

今、12月31日11:30PM

タイムズスクエアで世界一有名なカウントダウンがあるので、行くことに決めました。

五番街の事務所から、歩いて七番街まで行こうとしましたが、交通規制があって通れません。

結局、大きな回り道を強いられ、セントラルパーク付近まで北上、そこであえなく"Happy New Year!!"のコールが聞こえてきました。やはり30分前出発では、間に合わなかった。

とぼとぼと、あきらめずに、回り道をしながら、人の流れに逆らって歩く。
そして、ついに紙吹雪の降り止まないタイムズスクエアへ。



ああ、これで歩いた甲斐もあったというもの。

今年はどんな年になるのでしょうか。

このコンクリートジャングルでビジネスを営む私は、現在まさにサバイバル生活。

あらゆる知恵と努力をふり絞り、生き抜いていこう。
そう誓った新年でした。

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