Midtown Report

ビジネスと人間に関する発見と考察 from Los Angeles & New York

自分の声を録音して聞くと、ぞっとします。
他人の声は、全てOKなのに、自分の声だけは変に聞こえます。

大学の時に、アイスホッケー部に所属していたのですが、練習や試合のビデオを毎回必ず撮っていました。
その時に自分の姿を見て思ったのですが、何ともひどく不恰好なのです。
滑り方やフォームは格好悪く、見ていられません。
しかも、発する声を聞くと最悪です。確かに、自分が言った言葉であるのに、ひどく違和感があるのです。

そんな自分の姿を客観的に眺めると、ずいぶん落ち込んだような気がします。

一方、他の人に意見を求めると、「いや、お前のフォームは良い。オレのは最悪だ」と言います。

ところが、こういうビデオによる反省も続けていくと、段々と自分の姿を見ることに慣れていきます。ひどい自分の姿も、客観的に見ることができるようになるということでしょう。

私は、セミナーをやっていますが、どのようにお客様に写っているかわからないので、今度ビデオに撮ってみたいと思います。

ねずみ講とネットワークビジネスの明確な違いは、提供している商品がデリバー可能か、そうでないかの違いです。

ねずみ講 → 商品の提供が不可能
ネットワークビジネス → 商品の提供が可能

ねずみ講では、商品は「お金」ですが、理論的に「1万円支払えば2万円返ってくる」という理屈が通るはずがありません。お金を支払った全ての顧客に対して商品(お金)を提供することができない、だから詐欺なのです。

これに対し、ネットワークビジネスは、商品の提供が前提です。
1万円支払えば、Aという商品が手に入る、という経済のシンプルな原則に則っています。問題は、Aという商品が1万円の価値があるかどうかですが、これは人の主観によって異なるでしょう。1万円の価値があると思う人は、それを買うでしょうし、思わない人は買わないでしょう。ネットワークビジネス以外の企業や商品と同じように、ネットワークビジネスにも良い商品と悪い商品とがあります。唯一の違いは、商品を売った時に支払われる販売マージンが、誰の手に行くのか、という話だけです。

ただ、ネットワークビジネスの従事する人が、「お金持ちになれる」ということを約束しはじめると、厄介なことになります。なぜなら、それは満たすことのできない約束事だからです。だから、「お金持ちになれる」可能性は、価値が0であって、それを主なピッチとして売っているとすれば、詐欺と言われても仕方がないでしょう。

悪い商品や、一部の悪い人たちが駆逐され、本当に良い商品が、良いマインドを持つ人の丁寧な1対1のシェアによって伝わる、それがネットワークマーケティングの理想であって、そういった正しいあり方がなるべく多くの人に広がっていくことを願っています。

skin careについて、いつもお世話になっているKさんに講習をしてもらいました。
私は肌が極めて弱いため、教えてもらうことにしたのです。
Kさんは、ネットワークビジネスでAnti-agingの商品を取り扱っていらっしゃるのですが、非常に優秀な商品群なので、私も、いくつか購入しています。

しかも、ここの商品は、モノが極めて良いうえに、安いのです。
通常の店舗で売っている普通の商品と値段が変わらなかったり、さらに安いものまであります。

ネットワークビジネスで、安さをウリにできるというのは強力なアピールポイントだと思います。なぜなら、ネットワークビジネスは、余計な経費がかからないからこそ、優秀なビジネスモデルだからです。

いわゆる、「通常の流通網」と言われるものは、小売店が中間に入っていて、広告宣伝によって商品を売る、という形態が通常です。
しかし、この場合、最終消費者に商品が行き着く間に、ムダなコストがいろいろかかっています。たとえば、広告宣伝には、全ての人が反応するわけではありませんから、広告費一定額に対して生みだされる効用にバラつきが出てきます。また、運送費なども、本来最終消費者に届けられる最短経路と比較すれば、いろいろなムダがあることがわかります。

ネットワークビジネスでは、広告宣伝が存在しないため、売られた分に対して販売費が比例するという、効率の良さがあります。また、メーカーから最終消費者に一直線に商品が届けられるため、運送費にムダがありません。その削られたコストの部分と、本来小売店に行くべき中間マージンが、売った人に支払われるしくみです。

Kさんは、「この前もねずみ講と言われて困ったのよね〜」とおっしゃっていましたが、しくみをクリアな目でみれば、違いは明らかです。

血液型で人の性格を判定するのは、日本人だけらしいです。
自分の血液型を知っているのも、世界的には珍しいようです。

たまに、「JimmyさんってO型でしょ」とか「A型でしょ」とか言われると極めて困ります。血液型による性格診断をまるっきり信用していないからです。
「そうですかねぇ」と言っていつもごまかしていますが、ごまかしてばかりもいけないので、次回は「血液型信用してないんですよ」とでも言うつもりです。

血液型による性格診断に、科学的な根拠は全くないそうです。
それなのに、あまりに多くの日本人が信じている(もしくは信じているふりをして楽しんでいる?)というのは不可解です。

大抵の場合、性格診断というのはあたるものです。

どんな人でも、いろいろな側面があるのだから、当たり前です。どんな人でも適当な側面、しっかりした側面、積極的・消極的な側面、エキセントリックな側面、いろいろな面を持っているものです。だから、あなたは○○な人、というのは大抵当たるに違いないのです。
もしくは、当たらなかったとしても、「そんなこともあるかな」くらいに考えるだけでしょう。

こういう性格診断で問題なのは、自分の可能性を狭めてしまうことだと思います。
どうせ自分は○型だから、自分の○○な性格は直らないんだ、と開き直ることは最悪だと思います。こういうものは、そこまで深刻にならずに楽しみたいですよね。

今まで、自分でそれなりに成果をあげてきたことを振り返ってみると、常に「根拠のない自信」があった様に思います。


他の人の話を聞いても、その人が何かできる証拠は何もなかったけれども、何となく自信があってやり遂げてしまった、ということをよく聞きます。

根拠のない自信がどこから生まれてくるのか、それは根拠がないのでわかりません。


しかしながら、よくよく考えてみると、あることが達成されることを、その人は前から何となく想定しているわけです。達成していないものを、達成できるかのように感じることができるということは、何らかの事前体験が必要であることは確かであるように思います。

私は、ハイパフォーマーの本などを読んだり、話を聞いたりすることによって、「同一化」を経験し、そのような自信を得ることができるのではないかと思います。

常人では成し得ないことを達成した人の思考や言葉に常に触れ続けることで、困難に遭遇しても常に前向きで力強い未来を思い描いて進むことができるわけです。

世の中には、観客席に座って批判だけ飛ばす人があまりに多いものです。
そういった言葉を発することから自分を遠ざけ、頭の中で創り出したヒーローの中に理想の姿を築きあげていくと、その中から根拠のない自信がわき出てくるのだと思います。

今日は、株式会社クイックの和納社長の講演会に行ってきました。
クイックは人材関連事業を行っている上場企業で、ニューヨークにも支店があります。

創業社長の話を聞くのは大変刺激的です。
いかにして事業をはじめられたか、その後バブル崩壊期、米同時多発テロ直後の危機を乗り越えていかに上場を果たしたか、その経緯を話されていました。

印象に残ったのは、「お金を残した人」と、「人を残した人」を比べた時には、後者の方が充実した人生がおくれる、とおっしゃっていたことです。

この言葉の裏には、和納氏が最初に勤めていらっしゃった会社の泥沼の裏話があるのですが、あいにくここには書けません。

大変インスピレーションにあふれた講演会でした。

昨日のブログでとりあげた記者は、同宗教の有名人メンバーに、「あなたはひょっとして洗脳されているんじゃないのか」ということをしきりに聞いていました。

誰かに向かって、「あなたは洗脳されている」と言うのは、侮辱以外の何物でもありません。なぜなら、洗脳されているかどうかは、本人では絶対にわからないからです。だからこそ、「洗脳」されているのです。

だとしたら、その質問は、聞くだけムダなのです。言ってもムダなことをあえて言うのは、相手を貶めたり、挑発したりする意図があるからで、プロの記者がそのようなことを言うべきではありません。

洗脳について語る時に注意すべきことは、「他人の洗脳を指摘している自分は、何かに洗脳されていないか」ということです。世界に誰一人として、「自分が洗脳されている」ということを知っている人がいるはずはありません。


しかし、一方「普通」の人生をおくっている自分に対して、「自分は何かに洗脳されているかも」と仮説を置いて質問することは、新しい世界を開くきっかけになるのではないかと思います。

例えば、オウム真理教の事件が起きた時、ほとんどの人は、同教団の人たちは教祖に洗脳されている、と思ったのではないでしょうか。私もその一人です。

ただ、「この教団は洗脳集団だ」と、限られた情報から疑いなく断定できるとしたら、そのこと自体の方が問題だとおもうのです。その断定の裏には、「自分の情報判定能力には、曇りがない」という慢心(=自分は洗脳されていないという根拠のない主張)が隠れていると思います。


新しい世界が開けた時に、「自分の視野は狭かった」という開きを経験することは社会生活をおくる上で多々あると思います。「自分には、まだ知らないことがあるんじゃないか」「今までの限られた自分の人生経験では、答えを出せないことがあるんじゃないか」と言った問いかけは、知的好奇心を刺激し、新しい可能性を広げてくれます。

「自分は何も知らない」という土台に立つようにしたいものです。

数週間前、The Church of ScientologyとBBC Panoramaという番組の攻防が、話題になりました。

BBC Panoramaという権威のあるドキュメンタリー番組の記者が、Scientologyの実情をレポートする、という内容なのですが、その攻防が実に面白いです。
何が面白いのかというと、記者側から見たScientologyと、Scientology側から見た記者の姿が両方ウェブサイト上にアップデートされているからです。

このBBCの記者は、John Sweeneyというのですが、Scientologyの取材中に完全に正気を失ってキレるシーンがあり、記者にあるまじき行為として問題となっています。

<Scientology - BBC Panorama Exposed>
http://www.bbcpanorama-exposed.org/watch-the-video-documentary.php

<BBC Panorama - Scientology and Me>
もはやYouTubeからは削除されていました。

<CNNのレポート>
http://www.youtube.com/watch?v=hU0Vh-laTDY

通常、犯罪を隠している集団を記者が取材しようとすると、取材を拒否したり、記者から人が逃げ回る、というのが、よく見られる光景です。この記者は、Scientologyをそのような集団として初めからみなし、それにもとづいて取材を試みているように見えます。

Scientologyは、スポークスマン自身がカメラを引き連れて、記者と真っ向から対峙しています。「初めからオープンに門戸を開いて、会いたい人にも会わせると言っているのに、なぜ勝手にあちこちで偏見にもとづいた取材を試みるんだ」というのがその主張です。言い分はもっともです。

宗教の自由が保障されている世界において、初めから偏見と曲がった仮説にもとづいた取材を行ったとすれば、それは記者として失格と言わざるを得ないと思います。

2つの側のビデオを見ると、何が真実なのか、よくわからなくなってきます。
私のポイントは、BBCやScientologyが良い/悪いということではありません。

情報ソースの限られる一般人が、2つの相反する視点に同時に触れることができる、というのは非常にフェアな社会だと思うのです。そういう、情報社会は健全だと思います。

38th Stにカレー屋ができたというので、行ってみました。
ゴーゴーカレーというらしいです。

http://www.gogocurryusa.com/

着いて見ると、なんとなく見覚えが…ここは、昨年来て幻滅したラーメン屋だったところではないですか…店の中のレイアウトが、全く同じだったので、気づきました。

5月中は、5ドルだということで、カツカレーを食べてみました。
味はけっこう濃いですね。おいしいです。
なかなか、日本のカレーを食べる機会もないので、これからもたまに覗いてみるかもしれません。


話は変わりますが、私の中でのカレーナンバー1店は、もうやんカレー(東京です)。

新宿の、十二社通り沿いと、青梅街道沿いにあります。
今見てみると、池袋にもあるようですね。
非常においしいので、近くに立ち寄ったら試してみてください。
病みつきになります。

共同通信のニュースから。

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 サムスン、ヒュンダイは日本のブランド? 世界的なブランドがどの国のものか、米国の多くの大学生が勘違いしている実態が、米調査会社のアンケートで明らかとなった。

 それによると韓国の電子機器メーカー、サムスン電子の「サムスン」は57.8%、自動車大手の現代自動車など「現代(ヒュンダイ)」は55.7%の学生が日本のブランドと思い込んでいた。フィンランドの通信機器「ノキア」、米通信機器「モトローラ」も日本製との答えが一番多かった。トヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」は37.3%が日本製と答えたが、米国製と答えたのも33.7%あった。

 どの国の製品が良質かとの問いには、日本と答えたのが81.8%で最多、次いで米国(78.5%)ドイツ(77.1%)だった。調査したアンダーソン・アナリティクスは「どの国のブランドなのか知識がないか、単に米国か日本、ドイツのものだと考える傾向がある」と分析している。

 調査は06年後半、約1000人の大学生を対象に実施した。(共同)

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Nokiaはともかく、Motorollaまで日本製だと思われるのは驚きですね。
私は、brotherが韓国の企業だとアメリカ人ボスに教えられ、それを信じきっていました。

東京に住んでいた頃、コンピュータのモニタとして、Samsung製を買いました。その頃の17インチの価格としては安く、品質が良かったのをおぼえています。
ただし、NECやSonyなどの日本製のモニターが並んでいる中で、韓国製の製品を買うのはどうも裏切り者のような気がしてなりませんでした。

アメリカ人にとっては、製品がよければ、どこの国で作られたものであっても良いということをこの記事はさしています。なぜ、各企業の国籍が問われているのかわかりませんが、あまり有意義とも思えません。製品がうまく働く、ということ以外に意味はないと思います。

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